たとえば、あの時代、学業を続けるお金もなく、家が借金地獄で苦しんでいたとしよう。クラスメートと向かいあえば、おそらく自身の貧困が身につまされるはずである。
ところが、いざ、自分を国の中の一人だととらえる機会、たとえばそれは「うち」でない人と対峙した時だとか、さらには自意識の中で発想する場合にも起こりうるのだが、そのような場合に、
その人は自身が貧困であることも忘れて、自分を「中流階級」だととらえたに違いない。
そこにもあの時代の不幸をおぼえる。
そして、あの時代、その人には自分を語るべき言葉がなかったのだ。
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プロ野球のMVPはスポーツ記者の投票で決まるが,投票する記者をもっと前面に出して、たとえば誰になぜ投票したのかを名前を明示した上ではっきりさせ、公開すべきだと思う。こういうことがかりにできないとしたら、それをできなくさせるものとぼくが上で述べたものとはけっしてまるで異なるものではないはずである。
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今日はとりたてて書くことがなかったので、上記のごとくたまに考えることを書いておいた。とりたてて書くことのない日というのがある。何もやっていないわけではないのだが、やっていることを書く気になれないのである。なぜだかはよくわからないが、疲れているのかもしれない。