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by gikyoudai | 2006-10-30 02:45 | コラム
プレーオフをどう捉えるか
 日本シリーズで福岡ダイエー、西武、千葉ロッテ、北海道日本ハムとパリーグが4年連続で勝った。この2年はパリーグ圧勝の感が強い。プレーオフ導入によるセリーグの日程面の不利やトーナメントに慣れたパリーグの優位性が挙げられるが、ぼくは何よりも、03年阪神や今年の中日が終盤失速したことをみたい。すなわち9月以降時点で言えばこれらの優勝チームがセリーグ最強でない点だ。
 来年からセリーグでもプレーオフが施行されるが、中日・落合監督は導入に反対の意見を度々述べている。それはプレーオフで本来2位3位のチームが日本シリーズに進出することで年間を通じてのペナントレースの価値が下がるのではないかとの認識に基づいており、一理あると思う。2位チーム、3位チームが優勝するなどおかしいのではないかとの感覚は素人からみてもうなづけるものではある。
 とは言え、最初の話に戻るか、ペナントレースは長丁場であるだけに最後の方は息切れしたチームが優勝してもけっしておかしくない。昨年の阪神がそうだった(03年はさらにひどかった)し、今年の中日も9月以降で言えば息切れこそしてないが首位ではない。その年において日本で一番強いのがどのチームかを明らかにするのが日本シリーズなのだとしたら、シリーズの開催時期の前後に最強のチームが出場しないことは不均衡だと言えなくもない。その意味で、プレーオフにもそれなりの理があるように思える。そして、この制度の導入でセリーグにおけるペナントレースの意味が変わり、また野球が変わっていくことをファンとしてはたのしみにしたいと思っている。
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by gikyoudai | 2006-10-27 20:30 | 野球
問題のすり替え
Excite エキサイト :必修を未履修、11県66校で 文科省、全国実態調査へ
 この問題に対して複雑な思いを持たざるをえない。と言うのもぼく自身が高校時代、授業をエスケープしていたからだ。ぼくがエスケープしていたのは大学受験の科目とそうでない科目の両方だったが、受験科目の方は独学していたわけだから、受験科目以外の科目を勉強しなかった点で記事で挙げられる高校の生徒たちと同じだと言える。
 今にして思えば高校には高校なりの学習があり、けっして大学の予備校でない、という正論にもうなづけるようにはなっているが、それは歳を取って世界史、物理など広い意味での教養が必要だと思うようになったからにほかならず、あの頃はそんなことを考える余裕などなかった。高校生は大変忙しく、勉強だけをやっていればいいわけではない。恋愛(あるいは片思い)、友人との議論、部活、バンドなどもこなさねばなるまいし、思春期独特の物思う時間も必要には違いないし、家庭によってはぼくのようにアルバイトをしたり家族の面倒を見なければならない者もいるだろう。その合間を縫って勉学に励もうとする場合、高校の教育課程をはるかに超えた難問の出る大学入試に受かるべく、受験科目だけを勉強する風潮があるのは当たり前のことに違いない。この問題の非は記事に挙げられた高校よりも、むしろ高校の課程と大学入試制度の非一貫性の方(つまりは文科省)にこそ求められるべきものであろう。
 この問題を問題視するのであれば、対策は大学入試制度の見直し以外にはないものと思われ、そうでなければ杓子定規に必修科目の勉強をこなし、「正直者は馬鹿をみる」の世を作っていくことにしかならない。これから補講をやるなどというが、受ける側はもとより、授業する側もたまったものではないだろう。茶番劇のような授業を進めなくてはならず、おそらく大方の生徒は真剣に授業を聴いたりなどしないに違いあるまいから。入試に出なくても世界史は教養として必要だ、の正論が高校の段階で実感される社会にはなっていないということなのだろうし、その点を無視して枝葉だけをあれこれ論じたり、ましてや教養について真っ当に語ってみたところで仕方がないものと思われる。
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by gikyoudai | 2006-10-26 15:58 | コラム
幸せとは
 北京では、幸せとは何かについて語ることが随分と多かった。ホワイトカラー、プータローの若者たちと話す機会が多かったからかもしれない。ある人いわく、「中国も中国人も経済発展には熱心だけど幸せとは何かを考えて努力していない」その通りだと思うとともに、幸せについても日本の人と中国の人が語り合えるようになったことの実感を得た。おそらく18年前にぼくがハルビンでこのような話をしていたら狂人ではないかと思われたに違いない。
 以前テレビ会社にいた時に「幸せって何ですか」とのタイトルの企画をしつこく出してその都度一笑に付された経験があるが、確かに幸せは測りにくいし、絵にもなりづらい。たとえばぼくにとっては、公園の中のホームレスたちのカフェ・エノアールで、暮らしにいろどりを与えるこじゃれた置き物を見ただけも幸せに思えてしまう。時には数億円だろうがタダであろうが手に入れることができ、けれどもいくらお金があろうがなかろうが手に入れられないものこそが幸せ。
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by gikyoudai | 2006-10-24 19:47 | コラム
木村尚三郎先生について(終)
 木村先生に便りをすると、通常1週間以内に肉筆の丁寧な返事が返ってくる。ご多忙なのに大変なことだとは思うが、ぼくの知る限り、えてして本当に忙しい人ほど返事もまめであったりもする。ただ、この夏にお茶を送ったが返事がなかなか来なかった。海外出張でもしているのかと思い、さほど気にも留めなかったのだが、随分と日が経って、今回北京に行こうというまさに出発間際に、絵葉書に先生の字でしたためられた礼状が届き、「足が悪くなり外出できなくなりました。あの元気印がです」とあった。
 具体的な病名などは書かれておらず、ご高齢だから足腰が弱ったのだろう、ぐらいにしか思わず、北京で友人の洋画家から胡同(フートン)の洒落た絵葉書をもらったので、帰国次第見舞いにうかがいたい旨を書いて送った。後で聞いたところによると、その葉書はちゃんと読んだそうで「今度は何のお茶が飲めるのだろうか」とたのしみにしていたとのことである。ところが、16日頃に容態が急変し、17日21時半に都内の病院で亡くなった。最後にお会いしたのは昨年の9月で、その翌月に「肝臓がんでもう手遅れ」との診断が下されたそうである。ただ今年の賀状もふだん通りで、今年8月までは勤め先の大学に通っていたといい、また、ぼくも含めて外部の人にはいっさい病名を報告しなかったらしいが、それも早く回復したい意志の表れだったようで、最後の最後までご多忙で元気活発な先生であり続けた。
 先生が亡くなられた頃、ちょうどぼくは渋谷・宇田川町の羊しゃぶ店「小肥羊」で友人たちと歓談中で、個と個をつなぐための日中交流のあり方か、もしくは太った女性、痩せた女性のそれぞれにそれぞれなりの魅力がある、といった話をしていたはずだ。

 その羊しゃぶ店で一緒だった編集者の方から彼の雑誌で3年前に取り上げられた木村先生のアジアに関するインタビュー記事が昨日送られてきて、読んでみたが、学生の頃に読んだ先生の発想・着眼点に接して懐かしく思うと同時に、ぼくがいま自分で組み立てた意見だと思うところの中に先生の影響が少なからず含まれていることも感じた。思えば高校時代までのぼくはフランスの詩や思想を好んだものの、外国に対する関心はほとんどなく、外国に行ってみようと考えた際に先生がエッセーや話で言われた「研ぎ澄まされた野生の感覚」だとか「1対1でなく1対2の付き合い」だとか「発展しない時代の生き方」だとかに、思うところ感じるところが随分とあり、その衝撃が強かったぶん、少しずつ自分の血肉の一部となり、そういうわけで先生の具体的な話などをかえって思い出せなくなっているのではないかと今は考えている。
 木村先生は「タレント教授」などとも言われ、また、数多くの国家プロジェクトに関わっていたこともあって、一部の人からは冷ややかなふうに見られていたようで、ことにぼくと親しい人の中にそういう方が多い。そして、ぼくも考え方にしても行動にしても、ある意味先生とは真反対の道を進んでいる気がする。けれどもぼくは、立場で人間を判断するということをあまりせず、むしろその立場の中でいかに誠実に、かつ葛藤しつつ振舞えるかに重きを置く。このこと自体が先生の影響かもしれない。そして、ぼくなどがこうした文を書くことも、先生の、おそらくはよそで書かれているのとは全く違った面を示すのではないかと思って、あえて長々と先生のことを書いてきた次第である。今後また、折に触れて取り上げることがあるかもしれない。
 違った面、という意味で言えば、先生は西洋史の学者で、学者らしからぬ軽妙な語り口の文筆家で、また政治・教育・財界とも関わりの深い人物というのが大方の捉え方だろうが、以上のすべてはぼくにとってはどうでもよく、ぼくにとっては最高の教師であった。先生がぼくにくれたアドバイスで忘れられないものがある。ぼくが進路をさまざまに考えていた時にくれた「何をやろうが、どこで働こうが、それなりになるし、それなりにしかならない」だ。ぼくたちを覆ったマニュアル化時代の、はるか上を行く方だった。何一つ具体的なアドバイスをされたことも、進路や仕事の道を提供されたことも、説教されたこともなく、ただ存在することがぼくにとって何物にも代えがたい意味を持つ、そんな教師であった。(終)
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by gikyoudai | 2006-10-21 13:36 | 人物
木村尚三郎先生について(下)
 紆余曲折を重ねたぼく自身を、あるいはさらけ出して報告すべきではないのか、そのように思ったことは数知れない。けれども出だしの近況を全く語れずに時間だけが過ぎた。卒業するや否やピタッと連絡を閉ざすこと自体が失礼ではないかとも考えたが、かと言って今は何もしていません、という報告をするのもどうかと思われた。
 だから99年に『北京芸術村』という本を出した際にも、先生に本を送るかどうかについては随分と迷った。連絡を閉ざしてすでに8年が経つ上、ゲリラ取材を売りにした中国本を書くことが先生のご意向にかなうのか皆目見当が付かなかった。ただここで送らなければ2度と連絡できなさそうだったので、送ることにした。しばらく経って励ましとも言える読後感が和紙の便せんにぎっしりと書かれて送られてきた。少しほっとし、続く作品も送った。そして、一昨年から、以前のように半年に1度の赤坂の会食が復活した。
 この会食は前以上に嬉しいものだったかもしれない。少なくとも学生時代のぼくは何ももたなかったとは言え、若さゆえの可能性という何物にも替えがたい財産があったわけだが、歳を取るごとに可能性の幅は狭まり、また著書を出していくことは自分の存在意義を規定してしまう、つまり結果を明らかにしてしまう行為にほかならない。ぼくは常々、いま自分がやっていることをやるべきことだともやるべきでないことだとも考えている。それは社会に対してもそうだし、自分に対してもそうだ。だから、ある程度変わり果てたもののそれでも会食が続いたことはとても勇気付けられたことだし、会うたびにこれで終わりになるのではないかと緊張もした。それぐらいぼくは、日ごろ自分がやっていることに対して、はたしてこれでいいのかとの不安や疎外感と隣り合わせにいる。そんな不安を抱きつつ闇をまさぐるように少しずつ前進しているつもりだが、今思えばたくさんの友人・後輩、若干の先生・先輩、たくさんのメールや手紙とともに、木村先生の存在がぼくを後押ししてくれたに違いない。
 10年以上ぶりに会った木村先生は明らかに以前よりも年取ったとは言え、旺盛な食欲や軽妙な語り口、それにご活躍ぶりは変わらなかった。弱音のような言葉はついぞ聞かれず、相変わらず1年先までスケジュールが埋まっているような生活だった。最近は銭形平次をよく観ていたとも語っていたが、生粋の江戸っ子で、パリジェンヌの恋愛噺が好きで、あらためて思うにとても大人な方だった。北京に行くたびに現地で入手したお茶を送っていたが、それをたのしみにしているとも聞き、普通では手に入らぬような品をあちこちで探したりもした。(続く)
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by gikyoudai | 2006-10-20 13:59 | 人物
木村尚三郎先生について(中)
 卒業後、長いあいだ、木村先生に連絡をしなかった。「スケジュールがわかったらぼくから連絡する」ことになっていたが、連絡もせず賀状も出さなかった。ぼくはテレビ番組のADなどを経て、やがて華人社会に入り浸って4~5年の無収入生活を送るが、いったいどのように自分を報告したらいいかが自分にもわからなかった。
 学生というのはわりと何でも言うことができ、ただし話すことが行動と必ずしも直結しない。大学を出て、それまで考えたこと、思ったことと現実との違いを扱いかね、歳を取るごとに矮小になる自分に悩んだ。早い話が先生に合わす顔がなかった。
 あるいはその時その時で先生に相談をする手もあったかもしれない。ぼくもしばしば若い人から人生や進路の相談を受けることがある。そのようなことはとても嬉しいし、木村先生も「ぼくは今、ニートとも言える無収入居候生活を送ってますが、はたしてこれでいいのかどうか悩んでます」と打ち明けたら親身になって相談に乗ってくれたように思う。表向きの顔とは違い、実際はそういう気さくな方だった。
 ぼくは小さい頃から先生や先輩との折り合いが悪く、進路選択や悩みを打ち明けることのできる年上の人がほとんどいない。そのぶん同じ世代の人や若い人との付き合いは濃いのかもしれないが、要は相談を受けることはあっても相談をするという体験がない。ぼくにとって木村先生はそういうことが可能な数少ない先生であったが、結局相談をしたことはなかった。そして、今は、そのような人がいなくなったことの空白感に直面している。(続く)
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by gikyoudai | 2006-10-19 11:27 | 人物
連載
今日(18日)発売のNHKラジオ「中国語講座」11月号で連載『北京アンダーグラウンド(続編)』第2回「仏教」が掲載されます。機会あればご一読ください。
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by gikyoudai | 2006-10-18 11:59 | お知らせ
木村尚三郎先生について(上)
 木村尚三郎先生はぼくにとって数少ない恩師と言える方でたくさんのことを教わった。その方が昨日亡くなられたことを今朝の新聞で知り、今この文を書いている。
 木村先生とは直接には関わらない。西洋中世史が専門で、専門以外でも日本のさまざまな分野で活躍されていたが、日本の財界・政界・官庁・地方自治との関わりが深く、いずれもぼくにとっては遠い世界のものだった。特に2年生の時にハルビンから帰り中国との関わり方を模索し始めたぼくにとっては先生の携わる仕事も西洋史も視界になく、就職の相談をしたこともない。ただ、1年の前期の先生の授業になんとなく参加し、思うところを書いたことがきっかけで、ハルビン行きを境にぼくの考え方や行動は180度変わったが、在学中ずっとお世話になった。
 大学の時分、ぼくは大変貧乏だった。周囲のバブル的な風潮を睨みながらしこしことアルバイトをし、ディスコだとか六本木waveだとかセゾンだとかDCブランドだとか合コンだとか美味しいレストランだとかテーマパークだとかそういった80年代的な学生生活とは無縁で、少しでもカネがあると逃げるようにアジアに出かける、そんな学生生活だった。あの頃のぼくは、常々自分が社会からも時代からも必要とされていない人間なのではないかとの自問自答にくたびれ果てていた。そんな中の数少ない潤いの時間が一部の同級生や先生、あるいは他の人たちとの間であったが、中でも木村先生の存在は無言の叱咤激励という意味で特別なものだった。
 大学1年の秋ごろから、およそ半年に1回の割合で、先生にご馳走になった。場所はきまって赤坂東急ホテル最上階のフランス料理店「ゴンドラ」で、そこのシェフは先生と親しかった。こうしたことのすべてがぼくにとっては驚きだった。ぼくはフランス料理を食べたこともなく、またそのような店のシェフと親しげに話す光景など想像したこともなかった。日ごろバブルを恨み世を恨んでいたぼくにとり、2~3時間ほどの食事は明治の下級士族が鹿鳴館にでも行ったかのような豪華絢爛なひとときだった。
 木村先生は話術に頗る富んだ方だったが、若い頃は無口でいつも押し黙っていたと言っていた。さまざまな経験や立場を経て、あの落語家のような独特の語り口を体得したのだろう。食事の際、思い出すにぼくは名作を書きたいだの、アジア差別がどうだの、大学の授業がツマランだの、根拠のない感情論を口走ったに違いなく、先生はそのどれにも温かくかつユーモラスな語り口で応えてくれたが、会話に仮に上下を付けるとすれば、知識や思慮の浅薄な人間の方のレベルに落ちつくはずのものであり、総じて言えばただのおしゃべりだったかもしれない。ただし、ぼくにとってみれば、日ごろ自分の中で肥大化する思想を相対化する唯一で貴重な生きた教材だった。博識なだけでなく想像力も豊かで、自分の知らないことについても知らない自覚の上で新たな認識に積み上げていくような、とても知的な方だった。
 次回いつ会うかを決める際に、先生は手帳を取り出し、スケジュールを見るが、86年から91年ぐらいにかけての先生は1年後ぐらいまでほぼ毎日スケジュールが埋まっていた。その中身を見たことはないが、おそらく政府・財界・文化界などの著名人との会合ばかりだったのではないか。そういう多忙な間になぜぼくと会う時間を設けてくださったのかが、当時のぼくにはわからなかったし、今もわからない。ぼくは西洋史専攻の学生ではないし、仕事の面で声をかけられたこともなく、当時としてはなんら価値のないただの無名で貧乏な男子学生で、ぼくより優秀な学生など男女とも山ほどいた。さらにぼくは会話がうまかったわけでもないし、中国の情報を先生に提供したわけでもなく、高校の後輩でも同郷でも共通の知人がいるわけでもない。多少でも暇のある人ならまだしも、一年後のスケジュールまでびっしり埋まっている人がなぜわざわざそのようなぼくに会ってくれ、しかもぼくが行ったこともないようなレストランでご馳走してくださるのか、先生がゴンドラを選んだのはまだ無名で貧乏な大学院生の頃に先生にとっての先輩であった林健太郎先生からここでご馳走になったことがとても嬉しかったから、というふうに語っていたが、林先生にとっての木村先生と木村先生にとってのぼくとでは釣り合わない。そのわからなさは今もってわからないが、ただ一つわかるのはそのわからなさがぼくを支えたということだ。何を教わったというわけでないが、すべてを教わったというふうに今は考えている。(続く)
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by gikyoudai | 2006-10-18 10:40 | 人物
北京日記06秋7
食事日記
14日朝食10時月餅(豊台、家)、昼食13時水餃子(豊台、家)、夕食19時半北京ダック(建国門鴨王、外)、夜食23時半ミートソース(CDカフェ、外)
15日朝食6時半サンドウィッチ(バスの中)、昼食11時半洋食バイキング(グランドハイアット、外)、夕食21時マーラー麺(豊台、家)
16日朝食9時半(全日空596便の機内食)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 北京日記は今回はこれで終わります。メニューだけの食事日記では何を食べ、それがどういう味かよりもぼくがどういう地点を徘徊しているかに力点を置いています。文中によく出てくる豊台とは南四環(第四環状道路の南側)のそばにあり、また、たいていの日には海淀、昌平、通県、果園、望京のうちのどれかに行ってますが、これらはそれぞれ北四環の外、北五環の外、東五環の外、東五環の外、北四環の外五環寄り、にあります。四環を車で一周すると渋滞がなければ2時間弱ほどなので、ぼくの行動範囲を東京に置き換えれば、戸塚あたりに住み、東松山、所沢、草加、守谷、佐倉あたりを行き来している感じでしょうか。ずいぶんとイメージは異なるのですが。
 今北京で興味がもてる場は四環から五環にかけてとなります。こういう嗜好を持ち、なおかつ友人の家に世話になることの多いぼくにとって、市の中心にあるホテルはけっして便利よくはありません。実は14,15日の両日はある会社のご厚意で王府井にあるグランドハイアットという五つ星のホテルにチェックイン、豪華な外観と部屋、笑顔絶やさぬサービス、プール・ジムなど施設の充実度など、どの点を取っても申し分のない立派なホテルだったのですが、いかんせんぼくの行動半径とは合わず、14日はチェックイン後の1時間と朝3時~6時、15日は昼食の1時間と朝3時~6時の計8時間しか滞在できず、実にもったいない思いをしました。関係者の方々に厚く御礼を申し上げます。
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by gikyoudai | 2006-10-17 10:38 | 中国
   

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