会社員時代は92年4月から96年12月まで、4年8ヵ月のうち最初の会社に2年8カ月、次の会社に2年在籍した。
最初の会社では2年8ヵ月のうち1年近く失踪した。とは言え、失踪期間中も月給はもちろんボーナスも支給された。
次の会社では2年間のうち半年ほどしか給与が支給されなかった。中国語で言う「白条(バイティアオ)」、すなわち支給されない給与しかなかった。額面は最初の会社よりも多かったが実際には3ヵ月に2万円程度が支給されるかされないかで、しかも額面がよかったから住民税だけはしっかりと課せられた。
こういうことがあって以来、労働と報酬の関係についてねじれた発想を抱くようになった。働いただけ稼げる世の中が理想には違いないが、毎晩会社に泊まりこんで働いても無報酬であることと、東北の温泉に行きまくっても給与・ボーナスがもらえることが影響を与えないはずはなかった。それからのぼくは労働に見合う報酬というものを意識せずに生きるやり方を考えるようになった。