日ごろ新聞を読まない(高二以来読む習慣がなくなった)というのは、毎日デイリーに読む習慣がない、というだけのことで(ただしスポーツ新聞と夕刊紙は読む)、資料としての価値はきわめて大きい。新聞がメディアの重要な機関だとは少なくともぼくの生活からは思えないが、「歴史の第一稿」を書く人たちであることは間違いなく、さらにいえば自分がある出来事になんらかの反応を示す場合に「他人はどう考えているのだろうか」と様子をうかがう手段としても有益であろう。ただしこれらの機能はネットに取って代えられるものかもしれない。
東京不在中の各紙の中国報道(デモ関連)を資料として読み始めているが、読むスピードがとても遅く、一つの記事に数時間かかったりもしてなかなか先に進めない。今のところ全てに目を通したわけではないので何とも言えないが、いくつか感想のようなものが生じてきたのでここで書いていくこととする。
(1)デモの様子などは新聞よりもネットの方が早いし複眼的なのでここまでは不必要かと思った(ぼくとしてはデータとしても参考にならない)。
(2)政府のやりとりなどはどこも似たようなことを言っているので共同通信の取材だけでよいと思った。そのぶん他の取材(中国の有識者のインタビューとか)に時間を割くべきだっただろう。
(3)各紙とも特派員が全員日本人であることが薄気味悪い。在日中国人、在日欧米人の中国特派員を増やしたり、北京支局でアルバイトをする中国人を記者として用いればもう少し正確な空気が伝わったのではないかと思う。全員が日本人であることは特派員たちにとってもマイナスではないか。
(4)とりたてて中国支局を設けなくてもいいのではないかと思われる大手紙があった(共同の配信でいいかと。ちなみにそこはS紙ではない。ぼくがS紙を嫌いだとうがった見方をする人がいるがそんなことはない)。
(5)中国と日本の反応ばかり書かれているが、ぼくとしては世界各国の反応をむしろ知りたかった。もしかしたらそういう記事もあるのかもしれないが、それでも分量は少ないものと思われ、デモの様子(ルポまがいの記事など読みやすさ、という以外に何の役にも立つまいし、はっきり言ってテレビに負けている)などよりはこちらに連日一面ほど割いて詳細に記録して欲しかった。
(6)反日教育をやっていることを非難するのもいいが、中には中国共産党の政権維持を望んでいるとしか思えないものも多数ある。この政権がはたしてあとどれぐらい持つのか、などとも言われる中で、本来は中国共産党=反日教育、民間=親日、という方向に持っていくのが筋だと思われ(かつて学校がいかにアメリカの文化の移入を非難しようが生徒たちが憧れていったように)、メディアの論調はこの反対、反対へと事態をなびいていると思う(中国共産党に責任持って民主的な反日勢力を弾圧してもらいたい、という方向になびかれることを最も危惧する)アメリカと較べた場合にいま求められるのは反日の是正よりは親日の育成にほかならない(反日を是正しても親日は育成されず、たとえばいま、反日的な施設を廃止することを自分は反対しないが、それを求める上ではただでさえ無味乾燥な空間でしかなかったこれらの教育やスポットが変な意味を持ってしまうことは覚悟せねばなるまい)。反日ばかりに焦点が当たる論調に根本的に疑問を持っている。悲しむらくは親日がなかなか出てこない(こうした時期に表面的に)ことで、このことをデモ以上に重く見る視点が必要だと思った。反日は時間が経てば収まるが、親日の芽が出ないことは時間が解決してくれるとは限らない。その意味で祖国を愛し誇りを持つ自分としては不満の残る内容だった。