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ルポライターの仕事11・・・説明する文章と説明を主張する文章
       2つのタイプの書くこと
 よくテレビや雑誌で著名人が語る内容が凡庸だったりすることがあり、「これならば私にもできる」と彼らみたいに語りたくなる衝動が起きるが、実際は彼らみたいに語ることは難しい。なぜなら彼らみたいに語ることができるためには語る内容ではなく、彼らみたいな著名人になることが求められるからだ。
 すなわち、ある人が公で発言する場合には少なくとも2通りの方法があり、「ある興味深い人が何を言うか」で発言する場合と、「興味深い話をする人がいる」で発言する場合とがある。前者では話そのものよりもその人が何を話すかに焦点が当てられるが、後者では何を話すかによって取り上げられるかが決まる。
 このことは人ではなく、テーマにもあてはまる。すなわち、「北朝鮮収容所100日潜伏生活」は、そこに何が書かれようが読んでみたい人が多少は多い話に違いなく、一方で「ごく平凡な人の杉並区荻窪・普通のマンションにおける100日間」であれば、そこに書かれるもののおもしろさ、感覚で読んでみたいかどうかが決まる。麻生太郎の自伝は少なくともぼくの自伝よりははるかに多くの読者を獲得するものである。

 ぼくが書くというのは、全くの無名人が市民権を得ていない題材でスタートすることにほかならない。よって、著名な方や市民権を得ている題材で書いている人は、「へえ、こんな人もいるのか」と気楽に読み飛ばしてほしい。

 著名であるかないかも含めて、興味をもたれるか持たれないかは、社会が作ってきた嗜好の影響を受ける。ルポと言うのは基本的にそうした嗜好を受けてよりも、そうした嗜好に働きかけ、知られず、感じられずにいる問題を知られ、感じさせたいものにほかならない。となると、初めから誰もが興味を示さない前提で始めていかなければならない。
 もちろん、そうでないルポもあるわけだが、そうでないルポ、たとえば注目を浴びている場所の実態を探るものにしても、その実態が違って受け止められていることに対する挑戦があってこそあえて取材が進められるのであり、構造としては同じことで注目の相対度の違いにすぎない。そして、注目度が少なければ少ないものであるだけ、同じ土俵で書くのだとしたら、より書かれる内容そのものを意識していかなくてはならなくなる。

         対象と書き方の態度の関係
 初めから興味をひく場合、書く上で大切なのは正確に描写ができることであり、文章は対象を説明することに力点が置かれる。もとめられるのは文章の読みやすさ、的確さである。もちろんこれ以上の要素をもつ文章も存在するが、成立する上で求められるものではない。だが、初めから興味をひかれない題材の場合は、対象を正確に描いただけでは成立しない。文章は文章が説明することの主張を持たなければならない。たとえば自分がそのマイナーな題材に関心を持ったとして、そのマイナーな題材を正確に描いただけでは作者の関心も伝わってこず、なぜ関心を持ったかの道程を文章に滲みこます必要がある。
 説明する以上の、説明を主張する文章とはわかりにくいが、自分を語る場合に置き換えてみるとわかりやすいかもしれない。たとえば地位も金もなく見てくれも平凡な男性が女性に自己紹介する場合、お見合いの場であるのと大人数の合コンである場合とでは全く違った場になる。すなわち前者では初めからこの人が何を言うかが観察されるが、後者では隣のバスケ青年にばかり注目が行くかもしれない。前者であれば自分を説明すればいいが、後者では自分を説明する場が与えられるかも定かではない。学級面談と就職面接なんかも同じような対比関係にある。いずれにしても、無難に説明する場すらも与えられない中で説明するという設定での説明とは、はじめから説明の機会が与えられた中での説明とは違うもののはずである。
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by gikyoudai | 2008-11-29 15:40 | ルポライター
ルポライターの仕事10・・・企画
 昨日、神奈川大学における外国語学部中国語学科創設20周年記念のシンポジウム「中国の今をどう見るか」(司会:大里浩秋先生、コメンテーター:田畑光永、莫邦富各先生)でコメンテーターをやらせていただき、自分の思っていることを話す機会がありました。他の先生方の長い蓄積や余裕のある話しぶりにはなはだ恐縮し、マイクの使い方をあやまったり時間配分を間違えてしまいすべてを語れなかったなどの反省点もありましたが、日ごろの思いを正直にぶつけてみることはできたと思います。関係者、参加者の方々に深くお礼を申し上げます。
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 仕事に取り掛かるのに若干のだるさを感じますので、ブログを書くことで勢いをつけたいと思います。昨日今日と八卦掌の練習をしておらず、だからだるいのかもしれません。
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         企画作成の時期
 1章(雑誌であれば見出し、以下同)、2章(見出し)、3章(見出し)と書き進めたあたりで限界に達し、再び1章(見出し)から書き始めようとした段階で、前よりも明確な構成が出来上がってくる。企画を出すのはすべてを書き終えた時か、もしくはこの頃である。初めに企画を通してから取材や執筆を始めるやり方もあるが、よほどビジョンが明確か、ありていのテーマか、もしくは出版社の方から持ちかけられる場合に限られ、自分でもまだまだ方向性が明確でない原稿、たとえばぼくのようなやり方で進められた原稿は売る前に作らなければならない。テレビ業界にいると作るよりも前に売ることが先なのがごく普通で、そうなると作品が自分から離れてしまうことを数多く経験した(そうならない人もいる)。したがって、今の段階では先に作ることにしている。
          企画書の書き方
 ねらい(はしがきに相当)と目次立てから成る。雑誌の場合も分量は少なくなるが、同じ。
          企画書作成の要所   
 テレビ業界勤務時代、企画が書けるとの評価をしばしば受け、企画書を書くコツを尋ねられたことがたびたびあった。企画書も就職活動の履歴書も同じで、コツは
 最初の5行も読まずに読み飛ばされ、捨てられることが当たり前、その前提で書くこと。
である。
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by gikyoudai | 2008-11-28 11:45 | ルポライター
ルポライターの仕事9・・・構成
 今日発売の「宝島」09年1月号で中国現代アートについて1ページの短い文章を書いています。機会あればご一読ください。それにしても、09年1月号という言葉に妙に焦ります。
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 昨日今日と肩の辺りが少し筋肉痛
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     構成
 書籍の場合であれば目次立て、雑誌記事の場合であれば大まかな内容の塊の羅列を記した上で書き始める。ぼくの場合は、目次立てや内容の羅列をある程度綿密に練ってからでないと書き始めることはできない。ただし一方で、これはあくまでぼくの場合であり、どこまで一般的なのかはなはだわからぬが、書く主体と考える主体という別人格の主体が存在し、書くことで構成は大幅に変わる。そのこととも関連するが、書き始める前に完璧な構成が浮かんでくることがぼくにはなく、4章の単行本であれば3章まで、3つの見出しから成る雑誌記事の場合は2つめの見出しの部分までを考えた段階で書き始める。4章のうちの4章、3つの見出しのうちの3つめまでが鮮明な経験はあまりない。そして、2章、3章と書き進めるにしたがって1章の大幅な直しに初めて気付くことが多い。取材の際に仮説と修正を繰り返すように、書くという行為においても仮説と修正を繰り返すことになり、大変な労力を要するが、2度旅ができるおもしろさもある。
 よく言われることであるが、ある構想が書籍になりうるかどうかの目安はとりあえず100枚書いてみることだとされる。このことはぼくもわりかし気にしている。
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by gikyoudai | 2008-11-25 23:18 | ルポライター
ルポライターの仕事8・・・書く作業のいろいろ
 これからの内容は前にもまして個人的な話に終始する。特にこれからルポを書き始めたいと思う人はマニュアルではなく、反面教師的な叩き台ぐらいに考えてもらいたい。
          書き方
 紙媒体の文章は手書きをパソコン打ちしている。昔からの癖でそうやっているだけである。まずノートか白紙に手書きで文章をしたため、それをパソコン打ちする段階でかなりの直しをする。
 ブログなどネット上の文章は直接パソコンで書いている。
 以上の区分けは特に違いがあるのかどうか、今の時点ではよくわからない。
          書く場所
 手書きは喫茶店で行い、パソコン書きは自宅か作業場で行なう。
          書く時間
 基本的に書く作業は日中しかやらない。夜に書くと眠れなくなってしまうから。
          書く順序
 最初に最初を書き始め、最後に最後を書き終える。当たり前のことだと思うかもしれないが、こういうふうにする人はあまりいないのではないかと思う。たとえば5章まである本の3章だけを書き直すということがぼくにはできない。3章を直したい場合も1章から書き直していく。3章とは1章、2章を書くことを通じて芽生えた何かを受けて成立しているはずで、だとしたら3章に問題があるとしたら1章にも問題があるのだろうと考えてしまう。
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by gikyoudai | 2008-11-23 00:29 | ルポライター
ルポライターの仕事7・・・取材後など
 今日(18日)発売の「新潮45」12月号で三国志について書きました。機会あればご一読ください。この雑誌ではひたすら中国古典について書かせてもらっております。
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       取材後
 滞在中、空いた時間にノートを見直すようにしている。そこから雑感が芽生えることがあり、それを赤字で記しておく。赤字の雑感がこのブログの「北京日記」での感想になっている場合が多いようである。ただし、ノートを見て「北京日記」を書いているわけではなく、わざわざノートを見直して赤字で記すことが記憶を鮮明にさせているのだと思う。こうした雑感がその時々の仮説の設定やその修正であり、書く時の1つの核となりうるものである。

 そのこととは別に、雑誌で取り上げたいテーマが浮かんできたら、そのテーマでの取材、すなわちコメント取りや統計、ニュースなどのリサーチも並行して始める。新聞記者や雑誌の専属ライターの取材はこの時点から始まるのが普通のようだ。ぼくのようなフリーのルポライターの場合はそれまでの過程の方がはるかに長く、ぼくはこちらの方を重視している。だが、一般に取材とはその後の過程を指す。

 初めて会う人も再会の人もいるが、取材をしていく中で新たな人やグループを紹介されることが多い。次に述べる探す行為を通じてその機会は格段に増える。自分の興味に従って積極的に関わりを作っていこうと心がけている。このことは仕事と言うよりは愉しみと言う方が近い。
 会いたい対象を探し出すコツは「探す」ことである。このことは情報というものが与えられるものだと思う人には難しいことではある。探すこととは、自分がやりたいこと、関心のあるものを明確に理解したうえで、そのことを積極的に語ることである。とは言え、自分がやりたいこと、関心のあるものなど、ある程度取り掛からなければ見えてこないものであり、最初の模索の段階においては自分に素直になった上で、その時における最大限の仮説を自覚し、語っていく、そうしていくうちにベクトルが定まっていく。この最初の段階で世論や周囲に合わせてしまうと、自分との距離が生じる。

 帰りの空港や飛行機の中で可能な限りノートを見直す。ぼくにとっては大切なことで、なぜならぼくは原稿を書く際にノートをほとんど見ずにとりあえず書いてしまうからである。このことは後でまた述べる。
       その他
 ルポライターやカメラマン、テレビディレクターのような職種の人はいつどこででも寝ることができ、何でも食べることができ、長時間の移動もへっちゃらであるようなタフさが求められる。ところが、ぼくはそうしたタフさが全くなく、そのことがあらかじめ仕事を決めずに取材を始める理由にもなっている。どういうふうにないかと言えば、
 (1)大の飛行機嫌い(特に航空会社と機種と座席に左右される)。
 (2)4時間以上の無喫煙に耐えられない。
 (3)寝台車で寝ることが大の苦手(鉄道ファンの悲しい性。次の停車駅が無性に見たくなって興奮が抑えられない)。
 (4)大のゴキブリ・ネズミ嫌い(都会限定。農村はどうでもいい。農村でのゴキブリ・ネズミは比較的大丈夫)。
 (5)基本的にアジアの料理よりも洋食が好き。ビーフン、キムチ、香菜、薄味の料理、酸っぱい料理、朝以外の果物など天敵も数多い。
 (6)トイレにうるさい。トルコ・インド・タイ式を除く水洗しゃがみ便所を使うことに恐怖感を持っており、トイレを想定して前日あたりから食が進まなくなる(どぼん式は問題ない。つまり、昔の中国の公衆トイレは平気だったが、最近の中途半端に近代化されたやつが使えない。また、日本でも使えるトイレは限られてくる)。
 (7)風呂がないと耐えられない上に、使ったことのないシャワー・風呂ではお湯を飲んでみないと浴びることができない。飲むと有害な液体に肌が触れることをこわがる習性がある。この習慣のためにネパールでは悪性の下痢に罹ったことがある。中国では今のところ問題なし。
 (8)極度の閉所恐怖症。ホテルのようなワンルームの空間でもなかなか寝ることができない。
 以上のような性質があるために、ぼくはけっしてこの仕事に向いた人間ではない。それでもこの仕事をするのは出会いと再会が好きだからで、以上の嫌なことを忘れさせるだけの魅力がある。大切なことは向くか向かないかではなく、好きなことがあるかないかだと思う。
 昔からぼくは海外でほとんどホテルに泊まることがなく、気の合った友人の家に滞在するのが普通であるから上述のダメな問題はある程度クリアされている。
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by gikyoudai | 2008-11-19 02:44 | ルポライター
ルポライターの仕事6・・・取材法
     取材の進め方
多くの場合、取材はノートで記録を取りながら行なう(そういうことができない設定もあるが、その場合は終わってから直ちに記憶を頼りに書き進める)。インタビューをよく受けるような人物は別として、たいていの場合は相手の話すスピードに書く作業がなかなかついていかず、速記になるので、後で見直し、書き足すなどの作業も必要である。

前回までの心得を前提とした上で言うと、質問をする際には相手を気遣いすぎることはよくない。たとえば、こういう質問をしては失礼ではないかとか、相手の時間もあるからこれぐらいでやめておこうとか、相手の言っていることがあまりわからなかったが聞き返すのは失礼、とかいったことである。自分がその時にききたいことを100%尋ね、100%理解することを目指す。

ぼくは中国語能力がそれほど高くなく、中国人を取材する際に聞き取れないことが多々ある。その際は何度も尋ね直し、挙句の果てには筆談で書いてもらう。多大な時間を要するが、今までこういうことを嫌がる人にお目にかかったことはなかった(もしかしたらぼくが気付いていないだけかもしれないが)。

また、「好きなことをやっていきたい」「批判性が大切だ」のような、きわめて漠とした言葉はそれで受け流してはならない。彼にとってそれがどういう意味を持つ言葉なのか、もっと突っ込んで尋ねることや、例を挙げてもらうとか、生い立ちから聞き出すような姿勢が大切ではないかと思う。前回に挙げた違和感も含めて、臨機応変さが求められ、臨機応変さを出せるコツは何ていうことはない、要は自分にいかに素直になれるかである。

こういうことをした上でも聞き落としは数多くある。今はネットがあるのでメールで尋ねるなどの方法がある。しかし、自分が相手に対してどのように向かい、どのように把握していくかの根本の取材は直接会った段階で完全を目指していくことを心がけている。それが把握できたと思った時がひとまずの取材を終える時である。

      二度目、三度目
取材を終えたら、別の取材に向かうことになるが、それとは別に、時期をあけて再会することも大切だ。一度目の取材で100%わかったつもりになっても、実際に100%わかるなどということはありえない。相手が初対面時はあまり話したがらないこともあるだろうし、状況が変わっている場合もあるし、認識能力の限界もあるし、人間の真実とは一つの出来事を一つの言葉で語りつくせぬような多層性を持つので、こちらの理解度によって相手の言葉も変わっていくものだからである。たとえば、ぼくが生きた時代をシラケ時代だとした場合に、それを日本をろくに知らない外国人に話す場合と、日本通の外国人に話す場合と、同年代の日本人に話す場合とでは言葉も変わってくる。そういうことだ。

また、相手を100%理解するというのは、正確に言えば自分の興味にもとづいて相手を100%理解することにすぎず、それは相手の中の1%程度のことでしかないかもしれない。残りの99%は自分の興味によって切り捨てられた相手の姿だが、自分の興味が変われば切り捨てられた方にむしろ関心を持つこともあるだろう。興味とは前に述べたアンテナのことである。

時間を追って取材することで、相手を時間の経過の中で把握できることも挙げておかねばならない。特に中国のように変化の著しいところでは、その時の言葉だけでは理解に追いつかないこともあるし、変化が何事かを示したりもする。

        仮説の確認
このように取材を進めていきながら、相手への理解、テーマへの理解を常々仮説として理解しておくことが必要だ。シラケ時代について、日本をろくに知らない外国人の理解というのが取材をする前のぼくの対象の把握にほかならず、背景知識が増え、それは常に修正される。前述の違和感にも忠実になった上で、仮説を変えていく作業こそが必要で、その変えていく過程こそが書く場合の内容ともなってくるのではないかと考えている。

仮説が変われば、会うべき相手も変わってくる。だとしたら新たに会いたい相手と会う。その繰り返しである。
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by gikyoudai | 2008-11-16 10:34 | ルポライター
ルポライターの仕事5・・・取材中
   セッティング
 取材対象者の中には忙しくて喫茶店で30分過ごす程度しか時間がない人もいれば、夕食まで用意していて飲み会を期待するような人もいる。プロの取材者であれば、前者では少しでも時間を延ばし、後者ではなるべく簡潔に済ませようとし、要は常に自分のペースに持ち込もうとするものだが、ぼくは一貫してそういうやり方はしてこなかった。すなわち、セッティングは限りなく相手に合わせてきた。なぜそうするかと言えば、ぼくにとって取材は対話にほかならず、たとえ疑似体験的であってもぼくが友人にしたいようにすることを心がけてきたからで、中国など場所によってはそうしないと取材が成立しにくい場合もあろう。そして、結果的に見れば取材そのものよりもその後の飲み会の時の方が見えてくるものが多い場合もあり、まんざら悪い方法でもない。ただし、そのためにはかなりの時間の余裕を持たなくてはならない。二度食事をするとか、二度飲み会をするようなことが耐えられない人には難しいことでもある。
      対話
 取材行為とは対話でなくてはならない。すなわち、取材において必要なのは聞くことだけではなく、話すことである。ここで言う話すこととは自分を語ることである。
 話すことにより、自分が何を尋ねたいかが相手にもより明確に見え、また相手の話を自分の思考の文脈の中でとらえることができる。話す取材を行なわないのであれば、必ずしも取材をする必要はなく、その人の著書でも読んで、それに2,3の質問をメールでするだけで済むことである。
 また、話すことで相手とのズレも明確になり、自分がこの先誰と会うべきなのか、より明確になるし、相手から紹介されることもある。ともかく話さなければ、相手とて何者かなどわからず、なぜ自分に質問するのかの問いを相手に植え付けてしまう。
 そして、最も大切なことは、取材行為とは侵入行為にほかならず、だとしたら侵入したなりの自分であろうとする自覚である。取材相手にとって自分がそこに割り込んだことが広い意味でよかったと思わせるような取材に近づけていく努力が大切なのではないかと考える。すなわち、努めて自己を語り、外国人が相手なら日本を語り、他人として考えうる相手への感想・メッセージを語ることである。相手がはるかに力量がある、などということを考える必要はない。無力には無力なりのメッセージがあって、無力だから軽く見るような相手なら取材などする必要もないし、語ることもない無力でいながら相手と会うというのは相手にこそ失礼である。相手がはるかに大物だから黙っていよう、などというのでは何年先になってもその関係は変わらない。
 ただしなんでもかんでもとにかく話すのがいいわけでもない。逆にこちらが一方的に話したら相手は何のために自分と会っているのか、の疑問を抱くに違いない。大切なのは話すことではなく、対話をすることにほかならない。
 自分が相手を取材し終えた際、相手も(望む望まないに関わらず)自分に対して十分な取材ができたと思わせるような形の取材は一つの理想形である。
       違和感
 相手に対して思っていたことと実際が違うなどと、違和感を感じることは往々にしてある。この際も取材を中途半端にしたりはしてこなかった。違和感は違和感で終わる場合もあるが、後々その違和感が自分を新たな方向に導くのに気付くことも少なくない。そして、取材行為とは取材をする前よりも取材をした後の方がおもしろいことが文章化する上では望ましいわけで、その展開の契機となるのが違和感にほかならない。
 違和感は往々にして不快感や怒りなどのマイナス印象を伴う。たとえば取材対象を「政府から抑圧された存在」だと強く意識した上で取材をし、相手にそれほどそんな感じがしなければ、物足りなく思う。テーマに対する意気込みが強ければ強いほど物足りなさの衝撃も大きいに違いない。ただ、そこで、物足りなさが相手の原因なのかそれとも認識のズレによるものなのかでその後にすべきことも全く異なってくる。前者であれば他の人を探すが、後者であればそもそも自分のとらえ方が違っている可能性がある。その修正の契機となるのが違和感を感じることにほかならない。違和感を放置したままおもしろいことだけを追っていくやり方は現地に行ったことにはならない。
 大きく違和感を持つことはすばらしいことである。なぜならそれが固定観念にせよ、強い思い入れがあったわけだから。その分だけ違和感も強まるが、その強さを引き受けていく姿勢が大切ではないかと考える。

 なお今回の文は殊更、新聞社・雑誌社からあらかじめ内容も含めて依頼されたインタビュー取材とは大きく異なるやり方かもしれない。ぼくがあらかじめテーマ・内容を媒体と取り決めた上で取材することがほとんどないのは、かくなるスタンスを取れないからである。以上はあくまでぼくのやり方、考え方にすぎない。
 
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by gikyoudai | 2008-11-13 12:15 | ルポライター
ルポライターの仕事4・・・取材前
 しつこく書くが、これはぼくのやり方を語ったものであって、マニュアルではない。       
              アポ
 前述の連鎖式の取材を行なう場合、すでに取材対象とは会っているわけだから、アポに苦労することはあまりない。とは言え、こちらから直接アポをとる場合もあるし、初めて取材する際にはアポが必要となる。当然ながら既知の人でも日時などのアポはとるわけで、ここでは取材依頼、日時の決定に分けて書いていくとする。
           取材依頼
 取材依頼で最も大切なのは前述のアンテナである。アンテナとはすなわち好奇心のベクトルであり、また取材内容を文章化する時の文章を書かせる指針、真のテーマ、とも言うべきものである。このアンテナに取材対象者が関心を持たなければ取材は成立しない。アンテナとは必ずしも個人の営みに限定されるわけではなく、新聞記者であればその新聞が、外国人であれば国籍もアンテナであり、取材対象者が海外メディアに関心があればそこの社員が取材をすることはけっして難しくないし、そこに在籍することでアンテナはある程度存在してしまう。フリーで、なおかつ特定の媒体がない者はこのアンテナを人一倍多く自分で築いていく必要がある。すなわちそれは、何のために取材するかの現時点での回答であり、何を語りたいかという自分への回答である。
 ところで、何のために取材するか、というのは、誰もやってないテーマで行なう場合、取材を進めていかなければ見えてこないものである。すなわち、ルポを書く場合には、取材対象者に取材意図を語らなければ取材が始まらない一方で、取材を始めなければ取材意図が語れないというジレンマがある。必要なことは、たとえそれが未熟なものであろうとも、その時その時に思った最善の考え方を仮説として意識し、精一杯語ることである。
 アンテナとはルポをやる人間にとっては人格というのに限りなく近く、男であるか女であるか、どういう時代背景で生きてきたか、誠意があるか、なども含まれる。よく誠意だけで取材が成立する場合があるが、誠意だけで取材が長続きすることはなく、それは誠意というアンテナの一要素が認められたものの、それ以外の要素が見透かされていくためである。
           取材対象
 あるテーマがあって、そこでAとBが対立関係にあるとして、自分がそもそもAに関心がある場合、Bから取材を始めてはならない。なぜならBから取材を始めた時点で取材者の立ち位置が決まっていくからである。
 たとえば、農村暴動を取材するとしたら、最も容易かつ頻繁なのは政府や警察からアプローチする方法であるが、これをやった時点で取材者の立ち位置は決まる。立ち位置は思考で決まるものではない。取材前には「初めにBをやり、その中からAのコメントも取っていこう」と考えるものだが、それは取材者が完全な外の人間だからなしうる発想であり、実際にBに身を置いた時点では当人がどう考えようと座標が定まっていく。政府側に身を置いてどれだけ農民の直接取材を行なおうがスパイのように振る舞いでもしない限りそれは政府の取材でしかない。逆に言えば、もしそういうアプローチであるとしたら、政府の取材であると割り切っていくことが大切で、避けたいのは政府を通じて取材しておきながら民衆の側に立ったように勘違いすることではないかと思う。
 スパイのように、と書いたが、Aの中にもBに限りなく近い人がいて、そういう人を主軸に据えていくというのは立ち位置を変えていく際の有効な方法ではある。ただし、これは関心・共感の移動に伴う偶発的なやり方であって、初めからAの中でBに近い人を探すというのはそうそうできるものではないと思う。
          日程・場所
 日程は余裕を持っておきたい。充実したスケジュール作りは現地での可能性を狭めてしまう。ぼくが中国で取材する場合、日本でアポを取ることはない。中国に降り立って初めてアポ取りを始めるように心がけている。そのため最初の二日間は初めから何もやることがないと想定している。
 場所は相手に合わせたい。よく知らない場所であるとか、日時の突然の変更やすっぽかしは往々にしてあるが、ぼくはわりとそういうことに無頓着な性質である。そうでなければきつい仕事だと思うかもしれない。テレクラで会う約束をして駅前の広場に立つあの感覚である。
 
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by gikyoudai | 2008-11-12 10:25 | ルポライター
ルポライターの仕事3・・・道具
 昨日横浜のZAIMで中国インディペンデント映画の集まりがあり、そこで中国の文化環境について45分ほど話しました。ぼくよりも詳しい人が少なくない中で好意的に聴いてくださったこと、そして毎度のことながら、必ずしも脈略のあるわけでないぼくを呼んでくださった方々に感謝いたします。
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 一昨日、昨日と八卦掌の稽古ができませんでした。最近八卦掌をやらないと体がすっきりしない感があります。昨日打ち上げの飲み会を先に出てしまったのもそうした体調不良が関係したのかもしれません。すみません。
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       道具 
    テープレコーダー
 今までに使ったことは一度しかありませんし、ぼくがテープレコーダーを扱うことを必要とされるインタビューは一度もやったことがありません。テープ起こしが大変なこと、農村で取材する際も運よく通訳(方言→普通話など)にあたる人が必ずいたこと、ぼくが比較的方言に慣れやすいこと、テープを回しているとそちらに気を取られて対話に集中できないこと、テープレコーダーを必須とするような党や政財界の大物のインタビューに全く関心がないこと、人によりテープを回されることが嫌いなケースが少なくないこと、などの理由で、使わない方針です。
 逆に取材を受ける際にテープレコーダーを使われる場合は歓迎しています。基本的に撮(録)るよりも撮られる方が好きです。
    ノート・筆記具
 ノートと三色ボールペンは必須です。一回の取材旅行で最低一冊は使い果たします。二週間で一冊ですから比較的多い方かもしれません。基本的にいかなる友人といかなる場にいる時もノートを携えていて、天気だとか店の従業員の様子とか何気ない会話もできる限り記録しようと考えています。こういう態度を嫌がる人は多く、「ノートは後にしてリラックスして話そうや」などとしょっちゅう言われますが、「今この瞬間を大切にしたい。だから忘れたくない」と言って手放さずにいると二度目からは言わなくなり、そういう人として受け入れてもらえます。
 対話のときだけではなく、移動中の光景や、その時に思ったことも書き留めます。その時に思ったことを書き留めることは大切だと思います。その時とは取材した時、ではなく、思いが浮かんだその時に書き留めておくことです。
 困るのは酔った時でしばしば店に置き忘れます。ただし、運よく、紛失したことは一度もなく、取り戻しに再来することになります。それによって新たな出会いができたこともあります。
     デジカメ
 雑誌で書く場合も含めて必須です。記録用に多めに撮ることはもちろんです。ただし記録用という意味ではノートほどには用いません。記録は書くことを基本にしています。
      カネ・パスポート・航空券(乗車券)
 旅に必要なものです。中国の場合、なければないでなんとかなりそうですが、なくさないように心がけています。
      着替え
 重要なアイテムです。身なりは少なくとも自分からみて気に入ったものを身に着けることが取材では大切です。こういう人と会う時はこういうスタイルにしよう、などと考えて、スーツケースに服を詰め込みます。漂々とした人であればなんでもいい、というのがスタイルになりますが、ぼくはかなり暑苦しい人間なのでここらへんはかなり意識します。それが傍で見てかっこいいかどうかは別の問題です。身軽な目立たない服装をすすめる人もいるでしょうが、ぼくは反対します。
       おみやげ
 重要なアイテムです。相手を想像し、こういう人にはこれをあげたいと思うことが大切です。
         その他
 変圧器・充電器・名刺・石鹸等・本・パソコン・頼まれ物
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by gikyoudai | 2008-11-09 12:12 | ルポライター
ルポライターの仕事2・・・営業
 営業
 たんに出版社からの依頼を受けることも含めて、営業をせずに成り立つ仕事はない。
(心がけ)
 営業においては、自分が自分の望むように出版社に認められることが大切だが、このことは容易ではないし、実際、自分の思ってもいない面を引き出されることもあるから、あまり自分を規定しすぎるのはよくないとも思う。ぼくは「中学校の教室で自分がどう認識され、振舞えるか」、その時の教室というのを世間レベルに広げたものがこの仕事における営業だと考えている。「世間」という言葉を使ったが、人によりその空間の大きさは全く異なるものであり、ごく身内の内輪の場合もあれば、得意先の出版社に限定される場合もあるし、日本社会や東アジアであることもあるだろうし、世界や宇宙であることもあろう。いずれにせよ、その中で自分が自分のありたいように振舞えることが理想だが、中学校の教室で理想的に振舞いたいと思っても簡単なことではないし、行動やナリには常にレッテルが伴い、たとえばいったん「暗い人」と認識された場合、そうでなく振舞うか、暗いまま充実していくか、など、いずれにせよレッテルと格闘しなければならないように、行動に伴うレッテルとの格闘は容易でなく、そこにこそ広い意味での表現やオリジナリティがあるとも考える。
 そのためには、とにかく書く、出版社に日ごろから自分を語る、時には向こうの意向に反論する、などの積み重ねがいるのではないかと思う。ただ、ぼくもまだうまくできている実感はない。
  (営業の仕方)
 書きたいものを書くこと、そしてそれを知らしめる努力。仕事が減った時は仕事を探すのではなく仕事をすることが大切だと考えている。
   (依頼について)
 出版社からの依頼については以下のスタンスを取る。
(1)日ごろからある限定したものしかできない自分を印象付ける。
(2)その上で来た仕事は基本的にすべて受ける。
(3)それでもなおかつ不本意な仕事が来た場合は断りつつ(1)を繰り返す。
 (原稿料、印税、経費) 
 海外取材の場合、経費が出る場合は規制が大きく、経費が出ない場合はわりと自由である。ぼくは圧倒的に後者が多い。ただし、経費が出なくても原稿料が出るなら完全に自由というわけでも(当然ながら)ない。ぼくは中国に行く際にあらかじめ雑誌掲載などの企画を通していることは稀であり、企画を通してから中国に行くやり方は中国という場所の変化の激しさや偶発性の大きさを鑑みれば得策でない、とも思っている。結局見切り発車でスタートさせていくほかない、というのが現時点での結論で、その意味でぼくはプロではない。
 原稿料などをもらった上で見切り発車が採算が取れているかは全くの運と言うほかなく、幸いなことに今まではずっと採算が取れているのではないかと思う。思う、というのも変だが、ぼくはそういう計算をやったことがない。
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by gikyoudai | 2008-11-07 13:11 | ルポライター
   

読むことと旅することと生きること、そして書くこと
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