生きる糧、生きる原動力がぼくの場合具体的に何か、という質問に答えたいと思う。
一言で言えば、怒ったぼくが何かを探しあてていくこと、というふうになる。ぼくはまだまだ未熟で、けっして美しい言葉で生きることを表現できず、このように言うほかない。
怒りというのは、最近の時事問題だとか誰かの言動だとかではなく、中学の頃から今に至るまでぼくを無視し、ぼくの好きなものを消し、ぼくを深い疎外感に沈めこんだ事物・出来事・人間に対する怒りで、この怒りが自分を突き動かしているように思う。
そして、怒ったぼくは、怒らないようにするため、怒りの原因に対峙してそれを改めるために、あるいは怒りを越えたときめき・輝きを得るために、何かを探し、探したつもりであるものを語り、イメージ的にはただただ歩いている。目的にかなった道をまっすぐ進んでいるのかもしれないし、そうではないのかもしれない。そのことは未だによくわからぬが、わかることは歩くぼくが抱えている怒りと、そして、かつてハルビンの宿で出会ったものがそれとなにがしかの関係があり、しかもハルビンで出会ったものが中学の頃ぼくが故郷で見失ったものと同じものであった、という手がかりだけだ。
それらが何であるかはこのブログや紙媒体で書かれていることの総和ではないかと思うし、総和であることを目指したいとも思う。