今日(29日)発売の「週刊金曜日」2月29日号に連載『浮澡中国』第2回「NGOが農村を変える」が掲載されました。機会あればご一読ください。タイトルは、「農村を変えられるとしたらNGO以外に考えられない」という意味だと受け取ってください。食品衛生、農村の市民化、環境改善の問題を中国政府が改善できるとは思えません。その逆は十分に考えられますが。中国政府とのやりとりに終始する態度には疑問を持ちます。中国の中で政府を相対的に扱うことのできる声がもっと成熟し、なおかつその結びつきが一部分の総和としての日中関係となっていくこと。ぼくが中国のことを書くのはひとえにかくなってほしいという気持ちからです。
なおぼくが書くことには「中国共産党的なもの」と「東京的なもの」を同質だととらえ、それらを克服するものとして「中国の新しい声」と「東京的なものからはみ出す日本」を並べる発想があるように見受けられます。これはあくまで仮説です。今後考えがどのように変わっていくかはわかりませんが、今はそのように考えています。ところが日中関係は総じてこうしたものの質的な差を無視して「日本および日本人」対「中国および中国人」ととらえられがちなので、なかなか理解してもらえないし、「中国の新しい声」と「東京的なものからはみ出す日本」がなかなか育たないのではないかとも思います。でも、十年前だったらぼくの書くことはもっと相手にされなかったのではないかと思います。書きたいように書いたことがメディアに載ることなど考えられなかったのが10年前でした。なによりも今は中国にじかに触れる日本人が増えてきたこともあって、少なくとも80年代や90年代よりは理解してもらえることを感じています。それがどれぐらいの比率であるかよりも、理解もされているという事実を重く受け止めて今後も活動していきたいと思います。