昨日は京橋のフランス料理店「レストラン・サカキ」で新年会があり、おいしいフランスワインを頂く。会が始まるまで時間があったので夜景の見える喫茶店でスポーツ新聞などを読む。
中村紀洋というプロ野球選手がマスコミやネットでバッシングを受けている。かつて「中村紀洋というブランドが近鉄で終わっていいものなのか」などの傲慢なセリフを吐き、確かにパリーグを代表するスラッガーだったが、それにしても海外や近鉄以外では考えられなかった余りに破格な年俸をモノにし、自チームや他チームの選手を中傷する発言も多い。
その中村選手が2億円から8000万円への減俸掲示に反発した挙句、クビになり、現時点では他の球団も獲得に消極的な模様。「ざまあみろ、この傲慢勘違い男が」とでも言いたげなバッシングが続いている。
ぼくは中村選手にあまり関心がなく、前のFAの際にはただただ阪神に来てもらいたくないと思っただけだった。近鉄に限っては監督以上の発言力があったとも言われるが、球界での影響力はさほどないのではないか。そして、一連の発言を受けると、やはり「ざまあみろ」と思ってしまうぼくがいることも事実だ。
けれども、一介の野球選手が親会社に屈するという構図がなぜこうも喝采を浴びるのかとの疑問が生じることも事実だ。オリックス球団が中村選手をやりこめることがそんなに痛快なのか。このように考えると、「ざまあみろ」との感情そのものを疑ってもみたくなる。一個人の傲慢は大企業の傲慢よりも許しがたいものなのか。
京橋界隈は老舗の会社のビルが多く、退社するOLたちも気のせいか古風な、お堅いイメージが湧く。ぼくは日ごろ既成の大企業などよりも新興の民間勢力に加担する自覚があるが、そんな自覚とは無関係に、京橋や銀座の、この古風な佇まいに落ち着きを感じるぼくがいることも事実なのだ。おそらくぼくの感情や思考が投げ出される世間もしくは社会は過渡期にあるのに違いなく、ぼくなどは典型的な半端者なのであろう。このような自覚の上に立てば、その時々で浮かび上がる感情や思考に乗っかかってしまうことには一抹のためらいを感じざるを得ないのである。
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