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辻原登著
李佩甫 著
ゴーディマ著
陳天璽 著
太田和彦著
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赤川学著
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王智新 ・呉広義著
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ピエール・アスキ著
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松本健一著
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榎本泰子著
中島京子著
春樹著/若松ゆり子訳
綾井健著
田尻芳樹編
木村尚三郎
高井ジロル著
高井ジロル著
高井次郎著
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最近発売の季刊誌「オルタ」11、12月号で「中国独立映画と民間の台頭」を書きました。機会あればご一読ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 本の宣伝です。ご一読くださればありがたいです。 反日、暴動、バブル 新聞・テレビが報じない中国(光文社新書) 最近、上で挙げたオルタのほか、信濃毎日新聞、沖縄タイムス、静岡新聞、長崎新聞で書評が掲載されました。ありがとうございました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 牛久とつくば市の境界付近の古民家で若手アーティストたちが1年がかりで実験アートの創作をする試みがあり、みに行ったのですが、韓国の方ばかりだったので驚きました。韓国の基金会によるもので付近で開かれている取手アートフェスティバルとも連動しています。 近年日本でも町おこしに現代アートのイベントを行うケースを耳にするのですが、担い手に韓国や中国の方が多く見られることを意識します。けっしていい条件とはいえないこうした試みの中心的担い手に近隣地域の若手アーティストが進出しているように思えます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 本日は東京女子大学卒業生たちによる華の会のお茶会にご招待頂き、拙著などについて話す予定です。 > 大分におります。
31日の小倉での上映会・トークは冷や冷やものでしたが、皆様の温かさに助けられて無事に終えることができました。北九州ビエンナーレだからこそできた上映会だと思っています。小倉や博多で文化に関心を持つ大勢の方々と知り合うこともでき、有意義でした。ありがとうございました。小倉で自分が少しでも刺激を与えることができるよういっそう精進したいと強く思いました。
昨晩12時前の終電に乗り、今は大分にいます。刺激的な小倉の夜に比べ、こちらはいたって静かです。先日大分空港と市内を結ぶホーバークラフトが廃止されたことを知りました。残念です。 九州の人から見ればぼくは九州生まれでも関東人にほかならないのですが、大分や小倉など九州になんらかの貢献をしたいと願う風でありたいです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 本の宣伝です。ご一読くださればありがたいです。 反日、暴動、バブル 新聞・テレビが報じない中国(光文社新書) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 申し遅れましたが、先週金曜発売の週刊金曜日で連載「浮澡中国」20回「重慶でのある試み」を書きました。機会あればご一読ください。 > 31日小倉で
現在、北九州市で北九州国際ビエンナーレが開催されています。いろんな大都市で大々的にやっているビエンナーレを北九州でもやってしまおう、という試みで、今回が第2回。通常のビエンナーレに比べて低予算・アバンギャルド・アンダーグラウンドな試みです。「北九州国際ビエンナーレ2009」
ビエンナーレの一環として10月31日(土)夕方5時より映画上映+トーク「中国ドキュメンタリー映画の現在」を行います。映画の選定は主にぼくが行い、トークにも出席します。以下の3つを取り上げます。 自由城的囚徒・・・・胡佳(フージャー)監督・撮影、曾金燕(ツァオジンイエン)出演 女人50分鐘・・・・・石頭(シートウ)監督、明明(ミンミン)撮影 排骨・・・・・・・・・・・・劉高明(リュウガオミン)監督 「排骨」は東京などでも上映されたことがありますが、「自由城的囚徒」「女人50分鐘」は日本初公開ではないかと思います。特に「自由城的囚徒」は今回のビエンナーレ以外では通して流すことの困難が予想される作品です。このような機会を下さった関係者の方々にお礼を申し上げます。 ぼくはこれまで中国の少なくない映画・アート・文学作品を日本で紹介しましたが、「日本の人が見てどう思うかを知りたい」と切に思う上で「自由城的囚徒」の曾金燕は最上クラスに属します。日本人にどう思ってもらえるかを切に知りたがっている作品をぼくとしても紹介したく、それが今回この作品を真っ先に選んだ理由の一つです。夫である胡佳は現在獄中にあり、曾金燕自身も今なお監視され続ける日々です。 中国のドキュメンタリーや現代アート作品は無検閲であることからしばしば「反体制」もしくは「抵抗」のニュアンスを表出しますが、実際に反体制や抵抗の意図で作られるものは限られており、何度か上映会に足を運ぶ中でそのことが理解のギャップになっていることを感じています。無検閲と「反体制」との関係は新書でも触れていますが、理解する上では中国の反体制作品がどういうものかを知っておくことも大切かと思います。アンダーグラウンドなビエンナーレである北九州国際ビエンナーレで紹介する映画としてもふさわしかろうと考えました。 北九州、福岡、山口、熊本、佐賀、大分あたりにご在住でお時間のある方のご参加をお待ちしております。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 本の宣伝です。ご一読くださればありがたいです。 反日、暴動、バブル 新聞・テレビが報じない中国(光文社新書) 26日にサーチナで書評が掲載されました(ヤフーも)。ありがとうございました。 サーチナ ヤフー(書評文はサーチナと同じです) > 北京日記09秋4
食事日記
10日・・・朝食9時:油条(草場地)、昼食12時:チャーハン(建国門)、昼飲14時:茶(建国門)、夕食20時:貴州土鍋(望京)、夜飲22時:コーヒー(望京)、草場地泊 11日・・・朝飲11時半:水(復興門駅構内)、昼食16時半:NH906の機内食 北京日記09秋編はこれでおしまいです。帰国後ただちに国内出張があり、更新が遅れたことをおわびいたします。 今回新書を大量に持参したことはすでに述べました。10日昼には、新書をわざわざ購入して下さるとありがたい言葉を頂いた日本の方々と会いました。夜には最も信頼できる友人の1人と会い、別の友人へ新書をさりげなく郵送してもらうことを彼に依頼しました。本来はすべて手渡しにしたかったのですが、かりに没収されても問題になりにくい相手だったのでそうしました。すでにお世話になった大勢の人に渡し続けていて、この時点で残りは1冊でした。最後の1冊は新書成立にとってきわめて重い意味を持った1人のために残しておきました。その人には郵送は危なくてできません。 げんにその人は連休前に北京から追い出されていました。なかなか戻ることができず、会えないと思っていたのですが、最後の最後まで1冊を残しておきました。そして、最後の最後に会うことができ、簡単な状況を尋ね、今回持参した最後の1冊を渡したことで今回の旅は終わりました。新書にはあとがきを付けなかったのですが、ぼくにとっての新書の本当の意味でのエピローグをこの時点で終えました。「11日・・・朝飲11時半:水(復興門駅構内)」というのがそれで、集合地点は3度の変更を余儀なくされました。その後、タクシーを飛ばし、ぎりぎりで飛行機に乗りました。 中国行きはつねづね「終わってみたらやりたいことがそれなりにできている」の繰り返しです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 本の宣伝です。ご一読くださればありがたいです。 反日、暴動、バブル 新聞・テレビが報じない中国(光文社新書) 佐賀新聞18日朝刊と19日発売の日刊ゲンダイで書評が掲載されました。まだ確認できていないのですが、ありがとうございました。 ここ数年、中国に関する本(おそらくアジアと言ってもいいかもしれません)は内容・マスコミでの注目度に関わらず全般的に売れ行きが非常に悪いようで、そうした過去のデータが部数・棚での扱いなど本書にも微妙に影を落としていることを学ばされています。現時点の手応えは出版社の予想を裏切って好評だという感じではないかと思います。ただし、予想を裏切って低迷、よりは明らかにいい傾向だと言えます。 本書がどの程度売れるか、受け入れられるかどうかは、今後の光文社新書に限らず他の出版社にとっても別の方がいずれ出される本の売り込みになんらかの影響を与えるデータの一部となることを思えば、宣伝活動を積極的にやっていく必要を感じるとともに、中国本・アジア本そのものを語る必要性を感じ始めています。 > 北京日記09秋3
食事日記
8日・・・朝食8時半:CA4129の機内軽食、昼食①11時:煮鳥など(草場地)、昼食②13時:牛しゃぶ(遠大路)、昼飲15時:茶(遠大路)、夕食18時:北京料理(朝陽門)、夜飲22時:コーヒー(望京)、夜食1時:スペインの高級ハム(草場地)、草場地泊 9日・・・昼食12時半:湖北料理(甘家口)、昼飲15時:水(西駅)、夕食17時半:四川鍋(甘家口)、夜飲20時:コーヒー(花園橋)、草場地泊 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ すでに日本に戻っております。例によって中国の一般のパソコンではこのブログを閲覧できません。ただし日本の携帯電話からだと見れるし書き込むこともできることがわかりました。 今回はこれまで取材した方に本を渡すことが活動のメインです。内容上、日本から郵送するのは危険を伴うので直接渡すか、郵送するにしても国内でさりげなく送る必要があります。同時にこれから主に何をやっていくかも模索します。なかなか浮かびませんが、ふと思ったことを会った人にぶつけてみます。たとえばぼくは重慶で地方独自の活動にあらためて関心を持ったのでそういうことを話してみたりします。話しながら少しずつ軌道修正していきます。04,05年あたりの取材ノートを見ると対象がぼやけていたのを痛感します。やはり少しずつ軌道修正がなされていたのでした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 本の宣伝です。ご一読くださればありがたいです。 反日、暴動、バブル 新聞・テレビが報じない中国(光文社新書) 秋田魁新報10月11日朝刊でご紹介いただいたのは共同通信社の記事でした。ぼくが訴えたかったことを適確にとらえてくださったうえに非常に近しい問題意識を掲示しており、今後ぼくが書評を書く際に参考にしたい書評でした。ありがとうございました。共同の配信なので他の新聞でも掲載されているかもしれません。発見されましたらご教示くださるとありがたいです。 > 北京日記09秋2
本の宣伝をしておきたいと思います。ご一読くださればありがたいです。
反日、暴動、バブル 新聞・テレビが報じない中国(光文社新書) その後、サンデー毎日10月25日号、月刊「望星」11月号、週刊プレイボーイ10月26日号および秋田魁新報10月11日朝刊でご紹介いただきました。ありがとうございました。ご紹介をすべて把握できていない可能性があり、もし他の媒体でご紹介されているのを発見しましたらご教示くださるとありがたいです。よろしくお願いいたします。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 食事日記 5日・・・朝食10時:肉餅(鼓楼)、昼食14時半:CA1439の機内食、夕食19時:火鍋(重慶・黄桷坪)、夜飲21時:白酒(重慶・黄桷坪)、重慶泊 6日・・・昼食11時半:豌豆粉蒸鶏など地元料理(重慶・七星崗)、夕食19時半:麻辣湯(重慶・黄桷坪)、夜飲22時:茶((重慶・黄桷坪)、重慶泊 7日・・・朝食9時半:茶玉子など(重慶・楊家坪)、昼食12時:麻辣麺(重慶・楊家坪)、昼飲16時:茶など(重慶・黄桷坪)、夕食19時:高級四川料理(重慶・解放牌)、夜飲22時:ビール(重慶・朝天門)、重慶泊 今回のメインは重慶の滞在です。オルガンハウス(organhaus)という前衛アートの国際交流を推進するNPOが重慶にあり、そこが主催したワークショップに参加しました。ヨーロッパ、アジアなど世界中の前衛アーティストが集結し、2週間あまりの期間内に作品を手がける試みで、現代アートが盛んな北京、上海でもなかなか見られない興味深い試みでした。日本から参加したのは名古屋で活動する武藤勇さんで、中国は初めてでしたが快活な人柄からか外国人アーティストの中でもひときわ現地で人気者でした。彼が今後名古屋のアーティストたちと連携して重慶のアートシーンと関わることを想像すると、東京や北京を無視した、とてもおもしろい交流ができそうに思います。 ![]() 招待ではありましたが、特にぼくがすることはなく、アトリエを見て回ったり、オルガンハウスのスタッフと話したりなど、日ごろの北京での活動同様に過ごしました。ボランティアスタッフの中に一人、岩手県盛町出身で重慶に十数年住んでいる女性アーティスト・九九さんがいて、彼女の話す重慶語があまりに達者なのに驚いたりしました(普通話はうまくありません)。ぼくの出会った中国語が話せる日本人のトップ3に入る語学力でした。 ![]() 重慶は昔比較的長く滞在したこともあり、友人も多少はおり、夜は夜で友人と飲み歩いたりもしました。成都もそうですが、ここらへんは北京などに比べて「夜生活」(健全なナイトライフ)が大変盛んです。もちろん60周年パレードの話題など全くありません。ここでは北京とは異質な風が吹きます。 > 北京日記09秋1
今回の本の宣伝をしておきたいと思います。ご一読くださればありがたいです。
反日、暴動、バブル 新聞・テレビが報じない中国(光文社新書) これまで確認できたもので10月4日大分合同新聞、10月9日週刊金曜日でご紹介いただきました。ありがとうございました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 食事日記 3日・・・夕食18時半:NH955の機内食、夜食22時半:湖南料理(鼓楼)、鼓楼泊 4日・・・朝食11時半:ギョウザ(草場地)、昼食13時半:四川料理(麗都)、昼飲15時:コーヒー(麗都)、夕食18時半:湖南料理(鼓楼)、夜飲22時半:茶(和平里)、鼓楼泊 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ご存知の方も多いと思いますが、10月上旬は中国では建国記念日の大型連休にあたり、特に今年は建国60周年のために1日~8日の超大型連休でした。このためぼくが日ごろ会うような人たちは活動自粛・(半)強制旅行を余儀なくされ、つまり北京でまともな活動がないに等しい状態となり、当初より今回の中国行きは取材上の困難が予想されました。通常であればこの日程で北京行きなど考えないのですが、なぜ行ったかと言えば招待だったからです。今回は珍しく自費ではありません。 招待とは言え、個人的な目的を携えての中国行きです。1つは今後何をやっていくかを考えてみること。もう一つは取材先に今回の新書を贈呈することです。ただ、後者で言えば、今回の新書はタイトルや中の写真・固有名詞が検閲に引っかかることが容易に予想されたので1冊ならどうということもないのですが大量に運ぶのは没収されることも覚悟しました。3日は中秋節にあたり、その晩は多少なりとも空港職員の仕事のやる気がないのではないか、などと考え、この時間のフライトを選びました。 結果的には税関で別室に連れて行かれ、45分間取調べを受けました。ただ口先八丁で興奮の涙も交えつつあれこれ説明した結果、没収されることなく通過できたのでこの処置が厳しかったとは言えないと思います。こういうことは何度か経験がありますが、いかにその場で解決するかが重要で、上級組織などに話が行ってはまず解決しません。結果オーライという感じの今回の中国入りでした。90年代を思い出しました。 >
携帯からブログ書き込みのテストです。 こちらは結構暑いです。
今日発売の週刊金曜日で連載「浮澡中国」第19回「狙われる公益」が掲載されました。機会ありましたらご一読ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 明日よりしばらく、返信などがやや遅れると思います。ご了承ください。 今回の本の宣伝をしておきたいと思います。ご一読くださればありがたいです。 反日、暴動、バブル 新聞・テレビが報じない中国(光文社新書) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 昨日の友人の詩を(中国語なので文字化けの可能性があります) 观阅兵有感: 我志愿去长街捡拾垃圾 穿着上访者的廉价T恤 头戴草帽 手里拿着编织袋和木钩子 从建国门到复兴门 一路走,一路拾 头也不抬 路过那五十六支大红柱子的时候 我想靠在其中的一支上 吸支烟 然后给朋友发个短信,说 最后一次大阅兵结束了 这不,我在拾垃圾呢 > 中国紙
建国記念日の今日、中国で発売の「環球時報」の中で1000字ほどの短文を寄せています。(1)80年代からみて今日の中国はどのように変わったと感じるか、(2)中国の成長で日本の国際的影響力が落ちていることについてどう思うか、の2つの質問に対して答えています。書いたことは今回の本で書かれた内容とある程度一致します。中国の媒体で書く場合には日本の読者をも、日本の媒体で書く場合には中国の読者をも想定しているので、日本でも中国でも同じような内容を語ることになります。そのため暗黙の了解みたいなものをあえて省略せず、時に文章がくどいなどのご指摘も受けますが、自分が書く際のノルマとしております。『北京芸術村』という本を出した時、予想以上に中国人読者の比率が多かったことから、そのようなノルマを課すようになりました。
宣伝を除くと、今回の本が新聞に載るのはこれが初めてとなります。あの本を最初に紹介するのが中国の、それも官方の新聞であるというところにおもしろさを感じております。ありがとうございました。 今後しばらく、今回の本の宣伝をしておきたいと思います。ご一読くださればありがたいです。 反日、暴動、バブル 新聞・テレビが報じない中国(光文社新書) > 新作と今後
新著『反日、暴動、バブル 新聞・テレビが報じない中国』(光文社新書)が今日発売されます。04年から続けてきた北京を中心とした中国通いの成果をこれまでの軌跡に沿って書き下ろしたルポです。新書ですので目に付きやすいかと思いますので、ご一読下されば幸いです。
自分の感想はまた述べる機会があると思いますが、今浮かぶのはこの本が誕生するまで随分と時間がかかったことです。04年に取材を始めた頃、ぼくは新書も含めて書籍という形になるとは想像もしませんでした。その後、北京行きに伴って3つの媒体で連載が書けるようになり、比較的スムーズに中国滞在が可能になりました。次第に連載をしていた3つの出版社のいずれかから連載をまとめて1冊出せればいいと考えるようになりましたが、種々の事情でダメでした。 そんなわけで、ある程度分量を持つようになってから今度は出版社を探し始めましたが、この点も苦労しました。時期で言えば06年から07年にかけてでしょうか。普通、本の企画というのは、意図を話し、それがどれだけ世評と合致するかでなされると思いますが、世評と言うものが存在していなかったのでした。通常の書籍刊行がレールの上に列車を走らせることだとすれば、ないレールを作った上でそれに列車を走らせるのはそれはそれは面倒なことです。 取材を進めながら企画と書き下ろしを同時並行で進めてきましたが、その間、取材成果に対する認識も大きく変わっています。それは本書を読んでいただけたらと思います。 こうして1冊が出て、本当は今は休息でもして今後を考えたいのですが、そうもいかず、いろんなことをやりながら少しずつ今後を考えている次第です。今考えているのはこの本に書かれているようなこの5年間あまりの活動は流れに任せて今後も継続しつつ、それとは別に何かをやっていこうということです。星一徹ではありませんが、別の何かというのは、これまで活動してきた中で自覚的にもしくは無自覚に出会っていただろう何かです。 ともかく本書が出たのは光文社はもとより連載や単発記事や講演でお世話になった出版社はじめ関係者の方々、中国の関係者の方々、今まで声をかけてくださった多くの方々、それにブログの読者を含めたみなさんのおかげです。お礼を申し上げます。 > 近況
今週発売の中国紙「影響力周刊」にぼくのコメントが掲載されていると思います。主に北京周辺で発売されています。機会あればご一読ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最近日々追われまくる生活を続けています。生活リズムの見直しをする必要がありそうです。 夜空を見上げながら、ウイスキーのロックを飲みながら、よく考える。
ぼくはなんで今のようなことをやっているんだろうと。 あることをすることは、他のすべてを失うこと。 することで規定されていく。 ぼくはなぜ中国と関わっているんだろうか。 大分に来ると、奇妙なあせりが沸く。 古き大切なものが、少しずつ削りとられつつ生きているような、 それに対して何にも働きかけられない無力な自分。。。 こんなはずじゃなかったんだけど。 > 秋を感じます。
秋めいてきましたね。まず最初に日が短くなったことを感じ、次に肌寒さから秋を感じます。
この季節は高校の体育祭を思い出し、多少感傷的になります。初めて上海に行った時のことも思い出します。 これからしばらく博多などに行って参ります。 > 選挙とテレビ
今日は缶詰め状態で作業せねばならないのですが、選挙には行ってきました。
うちにはテレビがないのですが、選挙の日こそテレビがないことのありがたみをしみじみと感じます。 年々当落確定が早く出されることが耐えられません。あれは一票の重みをイメージ面で剥奪する行為です。それは時代の流れで仕方がないことなのだとしても、さらにやりきれないのは、速報合戦の苦労の末にあるものが結局のところ「バンザイ、バンザイ」のマンネリVTRを繰り返し垂れ流すことでしかないことです。つまるところ、現在の選挙の速報態勢はあの芸のないVTRを視聴者にじっくり見させるためのサービスだと考えることができます。むなしいかもしれませんが、仕事への情熱ってそのようなものがわりとあるのかもしれません。ともかく今夜はテレビがないことをありがたく思います。 > 北京日記09夏4
ぼやぼやしていると夏が終わってしまうので残りの日記を片付けておきます。
(食事日記) 7月22日:昼食12時:湖南料理(軍事博物館前)、昼飲13時半:茶(玉イエン淵公園)、夕食18時半:弁当(航天橋)、夜食23時:貴州料理(将台路)、草場地泊 23日:昼食12時半:肉まん(草場地)、昼飲15時:茶(草場地)、夕食20時四川鍋(望京)、夜食23時:シシカバブ(望京)、花家地泊 24日:朝食11時:チャーハン(花家地)、昼食16時:NH906の機内食 北京日記09夏編はこれでおしまいです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2枚の写真を紹介します。いずれも北京益仁平中心です。 ![]() 公園での喫煙の禁止を呼びかけるパフォーマンスを行なっています。全国から集まった大学生によるサマーキャンプでの社会活動の実践学習です。ほかにも格差反対、エイズ知識、障害者にやさしいインフラ作りを訴えるパフォーマンスが行なわれました。特に最後のパフォーマンスは目隠しをして北京の街を歩いてみるというおもしろい試みで、いかにこの街が障害者やお年寄りに辛い作りになっているかを実感できました。 ぼくも参加をし、思ったことを発言しました。みなさん各大学で独自のテーマでの社団(サークル)を主催する優秀な学生ばかりで、彼ら彼女らが活躍する十年二十年後の未来をたのしみにしたいという気持ちになりました。 日本ではこのような催しに慣れ、あるいはどちらかといえば飽きたような冷たい眼差しを向ける人もいるかもわかりません。けれども中国ではそうはならないでしょう。なぜなら。。。。。 ![]() そのわずか一週間後、同中心に警察の捜査が入った様子です。出版物発行が問題となったのですが、その出版物とは映画館で配るパンフレットの類にほかならず、べつに一党独裁を批判しているわけでもありません。ただ肝炎感染者を差別しないでほしいなどと訴えているにすぎません。不当な扱いを受ける人の権利を認めてほしいという、あるいは日本では人によってあまりにも当たり前になったかもしれないテーマで警察が動いてくることもまた事実です。 公盟法律研究中心の件はこのままでは許志永が逮捕されるということで違約金を払う方向になっております。前にも書きましたが、脱税とは名目にすぎません。問題となったエール大学との共同研究の中身ですが、法律の運用をテーマにしたものだとぼくは考えていますが、税収の調査と関係があるとも言われています。すなわち少し前に伝知行がレポートした税収の実態の調査に類するものだと言われ、その真偽にかかわらず公盟への捜査は伝知行への脅しにもなっています。中国では税金がどれだけ徴収され、政府にどれほどの収入があり、また収入が何に使われているかを知ることはできません(もちろんぼくを含めて外国人も知りえません)。そういう部分にメスを入れようとする社会的な行為が叩かれているわけです。法の正しい運用と同様、これまたまっとうな行動が叩かれる例だと言えます。 中国人は他人のことなんか考えない、自分のことしか考えないのだ。 このようなことを言う人は外国人にも中国人にもいますが、明らかにそうでない人をぼくは多数知っています。というよりぼくが付き合う人のほとんどみなが自分のことと同様、他人や社会のこともよく考えています。ただし、政府については自分のことしか考えていないと言えるかもしれません。もちろん、政府だとてみながみなそうではないでしょうが、確実に言えるのは社会や他人に目を向けた活動を弾圧していることです。そのようなことをすることで自分のことしか考えない人ばかりが浮かばれることはあるかもしれません。でも、社会に目を向けた活動は今後どんどん活発になっていくと思います。 そんなわけで中国に対する楽観と悲観が同時に駆け巡った今回の北京行きでした。 > ある取材の仕方
北京日記はまだ途中ですが、今回は事態進行中のことが多く、少し時間を要します。
閑話休題で取材中のぼくの写真を載せます(場所がわからず、相手の顔もよく見えないので写真が出せます。とはいえこの取材は全く問題のないテーマの取材です)。 ![]() 左の人物を右のぼくが取材しています。とはいえぼくは彼の話をきいてません。昼間から大酒を飲まされて眠ってしまっています。ところが、目が覚めるとノートに彼の言葉がぎっしりと書いてあるんです。 宴席でぼくの言ったことをある程度理解してくれ、尋ねていないことまで詳しく書いてあります。今回の場合はぼくの寝姿を撮った人物が書いてくれたわけです。 もちろん、いつもこういう取材をしているわけではありませんが、中国取材ではたまにあるやり方です。 ぼくだけかもしれませんが。 > 北京日記09夏3
食事日記
20日・・・朝食9時半:チャーハン(花家地)、昼食12時:冷めん(草場地)、昼飲15時:コーラ(大鐘寺)、夕食17時半:四川鍋(西三旗)、晩飲21時:コーヒー(望京)、草場地泊 21日・・・昼食12時:武昌魚(草場地)、昼飲15時半:アイス(宋荘)、夕食18時半:貴州料理(武夷花園)、夜飲22時:ワイン(望京)、草場地泊 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (23時更新) 今回は公益NGOについていろいろと考えさせられる北京滞在となりました。 中国で代表的な公益NGOとして伝知行社会経済研究所と公盟法律研究中心があり(ただし中国政府の規制でNGOとしての資格を失い、会社として存在)、両者の発行するレポートは謎に包まれている税収の実態や法運用の実際など、中国の今を知る上で参考になります(ただし現在は持ち運ぶだけで問題になるかもしれません)。ところがそういう存在は当然政府からにらまれるわけで、ぼくの滞在中に公盟が脱税容疑で摘発されました。これはエール大学との共同作業がまだ終わっていないにも拘らず、すでに現金を受け取ったから税申告しないのはおかしい、というもので、作業が終わっておらず経費もわからないのに税申告ができるはずはなく、嫌がらせだと言えます。 強制捜査直後にここを訪ねました。前に訪れた時と比べると、パソコン、電話、資料が大量になくなっており、また大量の資料が散らかっていて、捜査の徹底ぶりを実感しました。代表の許志永を見かけた時も近くの喫煙所で警官らしき人を目にしました。7月30日には許志永が警察に連行されました。 また同じ30日にはぼくが雑誌で取り上げたこともある反差別運動のNGO・北京益仁平中心も強制捜査を受けました。ここは自らB型肝炎感染者である陸軍さんが主宰するもので、肝炎はもとよりエイズ。精神障害など多岐にわたる差別問題に取り組みます。最近では身長が低いもしくは太っている者を合格者から除外した北京大学医学部の入学試験の実態に異議を唱えたことで知られます。 2つのことが言えます。すなわち中国においてまともな発想やまともな取り組みがどんどん広まっていること、そしてもう1つは相も変わらず、まともなものが異端視され、迫害されること。 ぼくの知り合いの弁護士の多く(13人中10人)が今年春、弁護士資格を失いました。このように規制が根強く、しかもそれが乱れているようですらあることは前々から言っていたことで、特に驚かなかったのですが、今回は直接訪れた場所や人物がことごとく取り締まり対象になり、ショックを受けました。 > 北京日記09夏2
食事日記
18日・・・朝食9時半:肉まん(花家地)、夕食20時:貴州土鍋(五道口)、夜飲22時:コーラ(双清路)、花家地泊 19日・・・朝食9時半:肉まん(花家地)、夕食18時:湖南料理(宋荘)、花家地泊 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回は日本から原稿を持っていって机でシコシコと修正したりしながらの北京生活。酒はいくぶん抑えました。北京は以前よりも地下鉄が充実していて、ぼくのような東もしくは北の五環道路を拠点にしている者は北郊を走る13号線と大江戸線みたいな10号線が便利です。以前、通県宋荘から清華大学まで行くにはタクシーを飛ばしても1時間半はかかりましたが、今は地下鉄を使うことでだいぶ短縮され、一日で回るのも余裕です。 清華大学そばの双清路界隈はかなり開発されていましたが、郊外の雰囲気を色濃く残しています。ただ、ここらへんのお気に入りのカフェが禁煙になっていたので足が遠のきそうです。 北京がどういう空気であるかは次回に回しますが、これまでに述べた延長線上にあると言えます。 いくつかの点だけ記しておきます。 ウイグル料理店・・・繁盛している所が多い。 公盟の「脱税」摘発・・・あまり騒がれていない。 マンションの再値上がり・・・あまり実感がわかない。 > 北京日記09夏1
食事日記
16日・・・夕食18時半:NH955の機内食、夜食22時:激辛揚げメン(花家地)、花家地泊 17日・・・朝食9時半:チャーハン(花家地)、昼食13時:山西料理(西駅)、昼飲15時:コーヒー(甘家口)、夕食19時:ウイグル料理(礼士路)、夜食22時半:ミートソース(花家地)、花家地泊 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 北京はひと足先に夏の盛りでした。本当はもう少し前に行こうと思ったのですが、今年は北京に最も行きたくなる9月中旬~10月初旬において、10月1日の建国60周年祭典のために北京がもぬけの殻状態になることが予想され、平年と行く時期をずらしました。 また日本でかなりバタバタしていることもあり、旅程も短めにせざるを得ませんでした。四川、湖南、湖北に行く計画があったのですが、いずれも断念しました。ただ、湖北、湖南などは中国有数の美女の産地ですから、ただでさえ暑い時期、行ったら眩暈で倒れていたかもわかりません。 暑いです。大変バタバタしております。
・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三沢さんの死からずいぶんと時間が経ってしまい、しかもその間にぼくの周辺でも中国や日本においてもいろいろな出来事があり、三沢さんの死にちなんだ文を書き終えるタイミングを逃してしまいました。 前回までで言いたかったのは、三沢さんの死がアクシデントというよりも、そうなることが運命付けられていたかのように思えてしまったことです。たとえ先月亡くなってなくとも今月かあるいは来月には亡くなっていたのではないか、といったふうに。そう思えてしまうのが最後の試合の登場シーンにおける、どことなくけだるく、体調が悪そうで、できることならもっとラクな試合をしたいのにそういうわけにもいかない、とでも言いたげな表情でした。もともと三沢さんは常々リングでけだるい表情をしているのですが、そういうことを考慮したとしても辛そうに見えてしまったのでした。 そんな時、馬場さんの記憶が浮かんだのは、三沢さんがノアを立ち上げた時に口にした「馬場さんの遺志」がいったい何を指していたかという疑問からでした。もし馬場さんの遺志という言葉が本心であったとしたら、それはストロングスタイル・異種格闘技路線と一線を画した王道プロレスなのではないかと思いますが、王道プロレスとはかたや激しい闘いあり、かたや馬場さんの晩年のような楽しい前座試合ありで、もし三沢さんが本当にコンディションが悪ければ楽しい前座試合をすることができなかったのか、との思いが生じたのでした。だとしたら断言はできませんが、プロレスラーとしても人間としても三沢さんはもっと長生きできたのではないかと。ただ三沢さんの転身は実際には難しいと思われ、そこに運命的なものを感じてしまいました。 馬場さんの晩年の16文キックに永源さんが気絶する、というシーンはとても真似できるものではありません。あれが成り立つのは、かなり長い年月、少なくともぼくがプロレスを見始めた70年代前半から20年近くも「16文キックはひょっとしたら痛くないのではないか」との疑問を頭に抱きつつ馬場さんの死闘を食い入るように見つめた蓄積があったからでした。今、そんなことが成立するのか?うすうすショーだとわかりつつ、なおかつそれがゴールデンタイムの真剣勝負として成立してしまうこと。そこに昭和という時代のよくも悪くも持つおおらかさと、平成の世知辛さが見えてしまい、死に向かって真剣勝負を続けた三沢さんが世知辛い平成の象徴にも思えたのでした。 そう考えると、他人事ではまったくなかったのです。高校でも大学でもテレビ業界でも今の仕事でも、「あの時代はよかった」は渦巻いていました。テレビ業界にいた時に特に感じたことですが、主に年長者の放つそんな与太話を耳にしつつ年長者の企画の実現のために働かなければならないことは苦痛でした。 会社に入社すると、目の前に係長、課長、次長、部長がいて、それはその新入社員のそれぞれ何年後かを表しているととれなくもありません。高度成長の頃は自分が課長の頃は今の課長より暮らしぶりや仕事の充実が得られると思えたかもしれません。ぼくが入社した頃は、そんな夢物語はとうになく、課長の姿は16年か17年後かの自分の等身大にほかなりませんでした。ぼくやぼくの一部の友人はこのことにシラケちゃったわけですが、等身大でしかなかったことさえもが今となっては幻想にほかならず、今入社すれば課長や部長は十年以上先の自分よりも恵まれていた人たち、なのかもしれないし、そもそも新入社員として入社することからして難しくなってきたのですから、ただただ世知辛さを感じさせます。 三沢さんの死からずいぶん脱線したようではありますが、そういうことを思い出させる死でもあったのです。いったんこれで終わりにします。遅ればせながらご冥福をお祈り申し上げます。 > ピン音について
7月4日に旅の指さし会話帳miniシリーズの中国編を出しました。元の指さしよりも一回り小さいサイズで、2泊3日程度の旅行に携行することを念頭に置いています。>Amazon
この本では第一部だけですが、初めてピン音を用いています。ピン音とは中国語学習の基礎で出てくるローマ字表記のことですが、ぼくはこのピン音にあまり親しんだことがありません。前にも書いたように学校で中国語を学習したことがほとんどないからでもありますが、周囲の学習者がピン音の読みに忠実になろうとしすぎるあまりに会話がつっかえてしまい、それが元で無口になる人を何人も見かけたことに違和感を感じたからでもあります。 通訳者や中国語の先生になるような一部の人を除いて話しますが、日本の人が中国語を学ぶ場合、かつては仕事で用いたい理由(ビジネスに役に立ちそうだから中国語を選択したというような)が大半だったと思いますが、その限りで言えば、誰も彼もが中国語の正確さを競うようなことは中国で仕事をする上でメリットがないのではないかとも考えていました。中国で仕事をすると言ってもいろいろですが、少し前までは圧倒的多数が日本からの出張・派遣でした。その場合、最も大切なのは現地で信頼できる中国人パートナーを探すことであり、自分が中国語を駆使して現地人のように行動することではないと考えています。中国語学習者のほとんどが語学学習の時間など限られていることを考えれば、優先すべきなのはピン音の正確さに苦心するよりも大雑把でいいからあの会話空間の全般に触れていくことに違いなく、実用性だけが重要なのではない大学の語学学習は別として、少なくとも旅の本においてはピン音や正確さを信仰しすぎたかつての中国語学習の空気を極力持ち込みたくない、そのような発想からピン音を避けてきました。 また、若い頃から中国語学習に関する本をずいぶんと読みましたが、違和感をもったのが、同じ漢字だと安易に思うと大きな失敗をするという主張でした。ぼくはこういう例にじかに触れたことがなく、言葉の違いによる衝突に見える事例もそれはすべて他の要因を言葉の違いにすりかえたものばかりでした。そもそも大きな失敗とは何なのでしょうか?手紙がトイレットペーパーだと知らないことで死んだりするのでしょうか?むしろ手紙をトイレットペーパーだとは知らないことは食事の場で周囲の中国人たちにウケて人気者になるチャンスかもしれません。ワンパターンという日本語が現地でバカという意味になってしまうことが問題だとしても、問題になるのはこの言葉だけからではないはずです。ぼくは以前上海にいたとき、この言葉が元で周囲と親しくなった経験がありました。そんなに慎重になって話す必要はないのです。たまたま日本の漢字を書いたら中国人に伝わったという体験は語学学習に勝るとも劣らない言語体験のはずで、筆談をとりわけ重視したこともピン音を避けてきた理由でした。 などなどピン音を偏重することに対する違和感はたくさんあって、今でもぼくは中国でのコミュニケーションの基礎はピン音よりも食事だと考えていますが、指さしの初版発行から十年が経とうとしている今、たとえば上記の仕事についても中国で中国人と同様に活動する現地志向の人が増えてきているように、日本人の中国との関わり方も大きく変わりつつあります。このような中で以前の考え方をもとにピン音をあえて入れないことがふさわしくないと思い始めたことがピン音を採用した理由です。このことはまたいずれ書いてみたいと思います。 4,5,6月に続き、7月に入ってもウルムチ市で住民と警官・軍の大規模な衝突があったことはニュースでも取り上げられています。
少数民族のこうした活動は昨年春のチベットに続くもので、今後いつ起きても不思議ではありません。こういうことが起こりやすくなっている意味では4月からの一連の出来事に通じるものがありますが、チベットの時と同様、少数民族の反政府活動は漢民族主体の活動とは背景もロジックも異なり、このことに違和感を持つ人は多いでしょうが漢民族を中心とした中国全体での理解が得られにくいと同時に、伝統的な活動の収束の仕方をせず、政府もより高圧的になり、激化しやすいと指摘することができます。 (三沢さんの記事はまだ途中ですが、石首市での暴動について触れておきたいと思います)
湖北省石首市で先日、現地の公安局長、裁判官家族らの麻薬密売の事実を知った市民が謎の惨死体で見つかる事件があり、市民たちが7万人という大規模な抗議行動を展開しました。武装警察や軍が大量投入され、鎮圧されたとの情報もありますが、4月の孫東東事件、5月の鄧玉嬌事件に続き、中国の物言う公民の台頭を印象付ける出来事で、きわめて重く受け止めています。 このへんには昨年訪れたことがあり、一部の雑誌で書きましたが、強盗や集団の大喧嘩に遭遇して治安が乱れていると感じていました。とはいえ今回の抗議活動はきわめてまっとうな要求であり、暴動という言い方をしたくはありません。かりに鎮圧されたにせよ、どのような処置が出るのか、見守っていきたいと思います。 前にも同じことを書きましたが、こうした出来事は来月も再来月も起きる可能性が大きいと言えます。 今回の三沢さんの死でなぜ馬場さんを思い出したかと言うと、全日本プロレスから独立して三沢さんたちが新団体・ノアを設立した時の経緯があります。うろおぼえなのですが、確かにおぼえているのは、その際に三沢さんが「馬場さんの遺志を継ぎたい」と語ったことです。このセリフに対してはアントニオ猪木さんが「馬場さんの遺志って何なんだ?」と揶揄したようなコメントを出し、意地悪な言い方だなと思いつつも確かに馬場さんの遺志って何なんだろうと腑に落ちなかったので、よくおぼえているのです。
全日本からの独立の背景には、選手への待遇問題、特に負傷時の保証が全日本プロレスでは馬場さんが亡くなった後で極端に心もとなかったことが挙げられています。プロレスラーが充実したプロレスを安心してやれる環境作りを心がけたのだと言えます。しかし、それを確保していくために、特に最近は、地上波放送打ち切りなど経営が難航する中で何とか会社を保つために最悪のコンディションの中で闘い続けなければならなかったのは皮肉なことではありますが、皮肉の一言で表すのは不適当で、目先の辛苦をこなすことが大局の目標の一歩一歩であるはずなのに実際にはかえって逆に逆に進んでいったようにも思われ、今を生きる、たとえばぼくのような人間の日常にも通じているように思えてしまいました。 プロレスというスポーツは力勝負でありつつガチンコでないことが前提という特殊な面があり、また、標準的な引退の時期がはっきりしていないことも特色だと言えます。力士・空手家・ボクサーからの転身も多いですが、要は肉体が頑強な人間がいかに生きていくか、そういった生き様の最終的な受け皿とも言えましょう。ですので、安心して試合がやれる環境を作るために新団体を立ち上げたのは正しい選択だったと思います。 ただし、三沢さん自身はそれを実現するために無理強いをしなくてはならなかったのではないのか。三沢さんは今後どういうレスラーになっていきたかったのか。ここらへんが三沢さんの死をより重く受けとめさせた何かであるように思います。(続く) 三沢さんの死がショックだったのは、よく知られている超一流のスターであった格闘家が相手の技を受けて亡くなったことにもよる(日本では珍しいことではないでしょうか)のですが、それにとどまりません。相手が人殺しをしかねないほど強烈・凶暴だったわけでもなく、その技がプロレスにおいて未完成で殺人的なものだったわけでもなく、さらにはかりに無謀だとしても挑戦的であるような勝負をして亡くなったわけではなかったこと。すなわち、今回の死がべつだん特別な戦いの上ではなかったことが重さだと言えます。
言い換えると、三沢さんがかりにあの試合で亡くならなくてもいずれ同じようなことが起きて亡くなってしまうように思えてならないのです。体が限界であるにも拘らず、自分が看板のプロレス団体の経営を背負っていて、出ざるを得ない、しかも衝撃の強い技を受け続ける王道プロレスをしなくてはならない、そんな環境である限り、死に向かって進まざるを得なかったふうに思えてしまうのです。 youtubeで最後の試合における三沢さんの登場シーンがあるのですが、これがなんとも悲しい。首か頭を盛んに気にしつつ、コンディションが悪そうで、本来なら休みたかったのではないかと思えてしまうほどに顔色が冴えません。経営が苦しくて休みたくても休めなかったのではないでしょうか。 三沢さんの師匠・ジャイアント馬場さんもまた三沢さんが亡くなったのとほぼ同じ頃に一線を退いています。けれども馬場さんはそこからが意外と長く、同じくロートル気味だったラッシャー木村さん・永源遙さんたちとともに全く緊迫感のないたのしく笑える前座試合を続けていきます。実際には知りませんが、見るからに痛くなさそうな晩年の馬場さんの16文キックで永源さんがのた打ち回るのはそれはそれでおもしろかったです。この前座試合は人気があったと思われ、馬場さんが亡くなってからも形を変えて続きました。 もしかりに三沢さんが亡くならないでそのまま試合に出続け、そのままある時期になって馬場さんのような転身ができたのだろうか、三沢さんの死のニュースを知って、まずそういうことを思いました。 目の前のやることをこなす日々です。少なくとも8月まで続きそうです。やることをやるのはいいのですが、やることをやるだけの生活は長く続けると「やる」ことを吟味しなくなります。一度気分転換が必要だと考えています。
・・・・・・・・・・・・・・ ブログの更新が遅れた理由の一つに、先日プロレスラー・三沢光晴さんが試合中に亡くなったことがあります。 ブログでプロレスの話をするのは初めてですから、プロレスとの関わりを書いておきます。ぼくは三沢さんの知り合いでもなく、ファンでもありません。ただ、かつて首都圏では全日本、新日本、国際という3つの大きなプロレス団体がゴールデンタイムにプロレス中継をしていたこともあり、ぼくのような門外漢でさえコブラツイスト、足四の字固め、サソリ固めぐらいの技を遊びや軽い喧嘩でかけたことがあります(あまりやってはいけませんね)。ぼくの年代以上の人はプロレスに関してなんらかの記憶や薀蓄を持つ人が多いと思います。ぼくのプロレス愛好はここ20年は一貫してインディーズ団体(鶴見さんの国プロとかFMWとか)、小さいころは熱心な国際プロレス&女子プロレスファンであり、メジャー選手ではジャイアント馬場さんと長与千種さんのファンでした。 そんなわけで、三沢さんの熱心なファンではありませんでしたが、ジャンボ鶴田さんの後の全日本、そしてノアの看板選手として強烈な印象を持ってみてきました。そして、今回の三沢さんが亡くなったことには大きなショックを受けました。レスラーが死の危険と隣り合わせであることは確かですが、それだけでは済まない重さを感じました。その重たさとは何でしょうか。そんなことを考えながらこの数日間は梅雨空のような悶々とした日を送りました。 5日発売の週刊金曜日のパドリック・ザックマン「天安門」に6・4の20周年に関しての短文を寄せています。機会ありましたらご一読ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 先日は映画上映のトークゲストに招かれ、終わってから短い時間だったが飲みに出かけた。われながら相変わらず酒量が多いことには呆れるが、酔ってからの振る舞いがいくぶんかマシになったのではないかと思う。自分でそう思っているだけで、誰かからそう言われたわけではないし、実はあまり変わっていないのかもしれないが、少なくとも自分ではよくなったと思う。 かりに振る舞いがよくなったとしよう。それは一人で飲む習慣がついたからかもしれない。これまで酒といえば大勢でわいわい騒ぎながら飲むものとしか思ってなかった。つまり自分は酒と孤独ないし沈黙が無縁だった。酒を飲んでいる時のコミュニケーションとしてはあまりにも一面的だったのではないか。 黙って飲むことをおぼえたことで、大勢で飲む時にも抑揚が生じるのではないか。本当にそうなのか、わからないし、そもそもこないだの飲み会で行儀がよかったのかも心もとないのだが、とりあえずそう思っておこう。 体調悪し。今週はたぶん全く酒が飲めない。 4日19時半よりシネマート六本木で張元≪広場≫の上映があり、上映後のトークに参加いたします。機会ありましたらお越しください。詳しくはこちらで
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中国では4月の孫東東事件に続いて5月は売春サービスを強要した地元役人を殺害し精神病院に拘束された鄧玉嬌を救おうとする声がネットなどで立ち上がっています。 孫東東事件に続いて、と書きましたが、両者は「一介の個人」対「政府」の、政府の横暴をけしからんと思う人々が増加していることを思わせる出来事で、きわめて類似しています。 紙媒体やこのブログでも書きましたが、今後はこのようなけっして大規模でないものの一党独裁を不安定にするような出来事が続くとぼくは考えています。規模を別にすれば、昨年の貴州での大規模な抗議運動や粉ミルク事件の盛り上がりなども一連の動きだと言えます。今の政府の管理能力を超えようとする人々の動きです。 そんな中でまもなく6・4の20周年を迎えます。ところで上に挙げた事件と民主化運動は、どちらも一党独裁の少なくとも現状の在り方に抗している点では似ていますが、両者はつながっていません。ぼくの知る限り、上で挙げた事件に関心を持ち、政府に不満を抱く人が民主化運動を支持しているとは、総じては思えません。 そして、上で挙げたような動きのone of themへと、民主化運動が収束されていき、昨年の08憲章も含めた一連の動きが、きわまてバラバラなまま相次ぐのではないかと考えています。この考え方は中国で知識人と言われるような人から時に否定されますが、現時点ではそのように考えます。 したがって6・4の記念活動自体の盛り上がりで中国の民主化をはかることはますます困難になると考えています。 > 首都圏の散歩道
今日発売の宝島7月号で孫東東事件などについて書いてます。機会ありましたらご一読ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 東京近辺では以下のコースをよく散歩します。ほかにもありますが、思いついたコースをあげてみます。 (1)鳩ヶ谷駅周辺・・・日光街道沿いは川越とともに昔の街並みが残っています。おいしいうなぎ屋がいくつかあります。日光街道から外れると無機質な新興住宅街が開かれます。埼玉を感じにしばしば歩きます。 (2)巣鴨or新庚申塚→庚申塚→掘割→板橋駅→上板橋駅or十条駅・・・旧中山道を板橋宿まで歩くコースです。繁華街やオフィス街を除けば東京で有数の活気ではないでしょうか。実に店が多いことに驚きます。さらに十条まで行って斉藤酒場で晩酌というのが1つのパターンです。 (3)池袋駅北口→西巣鴨→飛鳥山→王子・・・酔っ払った深夜限定のコースです。ほとんどが下りなので快適です。明治通りに沿うコースで無味乾燥な建物が並びますが、人通りが多く、安全感があり、また横道に逸れると昔ながらの街並みが残るところが続きます。 (4)梶原→三ノ輪橋・・・都電荒川線に沿うコースです。荒川線は王子駅前から三ノ輪橋方面の東側が大変混みますので都電をみに観光する人は乗るのでなく沿線から見るのも手でしょう。梶原から途中の町屋まであるいて40分ほどです。町屋から先は白地のランニングシャツ(もしくは上半身裸)に短パンで歩けるようなエリアです。 < 前のページ 次のページ >
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