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中国の変化に関してのぼくの考え方
 少し前のことになりますが、27日発売の「週刊金曜日」で連載「浮澡中国」第13回「中国アートバブルの崩壊」が掲載されました。機会あればご一読ください。
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 よく質問される話について、ぼくの考えを記しておきます。
・・・・最近の中国について  
 何も変わらないというのは、変わろうとするものが変わらないものとせめぎ合って、変わらないものを変えるに至らず、それでもって傍目には変わらないように見える。そんなことがあります。
・・・・4月以降はどうなるのでしょうか?
  変わろうとするものがより大きく変わろうとすることは確かだと思います。ただ、変わろうとしないものがより強く変わろうとしないこともあるわけで、同じ重さの人がシーソーに乗ればシーソーが全く動かないこともあるわけです。
・・・・どういうところを注目していきますか?
  変わろうとするものに注視していきたいです。それは最近の変化ではなく、オリンピック前にすでに準備されていた一連の変化です。
・・・・あなたは中産階級もしくは民間の台頭に注目されているようですが、中国にあってそのような存在は社会を変える力にはなりえないのではないでしょうか?
  そうかもしれません。ぼくはもともと中国がかくかくしかじかになるからそれに合わせて自分も行動しよう、などというスタンスをとっておりません。歴史的に見れば中国で中産階級や市民が社会を引っ張っていくことは考えづらいかもしれません。ただ、ぼくは中国が大嫌いで仕方がない人がそのように主張するのはよくわかるのですが、そうではなく他方で中国へのなんらかの期待を抱いているような、たとえば「これからは中国の時代だ」のような気分のことを話す人たちですね、そういう人たちが中産階級や市民の変革を全く期待しないことは理解できません。変化が非常に難しい、というのはよくわかりますが、変化がありえない、というのは態度としてどうかな、と思うわけです。市民がなんら力になり得ないような、個人が大切にされない社会がはたして世界を引っ張っていけるのか、万一そうなってしまったとして、そのことを歓迎するのか、そこから何を知りたいのかが理解できないのです。
・・・・非常に難しいとは思っているわけですね。
  それはそうです。絶望的に難しいのかもしれません。そして、中国と接する時の態度を語るならば、難しいか難しくないか、よりも、難しいのだったら注目するのかしないのか、を問うているわけです。
・・・・難しいとしても注目したいと
  注目する理由は難しいか簡単かではなく、注目に値する内容なのかどうかということです。そして、何をもって注目に値するかは難易ではなくそれそのものの意義だと考えます。付け加えると、難しい、というのはありえない、というのと似ていますが異なります。中国語の話をしますと、中国語の「難」は実際の会話において「難しい」という意味ではなくて「できるはずがなくやる意味がない」となることがあるのは「少」が「少ない」ではなく「例外的で考える必要がない」と作用することと同じです。このような言語空間の場に浸っていると、ともすれば日和見主義に陥りがちですが、そうでない人たちがいることも確かなのです。
・・・・・あなたが民間に着目するのはそういうところからですか?
  ぼくはもともと中国に関心がありません。ただ、たまたま民間と接する機会があり、彼らに対してぼくが経験したことのない自由を享有していたことに惹かれ、自分を重ねてみたくなったわけで、ぼくが興味あるのは中国ではなく、彼らです。
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by gikyoudai | 2009-03-30 10:56 | お知らせ | Comments(0)
オーマイニュースの撤退に関して
Excite エキサイト : ITニュース
 市民発信のネットニュースを売り物にしたオーマイニュースが日本から撤退するようだ。ぼくがテレビ業界に入った頃、MXテレビや朝日ニュースターなどのビデオ記者や素人投稿番組がもてはやされたことがあり、「これからは市民が映像を発信する時代だ」と言われたもののやがてそれが忘れ去られたかのように語られなくなった。そのことに通じる出来事かもしれない。けれども、「市民が映像を発信する時代」はその時の盛り上がり方のようにはならなかったものの、ビデオジャーナリスト、インディペンデント映画の勃興になんらかの影響を与えたに違いないし、当時は想像すらされなかったyoutube、ニコニコ動画、土豆網などの新しい元気ある媒体を生み出しており、けっして廃れたわけでないことは強調したい。
 オーマイニュースもそうで、ここが撤退するからと言って、市民発信ニュースが日本で根付かない、というふうには言えない。中国に関して素人であるぼく(中国語検定試験を含めて何の資格も持たず、大学で中国関連を専攻したわけでもなく、中国に関するあらやる機関に所属せず、さらに言えば一昔前ならぼくの取材自体が違法だった)が、中国政府となんら関わりのない民間を取材して、つまりは市民発信のニュースを書き、それがどこぞの媒体に用いられて原稿料や印税として返ってくる、などということ自体が90年代までの日本では考えづらかったことで、ネットの発達もあり市民発信型のニュースが活動する余地はますます増えている。

 つまり、オーマイニュースが撤退するからと言って、市民発信ニュースが日本で根付かないとは言えないが、オーマイニュースという媒体が市民発信型の新しい波を活かすことができなかったとは言えるだろう。
 ぼくは書いた原稿がボツにされた経験は今までに一度しかなく、それがオーマイニュースだった。そもそもが先に書いてから営業をするのがぼくのスタイルで、ボツの危険性は常に隣り合わせだから、そのことは恨みっこなしだ。ただ、どういう経緯でボツになったかと言うと、その原稿はぼくにしては珍しく依頼原稿(一般のコーナーではなく、よその媒体で書いている人たちのコーナーが当時はあり、そこの連載になるはずだった)で、本来はボツになったわけではなく、書き直しを命じられ、その直し方の内容が「中国政府の不正の現場をもっと入れてほしい」といった週刊誌の発想だったことから、違和感を持ち、直しを拒否したところボツになった(連載そのものがなくなった)。週刊誌や新聞の記事を素人が書くことが市民発信ニュースではないはずで、飛びつきそうなネタを手がけることよりも地道な定点観測を蓄積してその中からスクープ的なものが出てくるのがネットメディアならではの市民発信型の魅力ではないかと考えていただけに、ぼくには非常にショッキングな出来事で、このボツ原稿をネットカフェで書いたこともあって以来ネットカフェではいっさい執筆をしなくなった。
 連載の話があったのは市民発信のニュースがまだまだ未成熟でその一つの例を示してほしいからということで、この考え方自体はとても気に入った。だからこそ大変気負って多少は危ない取材もしたのだが、成熟の意味するものが週刊誌記事なのだとしたら大きな間違いであろう。個人のブログで書かれている海外情報の多くが未成熟だとしたら、それは新聞や週刊誌の記事をそのまま引用した上で自分の思いをくっつけただけのものがあまりに多いからで、海外情報を書くとしたらニュースそのものが主張であり、ニュースになる出来事がたまたま大手メディアと重なることはあったとしても大手メディアから題材を探す発想で行なうべきものではない。

 新聞や週刊誌は長年の蓄積があり、確かに成熟している。一方、市民発信型のニュースは歴史が浅く、今は何をもって成熟なのかの模索の段階なのであって、ぼくもまだまだわからない。ただすでに成熟した新聞・雑誌から学ぶものはあっても成熟の形は異なるはずだ。そこにおもしろさもあるはずだがそんなに短期間でできるはずもなく、これだけの短期間で撤退することからしてそもそもが市民発信型のニュースたりえなかったということなのだろう。
 ただ、あそこで記事を書き始めた人の中から将来別の形で市民発信型ニュースを手がけていく人はたくさん出てくるだろうし、そういう人たちとともに成熟の形をぼくも模索していきたい。
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by gikyoudai | 2009-03-25 20:58 | ルポライター | Comments(4)
「仰げば尊し」の唄い方を考えて
 中国情報局(サーチナ)、ヤフーなどで掲載されている中国現代アート関連の連載インタビューの続きです。
第13回
「劉瑾さん」
第14回
「倪昆さん」
第15回
「王我さん・徐辛さん」
「王我さん・李槍さん」
 サーチナ、ヤフー、エキサイトなどで同時に見ることができます。内容は同じです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 北京で活動するアーティストの王慶松はたまにカラオケに行くことがあっても「我愛北京天安門」しか唄えない(最近はどうだか知らないが)。日ごろ「我愛北京天安門」的な世界(従順な人民のイメージ)と一線を画するはずの彼のそんなハチャメチャなところが好きで、そういうことに素直なのがよい。かく言うぼくもカラオケで最も唄いたい曲は「仰げば尊し」である。
 ぼくは「仰げば尊し」などと先生に対して思ったことがないし、「仰ぐ」という行動も好きでないはずだが、何を思いいかなる行動をしようが、この曲が好きなことにはなんらかの意味があるのに違いない。それを探り出すかのように、また不器用を絵に描いたかのような下手なすごし方をしてしまった学校時代を反芻するようにこの曲を唄い続けていきたい。カラオケで同席する人には迷惑この上ないかもしれないが、ぼくは唄いたい。
 いろんな歌を唄えることもたのしいが、ある一つの歌をどのように唄えばいいのだろうかと悩み悩みしながら唄い続けることも生きる中での楽しみ方なのだろうと一人合点しもし、唄い方をあれこれと考えているが、まだどうにもしっくりこない。明治時代の歌謡というのは奥深いものがあって、まだその域に達しきれていないのかもしれない。
 今日あたりまでの二週間はこの曲が脳裏に浮かびやすい時期であった。初春というのは春の始まりよりも冬の終わりに意識が行く。冬の終わりと言うよりは一年の終わりかもしれず、学校生活の体験がそう感じさせるのに違いない。青春の感傷と言えばその通りだが、行動には過日の感傷も欠かせない。少なくともぼくはそうだ。
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by gikyoudai | 2009-03-24 12:20 | お知らせ | Comments(0)
レッドクリフと秉愛
 明日発売の「新潮45」4月号で来月から公開のレッドクリフ2の短評を書きました。機会ありましたらご一読ください。
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 レッドクリフは予算100億円の大作ですが、予算ははるかに少ないもののスケール的にもけっしてひけをとらないおもしろい中国映画が現在公開中ですので紹介します。秉愛(ビンアイ)です。
 あらすじや著名な方々の映画評はこちらをご覧ください。 
 みなさん感動してらっしゃるようなので、ぼくはあえて違う角度から語りましょう(註)。それは立ち退きを拒否する主人公夫妻が立ち退きを説得する政府役人たちと言い争うシーンです。中国で庶民を取材したことのある人はこのシーンを撮ることがいかに難しいかがわかると思います。政府の側に立ち、そのついでに庶民を撮ること、もしくは隠し撮りや偶然を装って政府と庶民の対立を撮ることは簡単ですが、この映画はその逆で、主人公の行動を追う中で日常の光景として役人が登場します。この手のシーンがこの映画で二回登場しますが、後の方はよくある隠し撮りふうでしたが、最初の方はカメラをきちんと据え、実に淡々と撮っています。ぼくがおもしろいと思ったのはカメラを据えてのこうしたシーンの撮影で、通常中国の役人はこういったシチュエーションをカメラどころか取材者が入っただけで大変嫌がり、拘束や暴力沙汰にならない方が不思議なぐらいです。それがなぜ可能だったのか・・・映画をみながら考えたのは、主人公に通じ、なおかつ役人にも説得力のあるロジックで作者が取材に臨めたから、もしくは最初のシーンを撮った段階では完成時ほどには作者が主人公に寄ってなかった、などでしょうか。後者だとしても当初の構想は知りませんが、カメラはすでに主人公を主人公として発見しているのがわかりますから結果としては後者だとしても前者のようなスケールの大きなロジックを作者が長年の取材の過程で持ちえたのだと言えます。
 技術的な問題ではなしに作者が主人公に心を寄せる過程が滲み出ているようで、こういうところがおもしろいと思いました。登場人物で言えば、ある友人から「麻生さんはきっと主人公より旦那さんに惹かれるだろう」と言われましたが、その通りで、主人公の女性もよかったのですが、それ以上に旦那さんがとても魅力的に思えました。

  レッドクリフも秉愛も共に長江を舞台にした人間ドラマで、スタンスも作り方も時代設定も全く違う両者がほぼ同時に公開されるというのもおもしろいのではないでしょうか。

註・・・残念なことに、ぼくは涙線がもともと枯れているのではないかとしばしば言われます。
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by gikyoudai | 2009-03-17 23:14 | テレビ・映画・美術・音楽 | Comments(2)
悶々 読み書き
 昨年3月の北九州でのトークが『thinking on the borderland art talk session vol.3 森山安英ー日常への抵抗ー』という冊子にまとめられました。谷口幹也先生、花田伸一さんをはじめ関係者の皆様にお礼を申し上げます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 昨年1月に講演をやらして頂いた東京女子大学卒業生たちを中心とする華の会の会外の集いに久しぶりに呼んでいただけました。相変わらず魅力的なお姉様方ばかりで大変緊張しましたが、少しずつぼくも慣れてきて、たのしくすごせました。ありがとうございます。
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 以上のようなうれしいことがある一方、自分の仕事の方では少々ながら悶々とした日々を過ごしています。こういうときは何でもいいから書き、何でもいいから読もうと思って、そうやっています。時間が経つのが実に早い思いがいたします。
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by gikyoudai | 2009-03-09 23:20 | お知らせ | Comments(6)
場面場面
 ブログへの書き込みをみてもそうだが、最近高校大学時代を振り返ることが多い。いったいどういうわけで振り返りたいのか、自分でもわからないのだが、歳のせいだろうか、春めくせいだろうか。

 ぼくが高校の頃には受験勉強の弊害というのが散々言われていて、受験勉強というのは他人に明かさずにコソコソとやらなければならないところがあった。ぼくはなんとか努力して大学に入ったわけだが、当時も今も大学入学と引き換えに多くのものを失ったかもしれない。失ったというのは世間で言われるような意味もあるし、世間ではあまり言われていない意味での喪失もある。後者の喪失とは、受験戦争が問題であると語ってしまう立場すらもが受けてしまうような喪失だ。
 たとえば、受験戦争は確かに問題あるが、しかし、それを今受験戦争を終えて晴れて大学に入学した者に語ったとしたら、それは受験戦争の問題を語るというよりも、言外の意味が生じる。すなわち「お前はそういう問題のあることをやってきた問題のあるやつだ」のようなニュアンスだ。こういうことは実に多く、日本の会社の雇用制度には問題があれ、それをフリーのぼくのような人間が会社員を相手にえんえんと語っていれば、それはもはや雇用制度の問題を越えているのであり、あるいは「男は問題のある生き物である」は本当かもしれないが、高慢な女性4人に情けない男が1人いるだけの場で、女性たちが意味ありげにそのように語ったとしたら、それは「男に問題がある」のではなく「あなたに問題がある」に通じてしまう。
 ぼくが大学に入った頃、ことあるごとにぼくに受験戦争の弊害を語る年上の人がいた。彼は大学に入っておらず、彼なりの世の中への不満はあったに違いないし、それは立場の違うぼくが耳にしても的を射ていた。しかし、その不満がいかに正当だとしても、それこそ毎日のように面と向かってそればかりを語られたとしたら、「俺に喧嘩を売っているのだろうか」と思ってしまうこともごく自然である。こういったことは回数や頻度がまた意味を帯びてくる。
 論というのは、書く場合も含めて実際のコミュニケーションにおいてけっして語った通りには伝わらない。高校の頃、カッコつけて西洋哲学を語ったとしたら、それは相手によって、西洋哲学うんぬんよりも、カッコつけやコンプレックスなどさまざまな言外の方が見透かされ、意味を持つに違いない。自分ではカントを語りつつ、相手にとっては他のものが語られているのだと言える。受験戦争の弊害を語るにしても、時と場合によりそれが言外の意味を持ちうることを自覚し、その可能性を克服するような話に作り上げねば伝えることにはならない。
 こうしたことは書くことも含めて、さまざまな場面に身をおいて、コミュニケーション上の失敗を繰り返し、失敗に基づいて改めたり、あえて改めなかったり、もしくは表現を表現たらしめる体験をせぬことにはできてこない。受験戦争の弊害というのをぼくなりに挙げるとすれば、それは受験勉強という採点者から高得点を与えられることだけを目指すコミュニケーション不在の知性形成の営みばかりが万能化してしまい、考えることが一人歩きしてしまいがちなことはあると思う。

 かく言うぼくがそんなことに気づいたのも随分後の話で、このことから逃れようとして実に多大な時間を要した。一昔前のぼくは、日本の年功序列の会社制度というものに対して意識的に距離を置くことをしていた、都会のサラリーマンを、都会のサラリーマンというだけで罵倒したことも数知れない。その無謀さをぼくに声荒げて批判してくれた会社員の友人もいたし、他方ではそういう発言でぼくの眼前から消えていったかつての友人たちの嫌そうな顔を今でも思い浮かべることができる。
 上の考えに照らせば、いかに日本の年功序列の会社社会に問題があったにせよ、それをぼくが語る限りにおいては、それは会社の問題なのではなく、ぼくが受けた受験戦争の弊害を自分でわめき散らしているに過ぎないとも言える。
 表現というのはなかなか難しいもので、自分が日本の年功序列の会社制度と距離を置きたいと考えたとしても、それを表明することで表明できるものではない。会社社会と距離を置きたいとの発想から、長い年月をかけて、ぼくはぼくのやりたいライフスタイルを作りつつある。ところが、今のライフスタイルになった時、ぼくの頭から会社に対する尖った感情が全くなくなっていたのだから不思議なものだ。3月と言えば卒業式があったりで、わかるまでの過程で失ってしまった数々を思い出したりもするのである。
 
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by gikyoudai | 2009-03-04 12:08 | 80年代 | Comments(2)
   

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