若者文化を理解したくないと常々思っている。日本の若者文化を知りたくもないし、中国に関しても、中国の若者文化というテーマには抵抗感をおぼえる。
なぜ若者なのか、若者というカテゴリーで何かを考え、語らうことができるのか、そう思う。そこで語られるのはぼくの若い頃で言えばシラケやネクラやDCブランドであり、一昔前だと援助交際や携帯電話(ピッチ)だったり、確かに担い手の多くが若者には違いないが、若者の全員が支持するわけではないし、若者に興味を持つ前に興味を持つべきことがあるのではないかと思う。興味というのがたとえば民主主義だったり色恋だったり、理想的な生き方だったとしたら、そのテーマで若い人が発言することはあるはずで、それを認めていくことこそが若者との付き合い方なのであって、若者に理解を示すことは若者との付き合い方として自分はやりたくない。
若者文化を理解したくないと思うのは、「若者に理解のある」大人からさんざん苛められてきたからかもしれない。ぼくは「若者に理解がある」大人が大変苦手だったのだ。何が苦手かって、若い人に理解があると自認する人は往々にして単一な若者像を描く。「今の若い人はシラケ世代であり、ぼくはシラケ世代の理解者だ」のように。そこに暴力が含まれることに彼らは気付かない。あの頃、若い人の誰も彼もがシラケ世代を支持したわけではない。ぼくがそうであったように。ところがそんなぼくのような人種はのっけから「古臭い保守的なつまらんやつ」のように扱われ、果ては「お前は若者ではない」と若者のカテゴリーから外されてしまう。若い時分、自分より一回り上の男性と会うと、常々そのように言われ、さらには金八生徒支持者を自認する担任からは「お前の目は濁っていて若者のそれではない」「俺はお前の生き方が嫌いだ」だのあれこれ言われた。本来彼らが語るべきなのは若者などとは切り離したシラケそのもののよしあしなのであって、シラケを若者と同一視した上でそれを若いからと支持することではないのだ。ぼくは若者理解を放棄するようになり、それはひいては他者理解そのものに影響を与え、おそらく中国と接する時にも通じていると思う。やはりきっかけは80年代だった。