市場で値切り交渉することや食事代を切り詰めることを生活感覚と呼ぶのであれば、ぼくはこの種の生活感覚に欠ける。旅先で値段交渉をしたことは少なく、交渉した場合もただたんにどう交渉するかが知りたくて言い値の10分の1にまけさせた上でその11倍を払ったりする。もっともたいがい現地の人と一緒なのでふっかけられることは少ない。
日本でもそうで、タクシーで初乗り運賃分しか乗らない時、運転手の話がおもしろければ1000円札で釣りを受け取らぬ場合がある。金持ちだとしたら嫌味な行動に映るが貧困層にランクされるはずなのに、カネを浮かす努力をしない。
祖父は複数の後輩に家をプレゼントしその結果、実家は家がなくなったという。
逆にカネを均等に切り詰める発想がわからない。持ち金が1万円しかなくそれで1週間過ごすことがあったとして、1回の食費を~円以内に等分して抑えるとしたらどの食事もその制約だけで味気なく思えてしまう。あえて高めのものを食い続けてさっさと一文無しになるか、あるいは毎日パンの耳ばかりかじって大切な人との食事だけ存分に贅沢するのがいい.
無一文や多額の借金を抱えた状態を知らないことは一部の人にとって不幸なことかもしれない。実際を知らずに想像することはとてつもなくおそろしいが、なったらなったでどうにかなると思い続け、実際にそうだった時期が幾度かあったが不幸のどん底には落ちなかった。そういうわけで、ある種の生活感覚が欠如していて、これを悪いとは思わない。ただし、カネはいっこうに貯まらない。