紺野哲也さんは長らく函館市史編纂室で働かれた方で、函館の歴史に関する「生き字引」とでも言える人だ。知識だけでなく、日本や世界の他のことにも喩えながらユーモラスに語る話は興味を引く上に考えさせられる。やや毒舌だが、真っ直ぐな方で、親しみを持った。函館を舞台にした多くの映像・活字作品が彼を取材して成り立っている。
その紺野さんがこの3月末で定年となり、同時に函館市役所にあった市史編纂室がなくなってしまった。膨大な史料は中央図書館に移された。函館市中央図書館は五稜郭にあり、これほど豪華な設備を持った図書館と言えば東京の公立図書館でも都立中央図書館ぐらいしかないのではないかと思わせるほどの立派な施設だが、箱があっても史料を整理し語る人がいなくては史料の意味はない。図書館への移行に伴って紺野さんも図書館に移るわけではなく、彼の今後は未定であるようだ。
今や近代史は古典であり、これから近代史が注目されるにつれ、近代のさまざまな出来事の舞台になった函館がクローズアップされる機会も増えよう。函館には五稜郭や元町など近代の香りを遺す数多くの観光名所があり、観光地としての魅力もいっそう注目されるに違いない。となると、歴史を大切にする意味でも市史編纂室の役割は重要だが、廃止されたのは理解に苦しむところがある。
函館に限らず、日本の地方都市において、役所の役割は大きい。その市役所に函館の歴史を語れる史料や人物が存在することは何かにつけて大切に違いなく、史料が市役所を離れることそのものは問題ないものの、だとしたら図書館に今までと同じ人員や設備を持つ別の市史編纂室ができるべきであろうし、たんに史料だけが移されるというのはどうか。あるいはこの分野が地味で陰に隠れがちだから予算削減の対象になったのかもしれないが、歴史を売りにするのであれば心臓部とも言える存在なのではなかろうか。批判をしたいわけでなく、まだ廃止されてまもない時期だけに、8日の選挙で決まる新しい市長にはぜひとも再考してほしく、かといってぼくは市民でも道民でも市長の知り合いでもなんでもないので、ここに書いた次第である。
3月末日に、すなわち紺野さんの最後の勤務の日、ご多忙な紺野さんにお目にかかった。もしかしたら最後の日の最後の仕事だったかもしれず、そのことは光栄でもあったが、先のことを考えるとなんともやるせない気もした。