11月から始めた「ルポライターの仕事」は、始めたきっかけに自分の仕事を振り返る必要性があった点があるのだが、ある程度振り返ることができたことで、とりあえず今回までとしたい。ただ、ブログは適宜書き込みできる利点があるので、最終回というわけではなく、今後も折に触れ追加していくことにしたい。
テーマを縛っていく
前に取材の回でアンテナという語を挙げた。アンテナとはあるテーマをもとに取材を進めて行く際の、取材を進めさせる主体のようなものであり、そのテーマを何のために掘り下げるか、そのテーマにもとづいてなぜその人を取材するか、テーマの仮説と修正、質問事項、次の取材対象など、取材行為をつかさどる主体である。新聞社など特定の場に所属する人は特定の場がアンテナすなわち行為主体の大半を占めてくれているからあまり考えないかもしれないが、フリーの人間は誰かの真似をするなり自分で作り出すなりして、新聞記者にとっての所属媒体にあたるものを自分で作り出す必要がある。このことはすでに述べた。
書く際にもアンテナに相当するものが存在する。すなわち、テーマや取材内容をどのように展開させ、どのように語っていくかをつかさどる主体のことで、語り主体とでもいうべきものである。ぼくがルポを書く際に心がけているのはこの語り主体をいかに鍛えていくかということであり、世間や社会の意見を知ることや、自分の態度を高めていくことなど、日々の生活にまで意識的である必要がある。
ルポに限らず、書き物には自分がたびたび出てくるものと全く出てこないものがあり、また自分が出る出ないに限らず語りがきわめて特徴的なものや非独創的なものもあるが、いずれにしても語る主体が存在しない書き物はありえない。語る主体を全く感じさせない書き物、たとえば新聞記事にしても語る主体が存在しないのではなく、語る主体を外部に依存した結果に過ぎず、過去の書き物や特定の媒体の決まり事を踏襲しているというふうにとらえることができる。過去の書き物や特定の媒体のやり方と自分の主体にズレガある場合は、語る主体を自分で作り上げなければならない。このことは取材の際ときわめて似通っており、そういうこともあって取材する自分を書き物の中で出す必然性が生じる。
テーマをどのように書き進めていくかは語る主体が決めることであり、外部に依存する場合は模倣をすればいいのでテーマや取材結果をあてはめていく感じになる。自分で作り出す場合はあてはまるものが既存のものではないのでテーマや取材結果を書き進めていくことで模倣されるものと同じような語る主体を作り出していく必要がある。そのためにはやはり取材の時と同様の仮説と修正の繰り返しが必需であり、テーマとテーマを束ねる主体の2つのテーマを考えながら書き進めていくことになり、試行錯誤が伴う。
既存のものであれ、作り出したものであれ、語る主体が常にテーマを縛っていくことに意識的でなければならない。このことに自覚的でなく、なおかつ既存の語る主体を模倣しない場合は、書き物が書き手から離れて一人歩きしてしまう。