明日(8日)発売の「中国語ジャーナル1月号」で連載『素顔の中国人』第22回「ある強き女性の悩み」を書きました。機会あればご一読ください。
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昨日あたりから「北京之春」総経理の薛偉さんをはじめ、米国や台湾在住の中国の民主派の人たちが一時日本に寄っておりますが、東京で活動する王進忠さんも話しておられたようになかなか表沙汰になりません。政府の方針の問題にもあるのでしょうが、どなたかが「こうした問題を報告すると悪いイメージが与えられやすい」とおっしゃっていたことに集約されるような、中国共産党と中国を混同し、さらにそれをよかれ悪しかれ一枚岩のように扱わざるを得ない、知識よりは具体的な行動を縛る構造の問題かと思いますし、そうしたことが政府にも反映するのだと思います。つまりは「中国は悪い」「中国は悪くない」に収束されていくことです。
そして決断は何かにつけて正当化されますから、民主化はもはや下火、もしくは不可能だということでくくっていくこともあるのかもしれません。けれども民主化支援はよその国の例からも党そのものの健全化に作用することも期待できるわけですし、またぼくはぼくの観察から民主化への欲求そのものがかつてと同じ現れではないにせよ弱まっているとは思いませんが、かりに弱まっていたとして、また不可能の可能性が大きいからとして、少数だからということで切り捨てるべき性質の事だとは思いません。
1つ、前提としてほしいのは、たとえば人権が蹂躙されている報告があったとして、それを直ちに「中国は~」と結び付けていいものなのか、ということです。中国をみるのではなく、事態をみる視野をもてないものかということを考えています。