高校野球中継を見ていると、常連校のベンチで長年部長であり続ける先生の姿を見たりする。髪に白いものが目立つのを見ると感慨に耽ったりもする。その感慨を一言で言えば、人間が自然の法則で老いることに抵抗できないことへの感慨とでも言うべきか。けっしてぼく独自の感性ではないと思う。
自然条件の前に無力であることは喜怒哀楽を超えた感情を催す。たとえば憎らしい奴がいて、そいつを殴り倒すとする。そこまでは怒りが正当化されても、殴られた人間が青ざめたり、震えたり、ともかく人体という自然法則の前で無力になった状態を見たとき、それでも殴り続けることができるかどうかの境目は暴力を振るうか振るわないかの境目よりももっと根源的なものではないかと思う。生命への畏怖に通づるもので、これがぎりぎりの倫理だと考えている。
こうした倫理を破る事件が多発しているが、今にして増えたことだとは思わず、だからと言って正当化されることでもない。その前提の上でかかる倫理の教育は必要だと思っている。たとえば誉められてもよい殴り方というのはあると思う。