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カテゴリ:人物( 23 )
馬場さんと三沢さんと昭和と平成(いったん終)
 暑いです。大変バタバタしております。
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 三沢さんの死からずいぶんと時間が経ってしまい、しかもその間にぼくの周辺でも中国や日本においてもいろいろな出来事があり、三沢さんの死にちなんだ文を書き終えるタイミングを逃してしまいました。
 前回までで言いたかったのは、三沢さんの死がアクシデントというよりも、そうなることが運命付けられていたかのように思えてしまったことです。たとえ先月亡くなってなくとも今月かあるいは来月には亡くなっていたのではないか、といったふうに。そう思えてしまうのが最後の試合の登場シーンにおける、どことなくけだるく、体調が悪そうで、できることならもっとラクな試合をしたいのにそういうわけにもいかない、とでも言いたげな表情でした。もともと三沢さんは常々リングでけだるい表情をしているのですが、そういうことを考慮したとしても辛そうに見えてしまったのでした。
 そんな時、馬場さんの記憶が浮かんだのは、三沢さんがノアを立ち上げた時に口にした「馬場さんの遺志」がいったい何を指していたかという疑問からでした。もし馬場さんの遺志という言葉が本心であったとしたら、それはストロングスタイル・異種格闘技路線と一線を画した王道プロレスなのではないかと思いますが、王道プロレスとはかたや激しい闘いあり、かたや馬場さんの晩年のような楽しい前座試合ありで、もし三沢さんが本当にコンディションが悪ければ楽しい前座試合をすることができなかったのか、との思いが生じたのでした。だとしたら断言はできませんが、プロレスラーとしても人間としても三沢さんはもっと長生きできたのではないかと。ただ三沢さんの転身は実際には難しいと思われ、そこに運命的なものを感じてしまいました。
 馬場さんの晩年の16文キックに永源さんが気絶する、というシーンはとても真似できるものではありません。あれが成り立つのは、かなり長い年月、少なくともぼくがプロレスを見始めた70年代前半から20年近くも「16文キックはひょっとしたら痛くないのではないか」との疑問を頭に抱きつつ馬場さんの死闘を食い入るように見つめた蓄積があったからでした。今、そんなことが成立するのか?うすうすショーだとわかりつつ、なおかつそれがゴールデンタイムの真剣勝負として成立してしまうこと。そこに昭和という時代のよくも悪くも持つおおらかさと、平成の世知辛さが見えてしまい、死に向かって真剣勝負を続けた三沢さんが世知辛い平成の象徴にも思えたのでした。
 そう考えると、他人事ではまったくなかったのです。高校でも大学でもテレビ業界でも今の仕事でも、「あの時代はよかった」は渦巻いていました。テレビ業界にいた時に特に感じたことですが、主に年長者の放つそんな与太話を耳にしつつ年長者の企画の実現のために働かなければならないことは苦痛でした。
 会社に入社すると、目の前に係長、課長、次長、部長がいて、それはその新入社員のそれぞれ何年後かを表しているととれなくもありません。高度成長の頃は自分が課長の頃は今の課長より暮らしぶりや仕事の充実が得られると思えたかもしれません。ぼくが入社した頃は、そんな夢物語はとうになく、課長の姿は16年か17年後かの自分の等身大にほかなりませんでした。ぼくやぼくの一部の友人はこのことにシラケちゃったわけですが、等身大でしかなかったことさえもが今となっては幻想にほかならず、今入社すれば課長や部長は十年以上先の自分よりも恵まれていた人たち、なのかもしれないし、そもそも新入社員として入社することからして難しくなってきたのですから、ただただ世知辛さを感じさせます。
 三沢さんの死からずいぶん脱線したようではありますが、そういうことを思い出させる死でもあったのです。いったんこれで終わりにします。遅ればせながらご冥福をお祈り申し上げます。
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by gikyoudai | 2009-07-15 17:54 | 人物
馬場さんと三沢さんと昭和と平成(下)
 今回の三沢さんの死でなぜ馬場さんを思い出したかと言うと、全日本プロレスから独立して三沢さんたちが新団体・ノアを設立した時の経緯があります。うろおぼえなのですが、確かにおぼえているのは、その際に三沢さんが「馬場さんの遺志を継ぎたい」と語ったことです。このセリフに対してはアントニオ猪木さんが「馬場さんの遺志って何なんだ?」と揶揄したようなコメントを出し、意地悪な言い方だなと思いつつも確かに馬場さんの遺志って何なんだろうと腑に落ちなかったので、よくおぼえているのです。
 全日本からの独立の背景には、選手への待遇問題、特に負傷時の保証が全日本プロレスでは馬場さんが亡くなった後で極端に心もとなかったことが挙げられています。プロレスラーが充実したプロレスを安心してやれる環境作りを心がけたのだと言えます。しかし、それを確保していくために、特に最近は、地上波放送打ち切りなど経営が難航する中で何とか会社を保つために最悪のコンディションの中で闘い続けなければならなかったのは皮肉なことではありますが、皮肉の一言で表すのは不適当で、目先の辛苦をこなすことが大局の目標の一歩一歩であるはずなのに実際にはかえって逆に逆に進んでいったようにも思われ、今を生きる、たとえばぼくのような人間の日常にも通じているように思えてしまいました。
 プロレスというスポーツは力勝負でありつつガチンコでないことが前提という特殊な面があり、また、標準的な引退の時期がはっきりしていないことも特色だと言えます。力士・空手家・ボクサーからの転身も多いですが、要は肉体が頑強な人間がいかに生きていくか、そういった生き様の最終的な受け皿とも言えましょう。ですので、安心して試合がやれる環境を作るために新団体を立ち上げたのは正しい選択だったと思います。
 ただし、三沢さん自身はそれを実現するために無理強いをしなくてはならなかったのではないのか。三沢さんは今後どういうレスラーになっていきたかったのか。ここらへんが三沢さんの死をより重く受けとめさせた何かであるように思います。(続く)
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by gikyoudai | 2009-06-24 10:10 | 人物
馬場さんと三沢さんと昭和と平成(中)
 三沢さんの死がショックだったのは、よく知られている超一流のスターであった格闘家が相手の技を受けて亡くなったことにもよる(日本では珍しいことではないでしょうか)のですが、それにとどまりません。相手が人殺しをしかねないほど強烈・凶暴だったわけでもなく、その技がプロレスにおいて未完成で殺人的なものだったわけでもなく、さらにはかりに無謀だとしても挑戦的であるような勝負をして亡くなったわけではなかったこと。すなわち、今回の死がべつだん特別な戦いの上ではなかったことが重さだと言えます。
 言い換えると、三沢さんがかりにあの試合で亡くならなくてもいずれ同じようなことが起きて亡くなってしまうように思えてならないのです。体が限界であるにも拘らず、自分が看板のプロレス団体の経営を背負っていて、出ざるを得ない、しかも衝撃の強い技を受け続ける王道プロレスをしなくてはならない、そんな環境である限り、死に向かって進まざるを得なかったふうに思えてしまうのです。
 youtubeで最後の試合における三沢さんの登場シーンがあるのですが、これがなんとも悲しい。首か頭を盛んに気にしつつ、コンディションが悪そうで、本来なら休みたかったのではないかと思えてしまうほどに顔色が冴えません。経営が苦しくて休みたくても休めなかったのではないでしょうか。
 三沢さんの師匠・ジャイアント馬場さんもまた三沢さんが亡くなったのとほぼ同じ頃に一線を退いています。けれども馬場さんはそこからが意外と長く、同じくロートル気味だったラッシャー木村さん・永源遙さんたちとともに全く緊迫感のないたのしく笑える前座試合を続けていきます。実際には知りませんが、見るからに痛くなさそうな晩年の馬場さんの16文キックで永源さんがのた打ち回るのはそれはそれでおもしろかったです。この前座試合は人気があったと思われ、馬場さんが亡くなってからも形を変えて続きました。
 もしかりに三沢さんが亡くならないでそのまま試合に出続け、そのままある時期になって馬場さんのような転身ができたのだろうか、三沢さんの死のニュースを知って、まずそういうことを思いました。
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by gikyoudai | 2009-06-22 16:30 | 人物
馬場さんと三沢さんと昭和と平成(上)
 目の前のやることをこなす日々です。少なくとも8月まで続きそうです。やることをやるのはいいのですが、やることをやるだけの生活は長く続けると「やる」ことを吟味しなくなります。一度気分転換が必要だと考えています。
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 ブログの更新が遅れた理由の一つに、先日プロレスラー・三沢光晴さんが試合中に亡くなったことがあります。
 ブログでプロレスの話をするのは初めてですから、プロレスとの関わりを書いておきます。ぼくは三沢さんの知り合いでもなく、ファンでもありません。ただ、かつて首都圏では全日本、新日本、国際という3つの大きなプロレス団体がゴールデンタイムにプロレス中継をしていたこともあり、ぼくのような門外漢でさえコブラツイスト、足四の字固め、サソリ固めぐらいの技を遊びや軽い喧嘩でかけたことがあります(あまりやってはいけませんね)。ぼくの年代以上の人はプロレスに関してなんらかの記憶や薀蓄を持つ人が多いと思います。ぼくのプロレス愛好はここ20年は一貫してインディーズ団体(鶴見さんの国プロとかFMWとか)、小さいころは熱心な国際プロレス&女子プロレスファンであり、メジャー選手ではジャイアント馬場さんと長与千種さんのファンでした。
 そんなわけで、三沢さんの熱心なファンではありませんでしたが、ジャンボ鶴田さんの後の全日本、そしてノアの看板選手として強烈な印象を持ってみてきました。そして、今回の三沢さんが亡くなったことには大きなショックを受けました。レスラーが死の危険と隣り合わせであることは確かですが、それだけでは済まない重さを感じました。その重たさとは何でしょうか。そんなことを考えながらこの数日間は梅雨空のような悶々とした日を送りました。
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by gikyoudai | 2009-06-21 10:40 | 人物
尾辻かな子の落選
 Excite エキサイト : 政治ニュース
 今夜は眠れない。下記の理由でなく、腰が痛いため。

 今回の選挙で最も注目した候補者は尾辻かな子
だった。彼女はレズビアンであることを公言した元大阪府議で、民主党の比例代表に立候補した。民主党が圧勝した今回だったが、彼女は比例候補者の中では下位の38933票で、落選した。
 比例代表の制度は衆議院とごっちゃになることもあってわかりにくい。参議院の比例代表では「民主党」「自民党」などと党名を書いてもいいし、「ツルネンマルティ」「舛添要一」のように候補者の氏名を書いてもよい。後者の場合は1票投じることで政党に1票、さらにその政党の中の候補者にも1票入れることになり、参議院の比例代表では「党名の票」+「氏名の票の政党」が党の得票数となって獲得議席が決まり、その議席数のぶんだけ氏名の票の多い順に当選していく。
  少数意見がまかり通りにくくなる空気を選挙のたびに感じ、比例代表でも「なにがなんでも民主党」という考え方があるのは不思議でない。しかし党に入れようが個人に入れようがどちらも党の票になるのだとしたら、個人に投票する人がもう少し多くてもよさそうだ。ところが選挙前に阪神ファンの知り合いたちに85年戦士の長崎慶一(民主党比例区)に入れるかどうか尋ねたが、そもそも氏名を書く制度があることを知らなかったようで、党名だけを書く習慣に慣れていた人、あるいは氏名を書くと党への票にならないと考えた人が多かったのではないか。結果、党への票数に比べると個人の獲得票数があまりにも少なく、舛添要一のように人気の高い人ですら党への票数に比べ圧倒的に少ない票しか獲得していない。
 ただし尾辻かな子の落選に関しては違う見方ができよう。すなわち彼女は同性愛者という特徴をはっきりと打ち出した候補者であり、同性愛に関心を持たない人が票を投じないことがごく自然である一方、同性愛者がもっと投票するのではないかと思っていた。ただでさえ民主党に有利な今回の選挙だから当選するのでないかと期待していた。けれども日本の同性愛者のうち彼女に投票した者が少数であったと結論付けざるを得ないほど獲得票数は少なかった。
 原因は何なのだろうか。民主党への反発もしくは同性愛とは別の論点で選んだのか、もしくは民主党の他の候補の方が魅力的だったのか。しかしこれらは個々ではありうるにせよ、比例代表で「民主党」という票が最多(すなわちそれは民主党の特定の候補者への票が少なかったことでもある)であることからして、ない。となると、たんに投票に行かなかった、もしくは同性愛を国会で論じることが嫌だった、もしくは同性愛者だが尾辻は好きでない、などの要素が浮かんでくる。いずれにせよ同性愛者として生きる上で選挙で働きかけようという動きが進まなかったということなのだろう。
 中国で理想の社会像を考える上で石頭をはじめ同性愛者や女性主義者から多大な刺激を受けてきた。バイタリティー溢れる尾辻かな子の在り方は中国での彼女ら・彼らに通じるものを感じるし、ひとえに同性愛にとどまらず新しい社会を切り開く力になることを夢見ている。その思いは今も変わらない。この結果を気にすることなく邁進してほしいと思う。
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by gikyoudai | 2007-07-31 02:41 | 人物
紺野哲也さん
 紺野哲也さんは長らく函館市史編纂室で働かれた方で、函館の歴史に関する「生き字引」とでも言える人だ。知識だけでなく、日本や世界の他のことにも喩えながらユーモラスに語る話は興味を引く上に考えさせられる。やや毒舌だが、真っ直ぐな方で、親しみを持った。函館を舞台にした多くの映像・活字作品が彼を取材して成り立っている。
 その紺野さんがこの3月末で定年となり、同時に函館市役所にあった市史編纂室がなくなってしまった。膨大な史料は中央図書館に移された。函館市中央図書館は五稜郭にあり、これほど豪華な設備を持った図書館と言えば東京の公立図書館でも都立中央図書館ぐらいしかないのではないかと思わせるほどの立派な施設だが、箱があっても史料を整理し語る人がいなくては史料の意味はない。図書館への移行に伴って紺野さんも図書館に移るわけではなく、彼の今後は未定であるようだ。

 今や近代史は古典であり、これから近代史が注目されるにつれ、近代のさまざまな出来事の舞台になった函館がクローズアップされる機会も増えよう。函館には五稜郭や元町など近代の香りを遺す数多くの観光名所があり、観光地としての魅力もいっそう注目されるに違いない。となると、歴史を大切にする意味でも市史編纂室の役割は重要だが、廃止されたのは理解に苦しむところがある。
 函館に限らず、日本の地方都市において、役所の役割は大きい。その市役所に函館の歴史を語れる史料や人物が存在することは何かにつけて大切に違いなく、史料が市役所を離れることそのものは問題ないものの、だとしたら図書館に今までと同じ人員や設備を持つ別の市史編纂室ができるべきであろうし、たんに史料だけが移されるというのはどうか。あるいはこの分野が地味で陰に隠れがちだから予算削減の対象になったのかもしれないが、歴史を売りにするのであれば心臓部とも言える存在なのではなかろうか。批判をしたいわけでなく、まだ廃止されてまもない時期だけに、8日の選挙で決まる新しい市長にはぜひとも再考してほしく、かといってぼくは市民でも道民でも市長の知り合いでもなんでもないので、ここに書いた次第である。

 3月末日に、すなわち紺野さんの最後の勤務の日、ご多忙な紺野さんにお目にかかった。もしかしたら最後の日の最後の仕事だったかもしれず、そのことは光栄でもあったが、先のことを考えるとなんともやるせない気もした。
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by gikyoudai | 2007-04-04 17:59 | 人物
吉野敬介
 たまたまネットで吉野敬介という人の経歴を見る。元暴走族の特攻隊長で代ゼミの超人気講師、今は夕刊フジの論説委員長、参議院選の出馬も噂されるというぼくの世代で活躍する一人のようだが、よくよく見ると
 1966年神奈川県鎌倉市大船出身
 で、顔写真を見ると、小学校の終わりの頃よく相撲を取っていた吉野ではないか。彼は大船小学校(大船中学)、ぼくは玉縄小学校(玉縄中学)と学校は違ったが、何かのきっかけで5年から6年の頃、たまに会ったことがある。彼はぼくが相撲を取って初めて負けた人物でもあった。負けたと言っても何回か取る中で勝ったり負けたりしただけだが、ぼくは当時本当に力士になるつもりでいて、自分の小学校や帰省先の大分の子供たち(中学生も含まれていた)と相撲を取って負けたことは一度もなかった(何度とっても一度も負けなかったという意味)から、彼に負けたことは大きなショックだった。特徴を言えば上半身の突撃力に力があり、鉛のように重い攻めの印象がある。
 その後、予備校の人気講師になったことはおろか、非行に走った経歴もぼくは知らなかった。中学・高校と会ったことは一度もなく、彼と最後に会ったのは大学に入ったばかりの頃で、経歴によると鑑別所を出たばかりだったようだが、そういう話もせず、ただ相撲の話をしたことをおぼえている。確かリーゼント髪で、彼と一緒にいた男も今考えれば暴走族風の人だったが、当時多少気の強い若者はみなそんな格好をしていたし、彼は自分のことをあれこれ言うタイプでなかったから、そういう話にならなかったのだろうし、特に性格や何かが変わった印象もなかった。
 彼は強い、怖い、という基準よりも真っ直ぐで心がやさしい人物という印象が強くある。その後の彼を知らないので何とも言えないが。暴走族ではかなりトップの地位にいたらしいが、それもそういうところから来ているのかもしれない。
 その後の経歴はとてもおもしろいし、ぼくの年代に神奈川界隈にいた空気を十二分に吸っているように思う。形こそ全く異なれ、高校の頃湘南の海に出没していたり、80年代に中国に行っていたりと、全く顔を合わせたこともないのに奇妙なリンクがある。小さい頃の知り合いがさまざまな形で活躍することはとても嬉しいことで、彼だけでなく知人・友人が活躍するのは励みになる。
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by gikyoudai | 2007-03-07 13:42 | 人物
木村尚三郎先生について(終)
 木村先生に便りをすると、通常1週間以内に肉筆の丁寧な返事が返ってくる。ご多忙なのに大変なことだとは思うが、ぼくの知る限り、えてして本当に忙しい人ほど返事もまめであったりもする。ただ、この夏にお茶を送ったが返事がなかなか来なかった。海外出張でもしているのかと思い、さほど気にも留めなかったのだが、随分と日が経って、今回北京に行こうというまさに出発間際に、絵葉書に先生の字でしたためられた礼状が届き、「足が悪くなり外出できなくなりました。あの元気印がです」とあった。
 具体的な病名などは書かれておらず、ご高齢だから足腰が弱ったのだろう、ぐらいにしか思わず、北京で友人の洋画家から胡同(フートン)の洒落た絵葉書をもらったので、帰国次第見舞いにうかがいたい旨を書いて送った。後で聞いたところによると、その葉書はちゃんと読んだそうで「今度は何のお茶が飲めるのだろうか」とたのしみにしていたとのことである。ところが、16日頃に容態が急変し、17日21時半に都内の病院で亡くなった。最後にお会いしたのは昨年の9月で、その翌月に「肝臓がんでもう手遅れ」との診断が下されたそうである。ただ今年の賀状もふだん通りで、今年8月までは勤め先の大学に通っていたといい、また、ぼくも含めて外部の人にはいっさい病名を報告しなかったらしいが、それも早く回復したい意志の表れだったようで、最後の最後までご多忙で元気活発な先生であり続けた。
 先生が亡くなられた頃、ちょうどぼくは渋谷・宇田川町の羊しゃぶ店「小肥羊」で友人たちと歓談中で、個と個をつなぐための日中交流のあり方か、もしくは太った女性、痩せた女性のそれぞれにそれぞれなりの魅力がある、といった話をしていたはずだ。

 その羊しゃぶ店で一緒だった編集者の方から彼の雑誌で3年前に取り上げられた木村先生のアジアに関するインタビュー記事が昨日送られてきて、読んでみたが、学生の頃に読んだ先生の発想・着眼点に接して懐かしく思うと同時に、ぼくがいま自分で組み立てた意見だと思うところの中に先生の影響が少なからず含まれていることも感じた。思えば高校時代までのぼくはフランスの詩や思想を好んだものの、外国に対する関心はほとんどなく、外国に行ってみようと考えた際に先生がエッセーや話で言われた「研ぎ澄まされた野生の感覚」だとか「1対1でなく1対2の付き合い」だとか「発展しない時代の生き方」だとかに、思うところ感じるところが随分とあり、その衝撃が強かったぶん、少しずつ自分の血肉の一部となり、そういうわけで先生の具体的な話などをかえって思い出せなくなっているのではないかと今は考えている。
 木村先生は「タレント教授」などとも言われ、また、数多くの国家プロジェクトに関わっていたこともあって、一部の人からは冷ややかなふうに見られていたようで、ことにぼくと親しい人の中にそういう方が多い。そして、ぼくも考え方にしても行動にしても、ある意味先生とは真反対の道を進んでいる気がする。けれどもぼくは、立場で人間を判断するということをあまりせず、むしろその立場の中でいかに誠実に、かつ葛藤しつつ振舞えるかに重きを置く。このこと自体が先生の影響かもしれない。そして、ぼくなどがこうした文を書くことも、先生の、おそらくはよそで書かれているのとは全く違った面を示すのではないかと思って、あえて長々と先生のことを書いてきた次第である。今後また、折に触れて取り上げることがあるかもしれない。
 違った面、という意味で言えば、先生は西洋史の学者で、学者らしからぬ軽妙な語り口の文筆家で、また政治・教育・財界とも関わりの深い人物というのが大方の捉え方だろうが、以上のすべてはぼくにとってはどうでもよく、ぼくにとっては最高の教師であった。先生がぼくにくれたアドバイスで忘れられないものがある。ぼくが進路をさまざまに考えていた時にくれた「何をやろうが、どこで働こうが、それなりになるし、それなりにしかならない」だ。ぼくたちを覆ったマニュアル化時代の、はるか上を行く方だった。何一つ具体的なアドバイスをされたことも、進路や仕事の道を提供されたことも、説教されたこともなく、ただ存在することがぼくにとって何物にも代えがたい意味を持つ、そんな教師であった。(終)
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by gikyoudai | 2006-10-21 13:36 | 人物
木村尚三郎先生について(下)
 紆余曲折を重ねたぼく自身を、あるいはさらけ出して報告すべきではないのか、そのように思ったことは数知れない。けれども出だしの近況を全く語れずに時間だけが過ぎた。卒業するや否やピタッと連絡を閉ざすこと自体が失礼ではないかとも考えたが、かと言って今は何もしていません、という報告をするのもどうかと思われた。
 だから99年に『北京芸術村』という本を出した際にも、先生に本を送るかどうかについては随分と迷った。連絡を閉ざしてすでに8年が経つ上、ゲリラ取材を売りにした中国本を書くことが先生のご意向にかなうのか皆目見当が付かなかった。ただここで送らなければ2度と連絡できなさそうだったので、送ることにした。しばらく経って励ましとも言える読後感が和紙の便せんにぎっしりと書かれて送られてきた。少しほっとし、続く作品も送った。そして、一昨年から、以前のように半年に1度の赤坂の会食が復活した。
 この会食は前以上に嬉しいものだったかもしれない。少なくとも学生時代のぼくは何ももたなかったとは言え、若さゆえの可能性という何物にも替えがたい財産があったわけだが、歳を取るごとに可能性の幅は狭まり、また著書を出していくことは自分の存在意義を規定してしまう、つまり結果を明らかにしてしまう行為にほかならない。ぼくは常々、いま自分がやっていることをやるべきことだともやるべきでないことだとも考えている。それは社会に対してもそうだし、自分に対してもそうだ。だから、ある程度変わり果てたもののそれでも会食が続いたことはとても勇気付けられたことだし、会うたびにこれで終わりになるのではないかと緊張もした。それぐらいぼくは、日ごろ自分がやっていることに対して、はたしてこれでいいのかとの不安や疎外感と隣り合わせにいる。そんな不安を抱きつつ闇をまさぐるように少しずつ前進しているつもりだが、今思えばたくさんの友人・後輩、若干の先生・先輩、たくさんのメールや手紙とともに、木村先生の存在がぼくを後押ししてくれたに違いない。
 10年以上ぶりに会った木村先生は明らかに以前よりも年取ったとは言え、旺盛な食欲や軽妙な語り口、それにご活躍ぶりは変わらなかった。弱音のような言葉はついぞ聞かれず、相変わらず1年先までスケジュールが埋まっているような生活だった。最近は銭形平次をよく観ていたとも語っていたが、生粋の江戸っ子で、パリジェンヌの恋愛噺が好きで、あらためて思うにとても大人な方だった。北京に行くたびに現地で入手したお茶を送っていたが、それをたのしみにしているとも聞き、普通では手に入らぬような品をあちこちで探したりもした。(続く)
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by gikyoudai | 2006-10-20 13:59 | 人物
木村尚三郎先生について(中)
 卒業後、長いあいだ、木村先生に連絡をしなかった。「スケジュールがわかったらぼくから連絡する」ことになっていたが、連絡もせず賀状も出さなかった。ぼくはテレビ番組のADなどを経て、やがて華人社会に入り浸って4~5年の無収入生活を送るが、いったいどのように自分を報告したらいいかが自分にもわからなかった。
 学生というのはわりと何でも言うことができ、ただし話すことが行動と必ずしも直結しない。大学を出て、それまで考えたこと、思ったことと現実との違いを扱いかね、歳を取るごとに矮小になる自分に悩んだ。早い話が先生に合わす顔がなかった。
 あるいはその時その時で先生に相談をする手もあったかもしれない。ぼくもしばしば若い人から人生や進路の相談を受けることがある。そのようなことはとても嬉しいし、木村先生も「ぼくは今、ニートとも言える無収入居候生活を送ってますが、はたしてこれでいいのかどうか悩んでます」と打ち明けたら親身になって相談に乗ってくれたように思う。表向きの顔とは違い、実際はそういう気さくな方だった。
 ぼくは小さい頃から先生や先輩との折り合いが悪く、進路選択や悩みを打ち明けることのできる年上の人がほとんどいない。そのぶん同じ世代の人や若い人との付き合いは濃いのかもしれないが、要は相談を受けることはあっても相談をするという体験がない。ぼくにとって木村先生はそういうことが可能な数少ない先生であったが、結局相談をしたことはなかった。そして、今は、そのような人がいなくなったことの空白感に直面している。(続く)
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by gikyoudai | 2006-10-19 11:27 | 人物
   

読むことと旅することと生きること、そして書くこと
by gikyoudai
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