食事日記
4日
朝食7時半:潘さん家庭
豆乳、ザー菜、卵マントウ、牛肉とピーマンの炒め、
昼食13時:潘さん家庭
(潘さん一家、翟紅明さん、常坤さん)
キュウリ、レンコン、ハム、川魚煮、きくらげと青梗菜炒め、豚肉の煮付け、牛肉とじゃがいもの炒め、洋河養命酒(地酒)
おやつ19時:清真寺前(翟紅明さん、常坤さん)
シシカバブ5本
夕食20時:ファストフード的な地元包子店(翟紅明さん、常坤さん)
包子、水餃子、鶏絲湯、白酒
淮安泊
この日は淮安中心部の名所を歩きます。淮河や京杭大運河をはじめ大小さまざまな川が流れるこの町は、まさに水の都とでも言うべき所で、至るところに水が流れます。かつての港の址などの史跡に水上交通の繁栄ぶりがうかがえます。
ただし、水資源が豊富であることは驚嘆するばかりですが、他方で「水の都」などというからには現代の生活が水とともにある、ベニスみたいな独特の暮らしがなければなりませんが、川辺の家というのは朽ち果てた所ばかりで、一方近年は川辺の見晴らしのよいところでマンション建設が進むなど、「水の都」らしさが年々薄らいでもいるようです。
ここらへんは民国時代まではずいぶんとにぎわった所ですが、解放後、年々朽ち果ててきたと言います。
こうなると史跡の記述はそらぞらしいばかりで、必死に碑文を読む常坤を尻目にぼくはずんずん前を歩きます。こういうそらぞらしさを中国では「假的(ジャーダ、にせもの)」と言います。前著でも書きましたが、ぼくが中国にいると「こんにちは」と同じぐらい頻繁に耳にする言葉です。
昼食の席で以上のようなことを話します。地元の人もそれは分かっていますが、地元の人が分かっていても変わらなかったのがこれまでの中国です。ある人は「中国が民主化して、ここが本当に水の都の景観を取り戻すのが夢だ」と語っていましたが、民主化と水の都という、一見無関係に思われる両者が不可分なのも、住民に街づくりの権利も資金もないところから来ていると考えることができます。
今はまだ水の都らしさが残っていますから、早いうち街の魅力を取り戻してほしいと思いました。
5日
朝食7時:潘さん家庭
白粥、ザー菜、マントウ、
昼食13時:盰眙県・龍蝦料理店
(潘さん、翟紅明さんと彼の友人2人、常坤さん)
ジャガイモたまねぎとモツの水煮、干し牛肉、レバーの醤油煮、河蝦(小)炒め、どじょうの酸辣湯(胡椒味)、鯉の辛煮、肉団子・トマト・キクラゲスープ、鶏の辛煮、卵・ネギ炒め、青菜炒め、龍蝦、白米、白酒
夕食20時:潘さん家庭(潘さん一家、翟紅明さん、常坤さん)
ピータン、牛肉ハム、きゅうり、臭豆腐(残す)、ピーナツ、豚耳、ジャガイモと鶏のスープ、玉米粥、白酒
車中泊
7時半に出発し、郊外に出かけます。盰眙県は明を建国した朱元璋の先祖のお墓(明祖陵)があります。黄河が進路を変え、淮河を乗っ取ってしまったことによる洪水の影響で1680年に水没し、実に300年後の1970年代に発見され、80年代から修復がなされました。上下の写真のものはいずれも300年間水没していたわけです。
こういうとてつもない長い時間の話に触れると、前日の淮安の問題も、長い期間で解決されていくのではないかと希望が開けてきたりもします。民主化や市民社会というものも、300年ぐらいのスパンで徐々に変わっていくうちの、そのうちの2,30年間という一部分に向き合って生きていく態度、そういうものが自分に求められているのではないか、などと思わされました。歴史・広大な空間に身をおいた自分のちっぽけさをしみじみと味わい、勇気付けられます。墓参りシーズンの連休ということもあって、大勢観光客がいましたが、そんなことを考えながら歩くのはぼくだけではないか、などと苦笑したりもします。
写真の手前の小川は陵墓に至る運河で奥の広い方は洪沢湖の河口、対岸に見えるのは対岸ではなく、水面下に築いた城壁で、河口はその先にもえんえんと続きます。海の河口のような光景でした。
盰眙県でもう一つ有名なのが川エビです。龍蝦と言い、味は海のエビによく似ています。大変高価らしいこのエビをたくさん頂きました。白酒の酔いも進み、いよいよ淮安を離れます。