今日発売の週刊金曜日で馮正虎氏の件で寄稿しています。機会あればご一読ください。
DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー3月号の中の『歴史に学ぶ』で、以前書いた「『韓非子』『孟子』に学ぶコミュニケーション術」の続編が転載されました。機会あればご一読ください。
考えてもみれば今年最初の紙媒体での文章発表です。本年もよろしく!
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前にブログで触れたように東京都写真美術館で開催されている恵比寿映像祭の中国作品をみてきました。3人のアーティストによる映像アート4作品の上映で、全部で98分でした。
映像アートって一体何なのでしょうか・・・・・映像アートと映画の厳密な区分けはありませんが、たとえばの話、ピカソの作品をみて主張や時代背景やらを読み取ろうとせずになんとなく作品世界を感じていくという鑑賞がアートには可能で映画には難しいのだとすれば、体感することが映像アートに対しては有効なアプローチかもしれません。今回の作品群はまさしく映像アート作品と言えます。
その意味で映像アートの魅力を存分に出していたのが梁月の≪まだ宵ながら明天≫と楊福東の≪city light≫の2つでしょうか。前者は彼氏(?)に対する若い女性の手紙文がえんえんとつづられる作品です。普通映像作品では映像がメインで音がそれにつられていくところがありますが、この作品では女性の語りが先にありきで映像はあくまで語りを説明するために使われます。テレビ業界などでは説明映像と言ったりしますが、通常はごくごくたまに挿入された説明映像がこの作品ではほとんどすべてにわたっていて、これだけ極端だと強く印象に残ります。その語りですが、30ぐらいの都会の女性のやや屈折した感覚なのでしょうか、はっきりとした物語はわからずとも何かを感じます。女性のものうげな声のリズム、そしてえんえんと展開される風景。これらは中国の映像に接する際にぼくがしばしば快感を感じたような映像的瞬間のエッセンスを集めたものと言えましょうか。おもしろく見ました。
もうひとつの楊福東の作品は彼の作品全部に照らしてみるとあまりインパクトを感じませんでしたが、アジアの中で一定の地位を占める彼ならではの水準を感じさせる作品だとは思いました。
総じておもしろかったのですが、上で述べたおもしろさとはやはり中国の映像作品にまつわるおもしろさだったかもしれません。その意味では70年代のおもしろさ、上海のおもしろさ、のような作品選択のコンセプトに裏打ちされたおもしろさだったかはなんとも言えません。コンセプトに忠実だったのはむしろこれ以外の2作品だったようで、いずれもあまりおもしろく思えませんでした。宙ぶらりんな70年代、上海の都市生活のようなテーマはなかなか文化現象として圧倒的な面白さを獲得するのは難しいことで、そんななかであえてそうしたものを取り上げていく試みは今後もっとやってほしいと思います。あとひとつ思うのは、70年代都市世代の作品にはよくナンセンスな映像(ひたすら空き缶をゴミ箱に投げるような)が出ますが、これは日本ではアートよりもバラエティ番組の方がおなじみだし、作品の成熟度も高いと思います。宮沢章夫の『80年代地下文化論』という刺激的な本にこうしたギャグがアートだった頃の日本が描かれてますが、その後のバブルやらなんやらで日本ではアートとして上海でのこうした試みに共感する背景がなくなったかもしれない。そんなことを考えたりしました。