先に紹介した共同通信記事『最後の審判を生き延びて 劉暁波文集』(岩波)の書評は以下の新聞で掲載されましたので報告します。
4月3日:北国新聞、新潟日報、徳島新聞
4月4日:山陰新聞
4月7日:下野新聞
4月10日:福井新聞、神戸新聞、愛媛新聞、熊本日日新聞、大分合同新聞、宮崎日日新聞
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食事日記
9日
朝食10時:そこらへんの食堂(王玲さん)
麻辣米粉
昼食12時半:綿竹市郊外の野外レストラン(王玲さん、村幹部3人)
激辛鴨煮、激辛えんどう煮、鶏の淡いスープ、激辛魚煮、青菜スープ、白米、干し肉、白酒
夕食21時:成都・高昇橋付近の屋台(王虹女史)
四川鍋、ビール
成都泊
大陸行きを決めた時から四川だけは絶対に行こうと考えていました。東日本地震発生後、最初に心配のメールが来たのが四川の被災地だったからでもありますが、四川の地震発生3年後の姿を見ることで今回の地震の受け止め方を考えたり、あるいは反対に今回の地震の体験で四川に対して見方が変わることもあるのではないかと考えたからです。
たとえば、以前ぼくは、四川の被災地において復興が進み過ぎているエリアとそうでないエリアの格差が深刻であることに触れました。この思いは今もありますし、指摘も続けていくつもりですが、他方でバランスが悪いなど乱れていることが中国のパワーによるものなのだとしたら、むしろ今の日本にも必要なことなのではないか、一部分を突出して発展させて全体を引っ張っていくやり方も100%間違いとは言えないなどと思うようになりました。そう思うと、あまりにも豪華過ぎる復興ぶりも参考になりうる気がするのです。
貴族学校と間違えそうですが、公立の職業中学です。四川地震では学校の被害が深刻でずさんな建築が指摘されたこともあって、復興事業の中でも学校の建物の豪華さには目を見張るものがあります。綿竹では「地震がなければ10年以上はかかった発展が3年足らずで進められた」との言い方を耳にしました。