風邪気味のため更新やや遅れております。
食事日記
10日
朝食8時:広紙路の小麺館
痩肉粥、目玉焼き
昼食12時:朝と同じ店(熊柳茵女史)
煲仔飯、鶏スープ(熊女史手製)、八宝菜炒め
夕食20時:東海鎮、そこらへんの食堂
炸菜肉絲麺、スーパーで買った麻辣ソーセージ、熊女史のくれた果物、ブランデー
東海鎮泊
この日から陸豊県東海鎮にある烏坎村に行きます。土地の売却に反発した村民が数ヶ月にわたりデモを繰り広げ、村長を追い出して政府と無関係に民選選挙を実施、結局広東省政府(中央政府も)が村民の意向に従い、民選選挙を支持したという最近注目される村です。
11日には改めて選挙があり、それに合わせて行く形になったのですが、実はもともとは選挙があることを知らず、村民たちが自主的に作った図書館に友人たちから渡された本を寄贈するという違う目的で訪れたのでした。その件と、中国の市民社会と多少の関わりのある者として、烏坎村の村民たちに敬意を払い、一度拝見してみたいというのが今回の訪問の動機です。ただ、たまたま選挙があったので、見てみようと思いました。事前アポなしで向かいます。
東海鎮は夜はこんな感じです。ここから三輪タクシーで15分ほどの所に烏坎村があります。
前の日、夕食の席で、中山大学の何博伝教授が「選挙はなんら目新しいことではない。いまや至る所で行われている。意義があるのは村民たちの抵抗精神だ」と言われていましたが、この言葉には後々納得させられました。
11日
朝食6時半
出前一丁、果物、麻辣ソーセージ
昼食12時:烏坎学校・村民用弁当
(呉さんほか)
チャーシュー・から揚げ・卵焼き・白菜炒めが載ったご飯
夕食17時半:烏坎学校・村民用弁当
(村の子供たちほか)
ササミ風肉・紅焼肉・手羽先・卵・白菜炒めが載ったご飯
夜飲21時:烏坎村の商店ほか
白酒、インスタント辛麺
東海鎮泊
朝7時すぎ出発。三輪タクシーに乗りながら警察のワゴン車に抜かれます。1台、2台、3台、4台。いずれの車も10人ほどの警官が乗っています。やがて会場となる学校に到着。警官が100人はいました。
入口にメディア受付というのがあり、記者証を持っている人はここで記者用の名札をもらえるのですが、当然ぼくは記者証などありませんから入れません。昔ながらの中国取材の常です。その場で出会った村民の1人がそのことに憤慨して「付いて来い」とぼくを連れて中に入れようとしましたが、十数人並んだ武装警官に止められて入れません。そんなこんなで選挙は9時から始まりましたが、ぼくは10時近くまで会場前にいました。
確実に取材を遂行するのであれば事前に手回しする必要がありますが、いざという場合に備えて事前に村民を紹介してもらったものの、あえてアポを取ってスムーズに入る手回しはしませんでした。正規の記者であればそれは必須ですが、ぼくは旅人ですし、そうまでしなくては取材ができないのであれば、たいして昔と違わないじゃん、そう思って旅行者がふらり訪れるスタイルを取りたかったこともありました。
ただ、入場できないままでは困るので、村民に連絡します。彼を通じ、ぼくの素性を知る村民が次第に増え、みなぼくの訪問を歓迎してくれました。もちろん政府職員や武警は除いて、です。
時間が経つと投票に来た村民たちが増えてきます。おばさんたちはぼくともう1人、国内のフリーの方が入れないのを知ると、「そんなのおかしい」と政府職員に詰め寄ります。今回の選挙は半官半民で、会場の出入りは政府が仕切っていたのです。村民はやがて武警にも詰め寄ります。
村民が会場前で政府職員や武警に詰め寄っているところです。やがて彼女たちはぼくを囲み、強引に中に入りました。武警も手を出さず、あっけなく入場できました。
中の様子です。左にテレビカメラを構えた外国人記者がいます。当初、この先に入ることができたのは政府系メディア(地元の)に限られていたわけで、それに従って取材しているわけです。記者の方々はおとなしく従っていましたが、村民たちはこの取材規制にも抵抗します。「不公平だ!」ひと悶着を経て、最終的には誰もが投票所の方まで行ってよいことになりました。おそるべき村民たちだと思いました。
やがて投票が終わり、集計が始まります。政府職員が集計を担当する所では、政府職員が不正を行っていないか、村民たちが後ろからノートを取るなど厳しくチェックします。たいした混乱もなく、きわめて秩序正しく選挙は進行し、夜8時半に終わりました。村民たちは選挙が夜中までかかると予想していたため、政府への監視活動を輪番で徹夜覚悟で行う計画だったそうです。
何先生が言われたように選挙そのものは政府も入ったただの選挙でしたが、村民が政府を監督・監視しているところがおもしろかったです。たぶん今後また行くでしょうし、いろんなところで烏坎について書くと思いますが、取材規制に対し、記者ではなく村民たちが抗議をすることで解き、一切自由にしてしまうなど、日本はもちろん欧米でも実現できないことができてしまうところに感心しました。