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カテゴリ:80年代( 65 )
場面場面
 ブログへの書き込みをみてもそうだが、最近高校大学時代を振り返ることが多い。いったいどういうわけで振り返りたいのか、自分でもわからないのだが、歳のせいだろうか、春めくせいだろうか。

 ぼくが高校の頃には受験勉強の弊害というのが散々言われていて、受験勉強というのは他人に明かさずにコソコソとやらなければならないところがあった。ぼくはなんとか努力して大学に入ったわけだが、当時も今も大学入学と引き換えに多くのものを失ったかもしれない。失ったというのは世間で言われるような意味もあるし、世間ではあまり言われていない意味での喪失もある。後者の喪失とは、受験戦争が問題であると語ってしまう立場すらもが受けてしまうような喪失だ。
 たとえば、受験戦争は確かに問題あるが、しかし、それを今受験戦争を終えて晴れて大学に入学した者に語ったとしたら、それは受験戦争の問題を語るというよりも、言外の意味が生じる。すなわち「お前はそういう問題のあることをやってきた問題のあるやつだ」のようなニュアンスだ。こういうことは実に多く、日本の会社の雇用制度には問題があれ、それをフリーのぼくのような人間が会社員を相手にえんえんと語っていれば、それはもはや雇用制度の問題を越えているのであり、あるいは「男は問題のある生き物である」は本当かもしれないが、高慢な女性4人に情けない男が1人いるだけの場で、女性たちが意味ありげにそのように語ったとしたら、それは「男に問題がある」のではなく「あなたに問題がある」に通じてしまう。
 ぼくが大学に入った頃、ことあるごとにぼくに受験戦争の弊害を語る年上の人がいた。彼は大学に入っておらず、彼なりの世の中への不満はあったに違いないし、それは立場の違うぼくが耳にしても的を射ていた。しかし、その不満がいかに正当だとしても、それこそ毎日のように面と向かってそればかりを語られたとしたら、「俺に喧嘩を売っているのだろうか」と思ってしまうこともごく自然である。こういったことは回数や頻度がまた意味を帯びてくる。
 論というのは、書く場合も含めて実際のコミュニケーションにおいてけっして語った通りには伝わらない。高校の頃、カッコつけて西洋哲学を語ったとしたら、それは相手によって、西洋哲学うんぬんよりも、カッコつけやコンプレックスなどさまざまな言外の方が見透かされ、意味を持つに違いない。自分ではカントを語りつつ、相手にとっては他のものが語られているのだと言える。受験戦争の弊害を語るにしても、時と場合によりそれが言外の意味を持ちうることを自覚し、その可能性を克服するような話に作り上げねば伝えることにはならない。
 こうしたことは書くことも含めて、さまざまな場面に身をおいて、コミュニケーション上の失敗を繰り返し、失敗に基づいて改めたり、あえて改めなかったり、もしくは表現を表現たらしめる体験をせぬことにはできてこない。受験戦争の弊害というのをぼくなりに挙げるとすれば、それは受験勉強という採点者から高得点を与えられることだけを目指すコミュニケーション不在の知性形成の営みばかりが万能化してしまい、考えることが一人歩きしてしまいがちなことはあると思う。

 かく言うぼくがそんなことに気づいたのも随分後の話で、このことから逃れようとして実に多大な時間を要した。一昔前のぼくは、日本の年功序列の会社制度というものに対して意識的に距離を置くことをしていた、都会のサラリーマンを、都会のサラリーマンというだけで罵倒したことも数知れない。その無謀さをぼくに声荒げて批判してくれた会社員の友人もいたし、他方ではそういう発言でぼくの眼前から消えていったかつての友人たちの嫌そうな顔を今でも思い浮かべることができる。
 上の考えに照らせば、いかに日本の年功序列の会社社会に問題があったにせよ、それをぼくが語る限りにおいては、それは会社の問題なのではなく、ぼくが受けた受験戦争の弊害を自分でわめき散らしているに過ぎないとも言える。
 表現というのはなかなか難しいもので、自分が日本の年功序列の会社制度と距離を置きたいと考えたとしても、それを表明することで表明できるものではない。会社社会と距離を置きたいとの発想から、長い年月をかけて、ぼくはぼくのやりたいライフスタイルを作りつつある。ところが、今のライフスタイルになった時、ぼくの頭から会社に対する尖った感情が全くなくなっていたのだから不思議なものだ。3月と言えば卒業式があったりで、わかるまでの過程で失ってしまった数々を思い出したりもするのである。
 
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by gikyoudai | 2009-03-04 12:08 | 80年代 | Comments(2)
雪→皮革→女性の魅力→旬→テレビ→鉄道
 明日は雪の予報が出ている。たのしみにしている。
 そろそろ春が来る。春は春で嫌いではないが、寒くなくなるのが惜しい。温かくなると皮革を身に着けることがなかなかできない。皮革の服が好きで、毎年一着か二着買うのを続ける。皮革の魅力はいろいろあるが、古ければ古いほどカッコいいというのがよい。そういう価値観に惹かれる。食べるのもそうだが、着ることもぼくにとっては第一に観念である。
 古ければ古いほどよいというのは女性の嗜好にも現れている。相応の年輪を感じさせる、たとえば浅川マキのような年上の女性も好きだが、そうでなく若い女性でも歳取るごとに味の出そうな若い女性が好きで、若々しい旬な女性に惹かれにくい。
 旬を愛でるということが好きになれない。会話は若い人が知らない固有名詞を多発し、一方で最近の話題を知らずに「時代遅れだ」と言われることに喜びをおぼえる。小学校高学年から続いている癖で、中学の頃はこれを実現せんがためにあらゆる新しい情報をキャッチし、それをあえて知らないふりをする、ということを繰り返し、いつしか旬を知らないことが地になっていった。文章から見たぼくを「団塊の世代の人みたいだ」と評する人に会ったことがあるが、自分では明治時代前半の人間みたいになりたいと思っている。
 旬を好まないわけだからテレビも新聞も好まない。新しい話題に付いていく必然性はない。
 こうした習性はいろんな背景から来ているのだろうが、たとえば60年代生まれで鉄道が好きだったことは避けて通れない。昭和三十九年十月、昭和四十三年十月、昭和五十三年三月、昭和五十七年六月、というのは当時の幼い鉄道ファンにとって忘れられない暦であり、この世の終わりを意味した(いずれも新幹線の開通で在来線の看板列車がなくなった時)。昭和五十年前後から鉄道を愛した者は比較的早くから「時代が進めば進むほど世の中はつまらなく、(文化的に)貧しくなる」ことが必然の理であり、年々ダメになっていく世の中をわりと当然のこととして受けとめることができた(ただし、当時は繁栄の陰で味気なくなる、という価値観ではあった)。こうしたことから旬を嫌い、古いものに憧れる習性がごく自然に身についた。
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by gikyoudai | 2009-02-19 22:43 | 80年代 | Comments(8)
理解を放棄すること・・・若者文化
 若者文化を理解したくないと常々思っている。日本の若者文化を知りたくもないし、中国に関しても、中国の若者文化というテーマには抵抗感をおぼえる。
 なぜ若者なのか、若者というカテゴリーで何かを考え、語らうことができるのか、そう思う。そこで語られるのはぼくの若い頃で言えばシラケやネクラやDCブランドであり、一昔前だと援助交際や携帯電話(ピッチ)だったり、確かに担い手の多くが若者には違いないが、若者の全員が支持するわけではないし、若者に興味を持つ前に興味を持つべきことがあるのではないかと思う。興味というのがたとえば民主主義だったり色恋だったり、理想的な生き方だったとしたら、そのテーマで若い人が発言することはあるはずで、それを認めていくことこそが若者との付き合い方なのであって、若者に理解を示すことは若者との付き合い方として自分はやりたくない。
 若者文化を理解したくないと思うのは、「若者に理解のある」大人からさんざん苛められてきたからかもしれない。ぼくは「若者に理解がある」大人が大変苦手だったのだ。何が苦手かって、若い人に理解があると自認する人は往々にして単一な若者像を描く。「今の若い人はシラケ世代であり、ぼくはシラケ世代の理解者だ」のように。そこに暴力が含まれることに彼らは気付かない。あの頃、若い人の誰も彼もがシラケ世代を支持したわけではない。ぼくがそうであったように。ところがそんなぼくのような人種はのっけから「古臭い保守的なつまらんやつ」のように扱われ、果ては「お前は若者ではない」と若者のカテゴリーから外されてしまう。若い時分、自分より一回り上の男性と会うと、常々そのように言われ、さらには金八生徒支持者を自認する担任からは「お前の目は濁っていて若者のそれではない」「俺はお前の生き方が嫌いだ」だのあれこれ言われた。本来彼らが語るべきなのは若者などとは切り離したシラケそのもののよしあしなのであって、シラケを若者と同一視した上でそれを若いからと支持することではないのだ。ぼくは若者理解を放棄するようになり、それはひいては他者理解そのものに影響を与え、おそらく中国と接する時にも通じていると思う。やはりきっかけは80年代だった。
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by gikyoudai | 2009-02-09 22:54 | 80年代 | Comments(6)
フィクションは言葉がない所から始まる
 今、生活苦や精神的な苦しさを理由に通り魔のような犯罪を起こした場合に、犯罪を起こした者の生活や精神的苦痛が顧みられる世の中だと思う。犯罪でなくても、生活苦や精神的な苦しさをわかってあげようとすることが前提であるような、別の言い方をすれば、ことこうしたテーマに限定して言えば「わかってもらえない」という不満がいくばくかの市民権を得ているような世論がある。ぼくはそのことを批判するつもりはないし、わかってあげようとする世論が理解を生み出しているかも疑問なのではあろうが、ここで言う話はそういうことではない。
 日本がバブルと言われた時代は、ぼくがこれまで生きてきた中で最も貧しい時期とぴたりと一致する。後に95年から99年にかけてほとんど収入のない生活を体験したことがあるが、85年から91年にかけての借金をもとにした困窮に比べたら一文無しの生活などたいしたことがなかった。困窮ぶりについてはいずれ書く機会があるかもしれないが、困窮と同じぐらい苦痛だったのがそのことを語る資格を持ち得なかったことだった。
 「そんなのは今、流行じゃないよ」
 ぼくが高校で、あるいは大学で、ある人に自分の今の生活をつぶさに報告した時、こういう反応は少なくなかった。恰幅がよく、裕福なお坊ちゃんに見えなくもない外見にもよるのかもしれないが、周囲の人の多くがバブルの時にありがちな交際形式をぼくに要求した。いや、要求ではなくて、世の中にそれしかなく、善意がたまたまそういう形になったのだった。
 またぼくは高校の時に一年間ほど、精神的にひどく落ち込んだ時期があったが、たまたまぼくが太宰治やドストエフスキーを読んでいたことと、生来の三枚目的な扱いを受けたこともあって、
 「あいつは太宰の真似をしてるんじゃないか」
と茶化されてばかりだった。多くの人が落ち込んでいるぼくを面白おかしく受け入れてくれた。それはありがたくもあり、悲しくもあった。
 同じ苦痛を、語れる場合と語れない場合とでどちらが苦しいかということは同時代的に語ったことのほとんどないぼくにはわからない。ここで言いたいのは苦痛の程度でなく、語れないという全く別の次元の苦痛があることだ。たとえば、日本語の中に貧困を表す単語や表現がまったくなかったとしたら、貧困を語ることはできなくなる。もしそれを訴えたければ、言葉を知らない赤ちゃんのようにひたすら泣き喚くか、もしくは暴力行為に出る以外にないかもしれない。こうしてぼくはまず第一にメディアを憎み、同時代の文章に吐き気をおぼえ、流行が嫌になり、さらに言えば現実の自分をフィクション化して生きるようになった。もしありのままの現実をぼくが生きたのなら、今でも語り継がれるようなどえらい犯罪を起こしかねなかったのではないか。語れない苦痛は過去の現実の苦痛以上の影響をぼくに与えている。どういうことかと言えば、今、もしかりにぼくが貧困であったなら、これだけ貧困が語られているという理由だけから自分の貧困を語りたくない。貧困よりも貧困が語られていることの方に意識のウエイトが行ってしまう。あるいは貧しくなればなるほど金持ちに見せたくなるかもしれない。こうした異常なあり方はこの苦痛を経験したことのある人にしかわからないことかもしれない。
 ぼくが危険なアルバイトまでして旅に出るようになったのは、いろんな理由があるものの、一つには上で挙げた意味での言語を獲得したかったからだった。あの頃は外交官になりたいとか、商社マンになりたいとか、当時にありがちな就職希望をも持っていたはずだが、結局上海からハルビンの従業員に流れ、その先にある今の生活に行き着いたことは本意か不本意かではなしに必然だった。
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by gikyoudai | 2009-02-06 10:43 | 80年代 | Comments(4)
北京オリンピックと関わりたかった頃
 ぼくは主に中国や日本の社会のことを書いているが、どういう評価を受けるかは別にして、自分が主張しているように社会が進まないことに対して、常々疎外感のようなものと隣り合わせにいる。疎外感、というのは、日本経済が右肩上がりになるに従って貧しくなった自分の出自とも関係し、わりと早くから持ち合わせた心情で、一昔前の疎外感とはまるで別物のように思われ、詳しく説明したいとも思うが、今はその話はせず、要は世の中が自分の思いとは反対反対の方向に行き、なおかつ反対に進むことがさも当たり前であるかの装いを押し付けられたような感覚、ということにしておく。
 ではなぜ書くかと言えば、たとえ小さな芽であってもいつの世にか大きく羽ばたく可能性があるものを大切にしたい思いからにほかならない、と自分に対して言い聞かせている。とは言え、たまにはいいこともあるもので、ぼくが雑誌やブログで記したある出来事が、執筆したことがきっかけとなって解決に向けて動き始めたことを昨日知った。こういうことはとても嬉しい。本当に解決されたら具体的に明らかにしたい。

 最初にテレビ番組制作会社に就職したが、その動機は「新世界紀行」のような海外モノのスタッフになって、とにかく中国に行きたい、と思ったからだ。今でこそ自由民権運動だとか市民の連帯だとかホザいているが、あの当時は野心的なものはあまりなかった。学生は大志を抱かなければならないのかもしれぬが、そうしたものは持ち合わせなかった。と言うか、高校から大学に進むにつれて徐々に萎んでいった。
 入社の時にみんなの前で言ったのが「とにかく2000年の北京オリンピック(91年当時は2000年の候補だった)に関わりたい」だった。そんなことをオリンピックが近づいたある日、思い出した。
 今のぼくは、中国という対象そのものに好奇心を持つ姿勢を取っていない。それはポオズだけではなく、実際、中国の中でもある一部のことにしか反応しない知覚や感性が身についていて、中国で何が起こり、何が行われようが、そのすべてに関心があるわけではない。おそらくこうした志向は最初に上海、ハルビンに滞在し、自らの運命を自らの力で変えて生きていこうとした女子学生や出稼ぎ労働者たちを愛し、彼らに引きずられるようにして中国と関わり始めたあの頃から、潜在的には持ち合わせていたに違いない。ただし、自己認識と行動のための認識の間には常にギャップがあり、自分の志向性に気づくまで多大な時間を要した。だから、91年あたりの頃には「なにがなんでもオリンピック」の発想があったのだろう。今のぼくも当時のぼくもどちらもぼくである。
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by gikyoudai | 2008-08-07 11:33 | 80年代 | Comments(14)
『英文解釈教室』の魅力を語る難しさ
 忙しい上に体調が悪く、ゆっくりと物事を見つめる時間が取れず、ここにもなかなか書き込めないでいるのは歯がゆい。こんな時は雑念のように脳裏をかすめたことを記す。表題の通りだ。
 ぼくは英語が大嫌いだったが、受験のために勉強に多大な時間を費やし、『英文解釈教室』をはじめ幾多の参考書を読んだ。それは読むというよりも頭の中にそっくりそのまま詰め込んでいくような洗脳に近い読みだったに違いなく、読み方も時折投げたり、叩いたり、匂ったり、撫でたりしたので最後の方には本の体裁を成してなかった。
 高校の頃の愛読書といえば文学書や哲学書がまず思い浮かぶが、『英文解釈教室』ぐらい真剣に読んだ本がはたしてあっただろうか。何冊かはあったにせよ、上位にランクされることは間違いあるまい。『英文解釈のトレーニング』『和文英訳長文問題の解き方』『試験に出る英文法』『よくわかる英文法』『奇跡の英熟語』などと並んで。
 となるとぼくが何を語ろうがぼくの高校時代は受験一色だったと烙印を押されても仕方があるまいのではないのか。残念なことにぼくはこの本が当時も今も好きではなく、好きでないものが最大の愛読書であったとは暗い青春に違いあるまい。
 この本のよさは読み手を凡才だと決め付け、凡才でも入試問題が解けるような頭の使い方の流れを露骨に教え込むところにあったと思う。とはいえ、当時も今もこの本をはじめ受験参考書のよさ悪さをパロディー以外の方法で語れる方法をぼくは知らない。何度も試みたもののその都度場はしらけてしまう。
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by gikyoudai | 2007-04-23 20:31 | 80年代 | Comments(8)
「あすなろ」のない鎌倉で
 飲んで騒いだ翌日がとてつもなく憂鬱な気分になったりするのはなぜだろうか。昨晩は大船で飲む。高校時代に返った気分で、いつもより飲んだ。潮の満ちひきのようなものか、酔いがさめていく間は自分がいかにちっぽけでつまらない存在であるかを反芻させられる過程である。
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 鎌倉高校前の喫茶あすなろを待ち合わせに考えていたが、あすなろがいつしかなくなっていたことを現地にて知る。鎌倉高校前や七里ガ浜あたりも想い出の店が少しずつ消え、道に迷いそうなほど周辺の景色が変わりつつある。変わらないのは眼前の海と、さまよう心。
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by gikyoudai | 2007-03-04 15:49 | 80年代 | Comments(0)
命知らずの上に成り立ったぼく
 子供は時として命知らずなことをする。ぼくも小学生の頃、自宅マンションの6階の手すりを越えて、反対側、すなわちはるか下は道路、といったポジションになった上で、片手だけで手すりに捕まるという真似をしたことがあった。刑事ドラマの真似だったのかもしれない。
 あの時の意識はよくおぼえている。「あ~、落ちたら死ぬのだろうな」といった物理学の法則を目の前にしたようなとても虚無で乾いた感覚だった。今の言葉で言えば、何を思い何を感じ何を意図し何を願おうが、そんなことにはお構いなしに回る存在の持つ虚無であり乾きだった。
 怖くなって一瞬で上がったが、今なお当時のことを想い出して身震いすることがある。もしあの時、手が滑ったりでもしたらぼくの意識のなにもかもがなくなり、その後のぼくもなかった。手すりに片手で捕まったことなどなかったから、実際やってみて耐えられるものかどうかもわからず、落下する可能性は大いにあった。
 海外での災難などもあったが、そういったことも含め、自分がいかに脆い基盤の上に成り立つかを痛感するのである。そして、基盤が脆いからこそ、築くことを大切にしていきたいとも思うのである。
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by gikyoudai | 2007-02-27 23:34 | 80年代 | Comments(0)
夜が惜しくて
 不眠症というわけではないが、眠れずに悩むことは数限りなくあった。
 ~時までに起きなければいけないというのが苦手だった。そう考えると眠れなくなる。朝7時に起きなければならないとして、3時を過ぎるともうダメだった。鳥の鳴き声や初電の音が聞こえる前に寝ようと焦る。眠れないものだからタバコを飲み、煙が青く見え出したら、やがて空が白ばむ。
 思えば
 小学校低学年の頃から12時前に寝ることは少なかった。寝ることで、何かこの世が終わるかの、恐ろしい気分に陥ったことをおぼえている。日曜洋画劇場の淀川長治の「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」の後の音楽のなんと物悲しかったことか。
 長い間、夜こそが本当の自分の場に思われた。何をするわけでなくとも、寝るのが惜しかった。中学や高校の頃、友人の家で遅くまでダベったり、毎週のように真夜中の海岸に繰り出した。後に夜中のドライブもしたが、ああいう時の高揚感は何物にも替え難かった。あの頃の昼間の現実がなにもかもそらぞらしく、だからこそ闇は輝いていた。
あけぬれば、くるるものとは、しりながら
なほうらめしき、あさぼらけかな 
(百人一首、藤原道信朝臣)
 
 当時は恋愛の歌だったにせよ、「恋するあなたと過ごす夜」などと限定する必要はないかもしれない。恋愛も含めて夜をいとおしく思う場があり、やがて朝が来て、そしてまた夜が来るのはわかるのに、それでも夜明けがうらめしい。夜の底が白ばみ、つい先刻までの歓声とともに飲み干した、空の瓶を眺めながら、そんな感傷が刻まれる日々が確かにあった。
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by gikyoudai | 2007-02-10 02:34 | 80年代 | Comments(2)
沖縄出身の先生
 学校時代の最も苦い体験としては小6時のあるエピソードが挙げられる。
 担任教師は沖縄出身の若い女性で、今となっては考えられないかもしれないが、当時(1979年)沖縄の人は神奈川の住宅街だったそこではきわめて珍しかった。彼女は新米教師で。おそらくは本土の大学を出て赴任したのであろう。こうした経歴はぼくを含めて生徒の誰一人として知らず、さらに言えば沖縄出身であることもある時期まで誰も知らなかった。
 この先生はぼくたち生徒との関係作りに大変苦しんでおり、誰かを誉めると「えこひいだ」などと言われて教室でブーイングが上がり、泣きながら職員室に戻ることもたびたびだった。ただし、こうしたことは小学校高学年の教室ではよくあることだし、さしたる問題ではないのかもしれない。
 そんなある時、その出来事は起きた。
 発端はぼくが体育の授業で怪我をして保健室に運ばれたことだ。どうして怪我したのかはおぼえてないがともかく怪我をした。そして保健室に運ばれたぼくの体を心配してその先生がやって来た。おそらくたいした怪我ではなかったのだろう。先生にとって授業中の私語がよそのクラスまで聞こえたというぼくも持て余し気味の存在に違いないから、ちょっとしたコミュニケーションの必要性を感じたりもしたのかもしれない。怪我とは関係のない話をした。当時ぼくは自分が大分県の出身であることを授業中に自慢したりして(福沢諭吉が出てきたら「彼は中津の出身だ」などと二言目には大分の自慢をしていた)、それで人気があったりもして、その話の最中にも大分の話が出たに違いない。とにかくここまでのことはうろ覚えだが、次のやりとりは鮮明におぼえている。
 ぼくが何気なく「先生はどこの生まれですか?」と尋ねたのに対して、
 ほんの少し間があってから
 「私はね、沖縄なのよ」
と言った。当時は全く意識しなかったが、あれは告白にほかならなかった。
 「へえー」
 ぼくの感想は「へえー」以上でも以下でもなかった。沖縄の人が好きでも嫌いでもなく、たんに大変珍しいと思った。 
 「黙っててね」
 彼女が最後に言った「黙っててね」の意味を考えることもなく、忘れてしまった。
 ある時、クラスの大勢と話をしている時についつい「先生、沖縄の出身って言ってたぞ」と言ってしまう。
 それからが大変だった。ある生徒がえこひいきされたとかで先生のバッシングがまた始まったが、その際に「沖縄に帰れ」と言う奴が現れたのだ。
 言われたその瞬間、ぼくを見た涙混じりのきっとした眼差しをいまだに忘れない。
 この頃、少なくともぼくの頭の中で沖縄出身というのは特殊だという以外に何も特質はなかった。けれどもそうとは受け取らない同級生はいたのだろうし、それよりも特殊さがバッシングに使われると全く別の意味を与えることもありうる。ましてやバッシングを受け取る側の反応はぼくが予想していたものとははるかに違うはずだ。
 結局最後まで教師生徒の仲が改善されなかったこのクラスの、最大のバッシングの張本人にぼくがなってしまった。バッシングのたびに「沖縄に帰れ」が先生に突き刺さる最も辛い言葉になった。ぼくが同級生たちの言う「差別だ」に同意していたわけではなかろうと。
 今にして思えば、「黙っててね」の言葉を重く受けとめることも、日ごろから仲のよい同級生に「沖縄に帰れなんて言うな」と言うことも、全く難しいことではなかったはずだが、その時はやらなかった(今は沖縄のイメージ自体が異なる)。そもそも、この件は当時のぼくははっきりと意識してなく、今書いたような連関がはっきりと見え出したのは、ぼくが差別やバッシング具体的に知る中2ぐらいになってからなのだ。
 卒業間際、先生がぼくだけに被差別部落問題を扱った『橋のない川』(住井すゑ著)をプレゼントしてくれたことを今も重く受け止めている。今この先生はどこにいるのだろうと、時に思い出すことがある。そして、今この時にもぼくが平然と受け流す、もしくはこれでよかれと思ってやることが、思いも寄らぬショックを他の人に与えることがあるのをもっと重視しなければならないことも確かなのだ。
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by gikyoudai | 2006-12-11 12:56 | 80年代 | Comments(2)
   

読むことと旅することと生きること、そして書くこと
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