7月4日に旅の指さし会話帳miniシリーズの中国編を出しました。元の指さしよりも一回り小さいサイズで、2泊3日程度の旅行に携行することを念頭に置いています。
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この本では第一部だけですが、初めてピン音を用いています。ピン音とは中国語学習の基礎で出てくるローマ字表記のことですが、ぼくはこのピン音にあまり親しんだことがありません。前にも書いたように学校で中国語を学習したことがほとんどないからでもありますが、周囲の学習者がピン音の読みに忠実になろうとしすぎるあまりに会話がつっかえてしまい、それが元で無口になる人を何人も見かけたことに違和感を感じたからでもあります。
通訳者や中国語の先生になるような一部の人を除いて話しますが、日本の人が中国語を学ぶ場合、かつては仕事で用いたい理由(ビジネスに役に立ちそうだから中国語を選択したというような)が大半だったと思いますが、その限りで言えば、誰も彼もが中国語の正確さを競うようなことは中国で仕事をする上でメリットがないのではないかとも考えていました。中国で仕事をすると言ってもいろいろですが、少し前までは圧倒的多数が日本からの出張・派遣でした。その場合、最も大切なのは現地で信頼できる中国人パートナーを探すことであり、自分が中国語を駆使して現地人のように行動することではないと考えています。中国語学習者のほとんどが語学学習の時間など限られていることを考えれば、優先すべきなのはピン音の正確さに苦心するよりも大雑把でいいからあの会話空間の全般に触れていくことに違いなく、実用性だけが重要なのではない大学の語学学習は別として、少なくとも旅の本においてはピン音や正確さを信仰しすぎたかつての中国語学習の空気を極力持ち込みたくない、そのような発想からピン音を避けてきました。
また、若い頃から中国語学習に関する本をずいぶんと読みましたが、違和感をもったのが、同じ漢字だと安易に思うと大きな失敗をするという主張でした。ぼくはこういう例にじかに触れたことがなく、言葉の違いによる衝突に見える事例もそれはすべて他の要因を言葉の違いにすりかえたものばかりでした。そもそも大きな失敗とは何なのでしょうか?手紙がトイレットペーパーだと知らないことで死んだりするのでしょうか?むしろ手紙をトイレットペーパーだとは知らないことは食事の場で周囲の中国人たちにウケて人気者になるチャンスかもしれません。ワンパターンという日本語が現地でバカという意味になってしまうことが問題だとしても、問題になるのはこの言葉だけからではないはずです。ぼくは以前上海にいたとき、この言葉が元で周囲と親しくなった経験がありました。そんなに慎重になって話す必要はないのです。たまたま日本の漢字を書いたら中国人に伝わったという体験は語学学習に勝るとも劣らない言語体験のはずで、筆談をとりわけ重視したこともピン音を避けてきた理由でした。
などなどピン音を偏重することに対する違和感はたくさんあって、今でもぼくは中国でのコミュニケーションの基礎はピン音よりも食事だと考えていますが、指さしの初版発行から十年が経とうとしている今、たとえば上記の仕事についても中国で中国人と同様に活動する現地志向の人が増えてきているように、日本人の中国との関わり方も大きく変わりつつあります。このような中で以前の考え方をもとにピン音をあえて入れないことがふさわしくないと思い始めたことがピン音を採用した理由です。このことはまたいずれ書いてみたいと思います。