「我慢をして働いてきたことは偉いと思うよ。でも、時には我慢をしないことも我慢だと思うんだ。毎日毎日がそれで慣れてくると、新しいことに手を出すのはきっと億劫だし、時には勇気の要ることに違いない。だから我慢している方がラクだったりもするのだけど、それをあえてそうしないようなことも時には必要だし・・・・要は縁なのだろうけどね、自分がどうしたいかの言葉は振り返ってみてはじめてわかるものだろうから」(池袋でIさんに話す)
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中央線沿線に住むとなぜ苦痛なのかを考えてみる。ぼくの突飛な思い付きではなく、たとえば友人の話によれば、官民一体でなぜ中央線ばかりで自殺が多いかの研究が進められているそうだ。味気ないホーム、画一的に見えてしまう客層、同じような駅、無味乾燥な放送の声、そしてグリーン車もなく老若男女・貧富の差を問わずラッシュを避けることのできない電車。そのどれが理由なのかはよくわからないが、都営浅草線あたりから中央線に乗り換えると殺気のようなものを常々感じる。そして、なぜだか「運命」の二文字が頭をよぎる。