しつこく書くが、これはぼくのやり方を語ったものであって、マニュアルではない。
アポ
前述の連鎖式の取材を行なう場合、すでに取材対象とは会っているわけだから、アポに苦労することはあまりない。とは言え、こちらから直接アポをとる場合もあるし、初めて取材する際にはアポが必要となる。当然ながら既知の人でも日時などのアポはとるわけで、ここでは取材依頼、日時の決定に分けて書いていくとする。
取材依頼
取材依頼で最も大切なのは前述のアンテナである。アンテナとはすなわち好奇心のベクトルであり、また取材内容を文章化する時の文章を書かせる指針、真のテーマ、とも言うべきものである。このアンテナに取材対象者が関心を持たなければ取材は成立しない。アンテナとは必ずしも個人の営みに限定されるわけではなく、新聞記者であればその新聞が、外国人であれば国籍もアンテナであり、取材対象者が海外メディアに関心があればそこの社員が取材をすることはけっして難しくないし、そこに在籍することでアンテナはある程度存在してしまう。フリーで、なおかつ特定の媒体がない者はこのアンテナを人一倍多く自分で築いていく必要がある。すなわちそれは、何のために取材するかの現時点での回答であり、何を語りたいかという自分への回答である。
ところで、何のために取材するか、というのは、誰もやってないテーマで行なう場合、取材を進めていかなければ見えてこないものである。すなわち、ルポを書く場合には、取材対象者に取材意図を語らなければ取材が始まらない一方で、取材を始めなければ取材意図が語れないというジレンマがある。必要なことは、たとえそれが未熟なものであろうとも、その時その時に思った最善の考え方を仮説として意識し、精一杯語ることである。
アンテナとはルポをやる人間にとっては人格というのに限りなく近く、男であるか女であるか、どういう時代背景で生きてきたか、誠意があるか、なども含まれる。よく誠意だけで取材が成立する場合があるが、誠意だけで取材が長続きすることはなく、それは誠意というアンテナの一要素が認められたものの、それ以外の要素が見透かされていくためである。
取材対象
あるテーマがあって、そこでAとBが対立関係にあるとして、自分がそもそもAに関心がある場合、Bから取材を始めてはならない。なぜならBから取材を始めた時点で取材者の立ち位置が決まっていくからである。
たとえば、農村暴動を取材するとしたら、最も容易かつ頻繁なのは政府や警察からアプローチする方法であるが、これをやった時点で取材者の立ち位置は決まる。立ち位置は思考で決まるものではない。取材前には「初めにBをやり、その中からAのコメントも取っていこう」と考えるものだが、それは取材者が完全な外の人間だからなしうる発想であり、実際にBに身を置いた時点では当人がどう考えようと座標が定まっていく。政府側に身を置いてどれだけ農民の直接取材を行なおうがスパイのように振る舞いでもしない限りそれは政府の取材でしかない。逆に言えば、もしそういうアプローチであるとしたら、政府の取材であると割り切っていくことが大切で、避けたいのは政府を通じて取材しておきながら民衆の側に立ったように勘違いすることではないかと思う。
スパイのように、と書いたが、Aの中にもBに限りなく近い人がいて、そういう人を主軸に据えていくというのは立ち位置を変えていく際の有効な方法ではある。ただし、これは関心・共感の移動に伴う偶発的なやり方であって、初めからAの中でBに近い人を探すというのはそうそうできるものではないと思う。
日程・場所
日程は余裕を持っておきたい。充実したスケジュール作りは現地での可能性を狭めてしまう。ぼくが中国で取材する場合、日本でアポを取ることはない。中国に降り立って初めてアポ取りを始めるように心がけている。そのため最初の二日間は初めから何もやることがないと想定している。
場所は相手に合わせたい。よく知らない場所であるとか、日時の突然の変更やすっぽかしは往々にしてあるが、ぼくはわりとそういうことに無頓着な性質である。そうでなければきつい仕事だと思うかもしれない。テレクラで会う約束をして駅前の広場に立つあの感覚である。