7月8日発売の「週刊金曜日」の連載「北京の今日 中国の明日」で、第9回「今、党で起きていること」を書きました。
7月9日発売の「中国語ジャーナル8月号」(アルク社)の連載「素顔の中国人」で、第5回「反日と親日」を書きました。
機会あれば、ご一読くださると、幸いです。
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英同時テロのようなこと起こした側の言い分に十分な説得性があったとしても、彼らのテロを肯定することはできない。それは彼らの闘い方に非があるからである。9・11の時も、ブッシュを狙った(といわれる)テロ隊だけが不成功に終わった、というのはやりきれないものがあり、本来ならば逆でなければ(つまりブッシュだけを狙い、ビルなどは狙わない)ならない。今回も狙うなら地下鉄やバスなどでなしにサミットそのものではないか(もちろん、権力者を殺したことの非、あるいは彼らの主張の正当性などはそれはそれで問う必要があろう)。
同じことは反日現象についても言え、暴力を「愛国無罪」などで済ますことはできず、そこにいかに理由があろうが無差別に日本人を狙う行為は彼らが声高に否定する論理そのものにほかならない。どうしても狙うなら小泉やそれに類する対象を狙うべきだろう。無差別であることは殺人という以前に個人に対する挑戦であり、それは殺された人を殺したことにとどまるものではない。
もちろん、テロが本来無差別的なものであって、またこうしたものがそれなりに相手国の世論に影響を与えることは確かでも、無差別的なものにとどまる限りは結果として世界のアメリカ化を進めることにしかならない。当事者でなくこれに感想を持つ方としては、今回のテロがいかに間違った行為であるかを、アメリカ的とも旧来の人道主義とも違う語り方で確認する必要があると思う。さもなくば、テロに間違えもへったくれもない、という反動的達観がはびこることにもなろう。
しかし、時代は逆に進んでいるかもしれない。かりにブッシュをやろうが市民をやろうが同じく殺人として処理される、というふうに。