公園に一人で行くということはぼくの場合、なかなか難しい。誰一人いないことが確実に予想される公園(たとえば大雪の日の公園がそうだ)だとか、あるいは同じにおいのする男をそこら中で見かけるならば話は別だが、東京の公園と称される場所でそういうところは少ない。錦糸公園などに一人でいると「仕事があるぞ」などと盛んに声をかけられ、そうしたタイプの男がこちらに目をくれるだけで落ち着かなくなる。あるいは公園にいる人間が女子高生三人組とぼくだけであったり、またカップルとぼくだけ、さらには幼児連れとぼくだけてあったりすると、警戒の視線を感じることもあり、とたんにいたたまれなくなるが、これなどはぼくがあれこれと発想や空想をめぐらせた因果なのだろう。そう言えば、平日の昼過ぎに住宅街の公園にいて、職務質問を受けたこともあった。
一人で風景を見やりながら茫然と過ごす行為をたびたびやりたくはなるが思ったほどその空間に恵まれず、あるいはそれはぼくの濃度の問題なのかもしれぬが、自分と似たような種族をもっと頻繁に公園で見かけてもいいのではないかとも思う。今日は16時過ぎに起床。外はまだ光が残っていた。明るいうちに外に出るか出ないかで一日の充実感がまるで異なるのを知っているから、ふらふらと外に出て、足は自然と隅田川の川べりに向く。家から駅とは反対方向に徒歩で五分。ここは青カンがいる上に、黒づくめの服のヤンキー風中学生とたんなる観光客、それにジョギングをする老人たちが共存していて、過ごしやすい場所である。青カンの人からはしばしば「絵描きさん」と呼ばれる。