外国の人や地方の人が東京に来ると、ぼくはしばしば新宿歌舞伎町のゴールデン街を案内する。知らない人が多いだろうから説明しておくと、ゴールデン街は狭い敷地に250軒ほどの飲み屋が密集するエリア。店はどこも10人以上は入れないカウンター形式のミニバーばかりで、街や店の作りや客層など、どこか70年代を連想させる雰囲気がある。
大学を出たばかりの頃、詩人の先輩によくここの店に連れて行かれたが、それからは通うこともほとんどなくなり、もうなくなったものと思っていたが、三年前ぐらいからふとしたきっかけで再び行くようになり、主に冒頭で述べた用のために月一回ぐらいの頻度で行っている。
出版・演劇・音楽関係の、どちらかと言えばアンダーグラウンド系の人が多いと言われ、ぼくが若い頃は若い人はほとんど見かけなかったが、今は意外と若い人も多い。友人の若い人で、週二日だけここで店を出していた人もいる。
ここに通う人とぼくとで会話が合うようなこともほとんどないのだが、街の場末的な雰囲気や時代遅れの観や不恰好なたたずまいが「ぼくっぽく」思わせたりもする。一人で言っても話し相手に困らない雰囲気がここにはある。
ところで、わずか一日だけ東京に滞在する人がいたとして、東京のどこを案内すべきかというのはなかなか難しいようで、しばしば相談を受けることがある。一方、日本の人から「北京を案内してくれ」と言われたらどうするかを思い浮かべてみる時、二つのパターンが考えられる。すなわち(1)自分の思い入れのある場所(2)北京を最も代表するような場所、の二つで、(1)は人によってさまざまなはずだが、(2)はさほど違いはなく、おそらく天安門と故宮、王府井や西単、胡同(フートン)などに落ち着くものと思われる。東京で言えば(2)は原宿、銀座、歌舞伎町、皇居、六本木ヒルズ、東京タワー、浅草などになるのであろう。少なくとも巣鴨や北千住などはありえまい。
ところが自分が自分の思い描く北京を紹介したいと思えば思うほど、つまりはこだわればこだわるほどに、意識は(1)に傾くようになるが、日本人を北京案内する時はこだわりを持っても、中国人を東京案内する時は凡庸になる場合も少なくないように思う。確かに東京がどんな所であるのかを理解してもらう意味で北千住がどこまでふさわしいかは疑問には違いないが、他方でかかる疑問は東京で具体的事実を生きていないから来る「一般化」だとも言えなくはない。一般化・抽象化した東京の典型スポットを探すというのではなく、具体的・個別化したスポットを探し、その積み重ねから東京を知るということが知ることの本来のあり方だと思われ、その意味ではある人は西武線沿線ばかりを紹介し、ある人は原宿周辺ばかりを紹介し、ある人は銀座・日本橋を紹介し、ある人は上野・浅草ばかりを紹介するというのがよかろう。
そんなわけでぼくはゴールデン街が今の東京をどこまで説明しきれるのかの問いかけをあえて捨て去りつつ、ここを紹介しているが、それでいいのではないかと思う。ぼくは一部分に過ぎず、けれども一部分ではある。