孤独というのが自分のことを誰もわかってくれない、自分の周りに誰もいない、ということなのだとしたら、あるいはぼくは孤独でないかもしれない。
けれども、孤独、というのは少なく見ても二種類あって、今挙げたようなものばかりでなしに、世の中が自分の理想とするものと反対、反対へと流れていき、それに対していろいろ言動を示してもさっぱり力にならず、そんな自分すらもが自分がよしとしない流れに引っ張られているのではないか、などと思う時にも感じるものだと言え、これは疎外感とも言う。一人ぼっちの孤独は出会いによって乗り越えられるものだとしても、疎外感は向かい合う相手がデカすぎることもあって、時にひどく無力感に陥る。たとえば今日のような雨の日の薄暮の折の時報、などというどうでもいい事象に触れて募らせたりする。
このように思う時は外の天気がいかに荒れていようが外に出るのがよい。たとえ百回歩いて何も見つからずとも百一回目には見つかる、と考えること。それが、まだ見ぬ友を探して、という意味に違いあるまい。