食事日記
27日・・・朝飲11時:コーヒー(中央美術学院)、昼食12時川魚など(中央美術学院)、夕食22時:鳥鍋(蟹島)、中央美術学院泊
28日・・・昼食13時:ジャージャン麺(花家地北里)、昼飲15時:コーヒー(甘家口)、夕食18時:粥(大鐘寺)、夜食21時:ミートソース(花園橋)、夜飲22時半:コーヒー(東単)、中央美術学院泊
29日・・・昼食12時半:水餃子(環鉄、家)、夕食18時:ドジョウ鍋(宋荘)、夜飲①20時:白酒カクテル(宋荘、家)、夜飲②0時:中央美術学院、中央美術学院泊
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今回の前半は中央美術学院の留学生宿舎に泊まりました。北京で外泊することはめったにないのですが、望京という頻繁に出歩くエリアに位置するのでいい選択でした。ぼくは80年代に中国の大学の留学生寮に滞在していたことがあるので、当時の雰囲気を思い返したりしながらキャンパス内を歩いたりもしました。現代アート創作活動を行なう日本人留学生もいて、勉強になりました。 前々から思うことですが、中国の中でじっくりと腰を落ち着けた日本人を近年よく見かけるようになりました。少し前まではめったになかったことです。
さて、オリンピック後の北京の雰囲気に少し触れておきます。前回、オリンピック期間に入って北京が90年代前半みたいに退歩したと書きました。この見方はおおかた間違っていないと思います。政府が力を入れたことで活気が鈍ったということです。オリンピックという祭典があったことで街がおとなしくなり、外国人客が減り、今年6月ぐらいまでは活発だったさまざまな新しい動きが表面化しなくなったことは、2年後の上海万博に向けての反省点になっていくかもしれません。
本題のオリンピック後の雰囲気ですが、少しずつ元の活気に戻りつつある、ただし6月ぐらいまでのレベルにはまだ達していない、というのが現状のようです。これはオリンピックを終えて一種のだらんとした状態にあるからばかりではなく、今回立場を超えてやたらと話題に出た世界的不況や、国慶節休みがいきなり来たことなど外的要因も挙げられるでしょう。要注意人物へのマークなどはオリンピック終了と同時に緩くなりました、ただしそれも束の間、10月1日の国慶節からは再度強まったようで(胡佳氏の平和賞ノミネートも影響したかもしれません)、非常に読みづらい現状だと思われます。