営業
たんに出版社からの依頼を受けることも含めて、営業をせずに成り立つ仕事はない。
(心がけ)
営業においては、自分が自分の望むように出版社に認められることが大切だが、このことは容易ではないし、実際、自分の思ってもいない面を引き出されることもあるから、あまり自分を規定しすぎるのはよくないとも思う。ぼくは「中学校の教室で自分がどう認識され、振舞えるか」、その時の教室というのを世間レベルに広げたものがこの仕事における営業だと考えている。「世間」という言葉を使ったが、人によりその空間の大きさは全く異なるものであり、ごく身内の内輪の場合もあれば、得意先の出版社に限定される場合もあるし、日本社会や東アジアであることもあるだろうし、世界や宇宙であることもあろう。いずれにせよ、その中で自分が自分のありたいように振舞えることが理想だが、中学校の教室で理想的に振舞いたいと思っても簡単なことではないし、行動やナリには常にレッテルが伴い、たとえばいったん「暗い人」と認識された場合、そうでなく振舞うか、暗いまま充実していくか、など、いずれにせよレッテルと格闘しなければならないように、行動に伴うレッテルとの格闘は容易でなく、そこにこそ広い意味での表現やオリジナリティがあるとも考える。
そのためには、とにかく書く、出版社に日ごろから自分を語る、時には向こうの意向に反論する、などの積み重ねがいるのではないかと思う。ただ、ぼくもまだうまくできている実感はない。
(営業の仕方)
書きたいものを書くこと、そしてそれを知らしめる努力。仕事が減った時は仕事を探すのではなく仕事をすることが大切だと考えている。
(依頼について)
出版社からの依頼については以下のスタンスを取る。
(1)日ごろからある限定したものしかできない自分を印象付ける。
(2)その上で来た仕事は基本的にすべて受ける。
(3)それでもなおかつ不本意な仕事が来た場合は断りつつ(1)を繰り返す。
(原稿料、印税、経費)
海外取材の場合、経費が出る場合は規制が大きく、経費が出ない場合はわりと自由である。ぼくは圧倒的に後者が多い。ただし、経費が出なくても原稿料が出るなら完全に自由というわけでも(当然ながら)ない。ぼくは中国に行く際にあらかじめ雑誌掲載などの企画を通していることは稀であり、企画を通してから中国に行くやり方は中国という場所の変化の激しさや偶発性の大きさを鑑みれば得策でない、とも思っている。結局見切り発車でスタートさせていくほかない、というのが現時点での結論で、その意味でぼくはプロではない。
原稿料などをもらった上で見切り発車が採算が取れているかは全くの運と言うほかなく、幸いなことに今まではずっと採算が取れているのではないかと思う。思う、というのも変だが、ぼくはそういう計算をやったことがない。