昨日より4回、神奈川大学外国語学部中国語学科で現代中国に関して講義します。時事知識や中国論よりも、いかに中国に向き合うか、その参考になることを目指します。学生のみんなが将来いかなる進路を歩もうが、中国や日本や日中関係と向き合うはずです。これから中国や日中関係と向き合い始める若い人に向かって話をする機会はとてもありがたく、気合いを入れて臨みたいと思います。
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食事日記
5日
朝食8時半:そこらへんの食堂(潘兄さん、藺其磊弁護士)
大豆粥、包子、水餃子
昼食12時半:そこらへんの食堂(潘兄さん、藺其磊弁護士一家)
ピーナツ、紅焼豆腐、エンドウ炒め、ビール、刀削麺
夕食18時半:常坤の家(常坤の両親・弟妹、潘兄さん、藺其磊弁護士一家、イ族の青年・小軍)
ピーナツ、鳥唐揚げ、豚耳と大根、ロバ肉炒め、ハムタマネギ、魚の辛煮、トウモロコシスープ、白酒
臨泉県泊
6日
朝食8時:そこらへんの食堂(潘兄さん、地元の建材商・楊さん)
水餃子、卵スープ
昼食12時:師範学校そばの特色菜館(潘兄さん)
紅焼排骨、天ぷら入り青菜スープ、ジャガイモ千切り炒め、小面粉、ビール、面葉子
夕食19時:阜陽市内レストラン(潘兄さん)
米せんべい、きくらげの香菜の麺、モツときくらげの鍋、白酒
車中泊
臨泉県でのシンポジウムは中止になり、60人近くいた出席者の大半は4日に帰途につきました。ぼくたち数人が残って派出所や病院に行きます。他に行く所もなければ、警察が情報発信を警戒していたこともあってインターネットも使えず、手持無沙汰な日々でしたが、その分ゆっくり話をする機会に恵まれました。下の写真は中止になったシンポジウム会場での記念写真です。集まった人の数のぶん、物語があります。
2日の夜に同室だったのはイ族の青年・小軍です。貧しい農村の出身で、勉強好きだったのに大学に行くことができず、10代半ばから家族を支えるべく出稼ぎ労働をします。チベット・ネパール国境の道路建設工事現場に1年半、新疆の石油工場で1年労働しました。貧しいながら節約生活で少しずつ貯金し、念願の大学に働きながら通い、夢だった小学校の音楽教師の試験に合格するも、身体検査でエイズ感染が発覚し合格を取り消されます。泣き寝入りしたくないからと合格取り消し処分の不当を訴え、出稼ぎ労働をしつつ最近裁判が始まっています。絶望的な現状ですが、唄が大好きで明るい性格です。イ族の唄がとても上手な好青年です。
派出所でひとときを過ごしたのは新蔡市の農民・王小巧女史です。夫婦そろって製紙工場で働いていましたが、水質汚染がひどくなったために工場は閉鎖、なんの保障もないまま解雇されました。そんな矢先、夫が薬害エイズに罹りましたが、その保障もなく裁判に訴えようとしても地元政府が制止、それでも訴えようとして1年余り刑務所に服役しました。最近ようやく裁判が始まっています。大地に根を下ろしたような、たくましく、目がとても綺麗な女性です。ブログで権利意識の目覚めを書き綴っています。
そして今回の旅で最も印象深い潘兄さんです。江蘇省北部のある都市で発電所に務める労働者です。月収は2000元を下回り、娘を大学に進学させるのに随分と苦労したと語ります。これまで一貫して社会のためになりたいと願うもののその機会がなく、発電所のモニター監視の人生を30年近く続けてきました。或る日、ラジオで、安徽省臨泉県で常坤が地元青年たちに無料で図書やインターネット環境を提供するのを知り、思うところあって月収の10分の1以上にあたる200元を毎月寄付し始めます。今回のシンポジウムには家から会場までの500キロを歩いてやってきました。夜も寝袋で野宿したため、ご覧のような重装備です。
10日もかけてやってきたシンポジウムが中止になったのは残念だったでしょうが、ぼくとしてはおかげで彼とじっくり話すことができたのは不幸中の幸いでした。本来ぼくは常坤と一緒に寝泊まりするはずでしたが、彼は入院したので代わりに毎日朝から晩まで潘兄さんと一緒だったのです。これまでの人生などさまざまな話題に触れました。
ぼくが中国の市民社会や民間の力に注目するのは高名な学者や偉大な政治家の説に基づくものではないし、中国政府バッシングのためでも中国政府ヨイショのためでもありません。彼らのような地に足のついた人たちが起ち上がりつつあることの確かな実感からです。薬害・売血のエイズ感染者は数百万人、B型肝炎に感染して不当な差別にさらされている人は一億人近くいて、共産党員の数を大幅に上回ります。年々彼らの権利意識が高まり、他人の権利を大切にする意識も目覚めつつあること、病気は不幸に違いありませんが、他方で新しい生き方の扉でもあったのです。そして、潘兄さんのごときけっして裕福でない庶民の、わざわざ歩いて会場に赴くような見返りのない奉仕の心。こうしたものがある限り、そして入国を拒否されない限り、大陸の旅は続きます。