食事日記
21日
朝食8時半:臨泉県・常坤宅
カロリーメイト×4(朝食がないと考えて食べてしまう)、ウリ炒め、大根漬物、粥
昼食14時半:臨泉県・常坤宅(常坤、立人郷村図書館・黄彬さん)
白酒、ピーナツ、ハムと香菜、鳥鍋(シイタケ、カリフラワー)、豚の耳、魚団子鍋、マントウ
夕食20時:阜陽市・粥店(常坤)
たまご鶏粥、白酒、農家鶏炒め、ニガウリテンプラ、チジミ
阜陽泊
・・・・はや二月で日本ではすでに正月気分も消え失せているでしょうが、旧正月を控えた中国は今が年末気分です。今回大陸を訪れた1月20日前後にはあちこちで年末の締めの会議が開かれ、「来年はもっと良い年に!」などと叫ぶのが聞かれます。
臨泉県の社会教育施設・常坤之家でも年末会が開かれ、顔を出します。農村出身の高校生たちと座談会を行なうのも二回目。前回尖閣諸島の話題が多かったですが、今回は慣れもあったのか、「臨泉県で観光を盛んにするために何かアドバイスはないか」など、より突っ込んだ話が中心で、他にも以前はお客さん気分が濃厚だったのが施設に対する提言を寄せたり、本の整理の志願者を買って出る子がいたりと、社会参加教育としての常坤さんの試みはそれなりの成果を挙げているようで、高校生たちの精神面での成長の早さに驚きます。
図書室の利用者も高校生だけでなく中学生や小学生など幅が出てきています。図書館や書店がない町でこのような施設がどれだけありがたいことでしょう。人口でいえば大分県+宮崎県全体に匹敵するエリアで本を読める施設がなかったわけですから。ここも暖房がなく、座っているだけでも凍るような寒さなのですが、向学心が勝ります。
座談会には近くの市のテレビ局が取材に来たので、社会活動は中国でもよくされるようになっているが、北京などでなく地元でやることがいかに重要であり、いかにやられてこなかったかについて話しました。
ここは白酒や料理のうまい土地であり、前日の銭湯もよかったので、本来はもう一晩泊りたかったのですが、周辺一帯が悪天候ということもあり、翌日の飛行機で広州に戻るので、昼食後に臨泉県を後にします。次回は春でしょうか。
(教育施設・常坤之家の前の光景です。いかに乱雑であるかがうかがえると思います)。
臨泉県は行政上は阜陽市の郊外という位置づけであり、阜陽市まではバスで1時間ほどです。「阜陽没有共産党」などと言われ、臨泉県と同じく雑然とした雰囲気の町です(臨泉よりは落ち着いてます)。寒いこともあり、さっさと寝ました。夜は吹雪のような霧に覆われ、高速道路は翌日まで閉鎖されました。
22日
朝食8時半:阜陽駅・麺のファストフード店(常坤)
辛拌麺(三分の一残す)
昼食15時半:MU5225便の機内軽食
パン、カステラ風お菓子、昆布の漬物
夕飲20時半:広州・珠江沿いの高級マンションの32階(モデル関係者の鄭暁軍さんおよびモデルたち12人)
果物少し、ケーキ一口、ワイン、
夕食23時:江南西(作家・野渡さん)
粥・サンマ焼き、牡蠣バター、白酒
広州泊
・・・・合肥経由で広州に戻ります。夕方知り合いのモデル関係者の年末パーティーに参加します。臨泉県の雰囲気とはあまりにも異なります。
以前肩書きも書き手としての実績も全くなかった頃、中国の友人はぼくを他人にどう紹介したらいいか、みな苦心していました。中国の人が肩書きをとても重視する面があるからで、「日中友好活動家」だとか「民間研究者」だとか「アジア放浪者」のようなさまざまな言い方がなされました。そのうちの一つに「日本の美女評論家」というのがありました。この肩書きは独り歩きし、やがて本当に中国で美女評論家の仕事をしたこともありました。