大手メディアにさらされず、地道ながら人の輪を作り、理想を追求することの理想主義そのものをとやかく言うつもりはないし、おそらくこのブログにもそんな志向性はあるのだろう。しかし、とかく人の目につきにくい理想主義は担い手次第によって悪の温床に転じやすく、また、ともすれば理想主義に取りつかれた若者は理想主義を唱える者の悪の面に対して無抵抗になりやすい。
何が言いたいのかというと、ぼくはある通信制私立高校のことを語っている。おそらく実名をあげてもこの学校の名を聞いたことのある人はいないはずで、検索サイトで調べてみても参考となるべき情報はなんら出てこない。だが、全国数ヶ所にスクールを持ち、不登校の生徒などの教育にそれなりの実績を挙げている。メディアへの広報は行なわず、口コミで知名度が上がることを謳っている。そのことになんら異存があるはずもなく、この学校で救われた不登校経験者は多数いるのだろうし、「新しい教育の場を作りたい」という会長の理想主義もそれはそれで尊いものに違いあるまい。けれどもその実際の一面が就職面接でのセクハラ三昧ということになると、メディア嫌いということを別の見方でとらえざるを得なくなってくる。呆れるのはセクハラそのものよりも、周囲の教師とやらが会長のセクハラに対して何一つコメントせずになすがままにさせておくことで、「理想の実現のためにはセクハラもやむを得ない」とでも言いたいのだろうか。けれどもセクハラはセクハラで理想主義とは別物だと考えなくてはなるまい。
その意味では一方でセクハラ三昧そのものがこの学校の教育を直ちに貶めるものではないのだが、問題の所在は上でも述べたようにセクハラにあると言うよりも、周囲の誰もがセクハラを理想主義のために放置せざるを得ないという錯誤ぶりにあると言え、理想そのものに文句はないが、こうした未成熟な「教育者」たちの画一的な空間で学ぶ生徒たちはたまったものではなかろう。
註・・・通信制私立高校の全部がこうだと言っているわけではなく、ここはあくまでその中の一校にすぎない。真面目な学校をぼくはいくつも知っている。主眼は理想主義を掲げる者の胡散臭さにあるのであって、ぼく自身にもそんな傾向が多分にあるので自戒の意味も込めて書いたのである。