最近発売の『新潮45』12年1月号で映画『運命の子』(チェン・カイコー監督)のレビューを書きました。
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食事日記
12月1日
朝食7時半
・・・卵、水餃、カリフラワー、玉ねぎ炒め、豚炒め、麻婆豆腐
昼食12時半:綿竹市NGOオフィス
(秦家坎村・楊運金組長、王玲女史、葉方舟青年、曹マダム)
・・・青菜スープ、セロリと豚干し肉、豆苗ときくらげサラダ、豚肉炒め、ネギと豚干し肉、白酒
夕食18時半:遵道鎮・王玲家庭
(秦家坎村・楊運金組長、王玲一家、葉方舟青年、曹マダム)
・・・激辛鶏炒め、血豆激辛煮、干し豚肉、卵スープ、野菜スープ、激辛ビーフン、回鍋肉、白酒
綿竹泊
2日
朝食7時半
・・・卵、水餃、カリフラワー、キャベツ・レンコン炒め、ホウレンソウ炒め
昼食11時半:綿竹市外れ、羊鍋店
(王玲女史、彼女と幼馴染の運転手、曹マダム)
・・・激辛羊鍋(羊肉・羊皮・白菜・大根)、白米、クコ白酒
夕食①18時半:CA4389便機内食
・・・ニンジン・レンコンサラダ、豚肉ごはん、ミカン、ピーナツ、コーヒー
夕食②20時半:深圳・宝利来ホテルの飲茶レストラン
(旧友の劉さん、無錫テレビの2人)
白切鶏、鶏スープ、カキフライ、ウナギフライ、牛肉炒め、麦飯粥、ウイスキー
夜飲22時:付近
(旧友の劉さんほか)
ウィスキー、果物、粥、焼餃子1枚
深圳泊
四川省綿竹市周辺は四川大地震発生からまもない08年7月以来、ほぼ半年に1回の割合で通っています。被災地はもとより被災者でありながら志願者、そしてNGO職員として復興事業に関わる人に注目してきたからです。
被災地としての綿竹市は今後新たな局面を迎えそうです。豊かな江蘇省を中心とした他の省の支援が中心の建設事業はある程度完成を見せています。いまだに建築が進んでいないエリアはもともと支援が少ないエリアで、今後それほどの開発事業は行われないと思います。
(上の写真は蘇州市の支援で立派になった年画村です。観光を新たな売りにして兼業農家が発展することが期待されています。)
綿竹市周辺で言えば「地震が起きたことで10年分の発展を3年で成し遂げた」とあちこちで言われることを前回の日記(11年4月)で述べましたが、今後は復興が進んだエリアについて言えば、いかに産業(観光など)を発展させていくかが鍵で違いなく、また復興が進んでいないエリアはいかにして発展の経路(スポンサーなど)を作っていくかが問われています。NGOで言えば、当初一部の農村でNGOの支援を受け入れたのはそのNGO団体の計画や抱負に村民・村政府が賛同したこともあるでしょうが、それ以上に海外基金などの支援金が入る魅力があったに違いなく、今後支援金が減る中で今まで通りNGOとやっていくのか、それとも別のやり方を探っていくかに迷っているわけです。
被災地としての変化は以上の通りですが、NGOと関わる中で別の面での変化にも関心を持ちます。食事日記でしばしば名前を挙げた「曹マダム」。40歳で高雅な雰囲気を持つ四川女性の彼女はもともと温州市など沿海部で食堂経営・食堂従業員などの出稼ぎ労働をしていた人で、このNGOにはコックとして入ったのでした。ぼくはこれまで事務所に行くたびに彼女の作る家庭料理に舌鼓を打っていたのですが、今回来て驚いたのはその彼女がいつしかNGOスタッフになって現地報告書や会計を手掛けていることでした。「収入はやや下がりますが、とてもおもしろい」ということで、事務所が什邡市から綿竹市に移転してこともあって単身赴任でNGO職員をやっています。もともと明朗で世話好きの人ですし、出稼ぎ経験も豊富な地元出身者なので大いに活躍するのではないかと思います。そして、コックとして入った出稼ぎ経験者がいつしか村づくりに奔走するこの国のNGOの魅力に触れた気になったのでした。
四川では以上のことが印象的でしたが、実際には1日、2日とも昼間から酒を結構飲み、ふらふらだったのをおぼえています。今書いたようなことは成都を離れる飛行機で考えていたことでした。
綿竹市郊外・漢旺は被害の甚大だった場所です。被災当時の姿を見ることができます。左の山波が震源に連なる所で、地震は山から来たのでした。