今日は外国人特派員協会で、お世話になっている方たちと会食。今、中国のメディアでしばしば取り上げられている、日中戦争の被害の場所を謝罪して回る日本の和尚の話題が出る。
ここでは彼の行為がいいか悪いかは述べないことにして、一つだけ補足しておきたいことがある。それは被害の場所を日本人が訪れたからと言って必ずしも中国のメディアが飛びつくわけではないことだ。
ぼくは昨年秋以来、アジアンコンプレックスという映像会社とともに中国の戦争被害の村を訪ねる旅を断続的に行なっている。これはテレビ局などの取材ではなく、一般市民の映像愛好者が旅をしているのと変わらないわけだから、正規の取材の手順を取らず、つまり中国共産党を全く通さずに突撃的に訪ねるやり方を取っている。
ここでのぼくのスタンスは被害に遭った人たちやその親族たちの不幸を不幸としてとらえたいと考えるスタンスで、目的としては被害を受けた方たちの声を風化させずに残しておきたい。それは今の日本の会話空間から言えば「中国寄り」として、和尚さんと同じに類型されることもあろう。それをどう思うかについてもここでは述べない。ここで言いたいのは、そのうちの一部の村でのやりとりを中国のメディアが取り上げることがありえないことである。と言うのも話すうちに、戦争の話のみならず、戦争の苦労をいかにその後の新中国で語ることができず、さらには日本軍との関わり(それが被害であっても)がゆえに文革で迫害を受けたり、今に至っても戦争問題が政治手段として使われる反面、彼らの多くが発言の機会もなく、いわばないがしろにされてきたかを感じてしまうからである。簡潔に言えば、中国共産党はある一部の被害者にとって人民の代弁者ではなかったということを知ってしまうことになるからである。
ぼくはこうした人が多いのか少ないのかを知らないし、それを知る者など誰もいないだろう。ただ、今の戦争をめぐるやりとりに彼らがほとんど登場しないことからしても、少なくないのではないかと思わざるを得ず、もしそのことを批判されるならばもっと徹底的に訪ね回ってみたいとも考える。
付け加えておくと、ぼくはこの活動によって中国の主張にケチをつけようとか、共産党を批判しようとかすることを目的とするわけではなく、ただ、戦争問題がいくら盛んに議論されようがいっこうに取り上げられない被害者たちの個人としての尊厳を考えていきたいというスタンスにほかならず、その際の国と国ではなく、国と人という矛盾が忘れられることを危惧するのである。
なぜ和尚さんの行為はメディアで取り上げられ、ぼくたちは半ばコソコソと訪ねなければならないのか。他方でぼくは、当事者でない人たちの被害者感情を無視するわけではない。けれどもその言語は自ずと当事者とは別のものであり、また戦争の話にとどまらず、むしろもっと現代に関わるものであるはずなのにそれがごっちゃに(もしくはあるものが抹消される形で)認識されがちなことを言いたい。この前提に立って和尚さんの行脚も見てみたいと思う。