友を見つける活動を行ない、昼過ぎに銀座のよく行く喫茶店で文筆家の孫女史と歓談。すぐれて自由な発想の持ち主であることに加え、比較的スタンスが近いことがわかり、勇気づけられる。
このブログを読んでくださったらしく、ぼくがたまに触れる男女間の友情の難しさにも話が及んだ。
感情は明解にそれを語れる落とし所を常々求める。だから、実際には恋愛でなくても心情がその落としどころに行き着くこと、すなわち恋愛だと認識することはきっと多いはずなのだ。ましてや「恋愛をしないと」のコンプレックスのようなものも左右するかもしれない。恋愛が幾多の人間関係において余りにも重視され過ぎる構造があるために、それ以外の人間関係、たとえば男と男、女と女、男と女の友情が軽視されすぎる、といったことはあるのではないか。そんなことを語った。
ところで、ぼくは中国の女性と友情関係を築くことには比較的困難を感じないとも思う。中国の人とだからか、それとも異国間ではえてしてそうなのかはわからないが、どうもそういった傾向がなくはない。
さらに言うと、これが一般的なのか、あるいはたんにぼくの思い違い、あるいは癖なのかもわからず、それがわかるまでにはまだまだ時間が必要かもしれない。一つ言えることは、いずれにせよ友情は軽視されている、ことだ。もちろんぼくも含めて。