食事日記
23日・・・昼食12時:中華バイキング(甘家口)、夕食18時:湖南料理(宋荘)、夜食20時半:シシカバブ(938支9路バス中)、夜飲22時:コーヒー(大山子・彫刻時光)、草場地泊
24日・・・昼食11時:野菜・肉炒め(草場地、家)、昼飲15時:コーヒー(国貿・スタバ)、夕食19時:ナマズ鍋(順義)、夜食23時半:ミートソース(建外SOHO)、草場地泊
25日・・・朝食10時:トウモロコシ粥(草場地、家)、昼食12時:もつ煮込み(環鉄)、昼飲15時:茶(甘家口)、夕食19時:K279列車(北京西→十堰)の食堂車、車中泊
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北京では最近は草場地にあるアーティストの友人の家に泊まっています。地方出身者の溜まり場だった所ですが、近年は画廊やアトリエが多数でき、芸術村の様相も呈しております。最近ぼくがよく会うのは画家よりはむしろ作家、活動家の方が大半なのですが、芸術村にいるだけあって10年来の画家の知り合いと出くわすこともたびたびあります。「なぜ北京に来たのに連絡を寄こさないんだ」などと言われることもあり、そうした際には急遽昼食や夕食を設定します。
アーティストたちには以下のような仮説をぶつけてみます。
・「中国アートがおもしろい」という時代はすでに過ぎた。これからは「おもしろいアートが中国にある」ととらえるのが正確なのではないか。
・「中国とは~だ、中国人とは~だ」の問いかけは不要だが、「何が中国か、中国人とは誰」の問いかけは必要。
基本的な線で、彼らとぼくの見方は合致します。それもそのはずで、ぼくが中国をとらえる場合の見方は90年代後半を共に過ごした彼らの影響を抜きには語れません。
オリンピックについても話題を振りますが、これは画家に限らず、映画・文筆など、ぼくの会う文化関係者は大方三つの対応に分かれます。
(1)オリンピック期間中だけは北京から離れていたい(一昨年にベストセラーを出したある新進作家は、10月まで雲南に一時避難しています)。こういうことを言う人はぼくが会う人の2,3割といったところでしょうか。
(2)オリンピックは見ず、ただし北京にいて仕事に励む(ぼくが泊まっている家の友人がそうです)。似たような意見はタクシー運転手からも聞かれます。
(3)オリンピックには直接興味はないが、オリンピックはいい機会だったと思う(これはわりと多数意見です)。
こうした考え方に日常的に接していると、はたして北京はオリンピックを歓迎しているのだろうか、との疑念にも駆られますが、街を見れば、ポスターが増えていたり、その手の番組があったりとそれなりの盛り上がりを感じることもできます。
北京滞在中にある雑誌の取材を受けた時など、ブログでも書いた「100%の人がオリンピックに大喜びする社会など不健康だ」と再三述べたりしましたが、政府など表面的な表れとは別に現実にはオリンピックへの受け止め方は多様であり、後は「反日」の時と同じく、その多様が公論としてどれだけ表面化するか、そして、その時が近づいた時も今のままであるのか、がチェックポイントのように思われました。