最近佐藤春夫全集をぱらぱらめくっている。ぼくは中学から高校にかけて太宰の小説にハマっていたことがあり、その時の悪い習性で太宰が悪態をつく文学者をことごとく嫌ってしまったことがあり、志賀直哉や川端康成と並んで佐藤春夫も避ける傾向にあったが、今あらためて読んでみると志賀直哉もそうだが、佐藤春夫もなかなかおもしろい文を書いているのだなと気付く。若気の至りを恥らうばかり。
佐藤春夫全集を読んで気付くのは、自分に殺人願望があることをここまで頻繁に(しつこいくらいに)書く文学者も珍しい、そう思わしめるほど、毎年のように、どこかのエッセイで、自分の(主に若い時分の)殺人願望を記している。殺人願望などは誰でも持っていそうなものだが、写真で見る限りにおいて糞真面目を絵に描いたようなしかめっ面の似合うこの人物が口にすると、きわめて冷酷かつ残忍きわまりない殺人シーンが思い浮かび、退屈な詩歌愛好者のイメージは微塵もなく吹き飛ばされる。
話はややそれるが、南京虐殺の三十万人の数字が誇張であることをぼくは中国でたまに口にし、そのことを否定する中国の人にも出会ったことがないが(あるいはぼくの中国語が下手で相手が聞き取れなかっただけなのかもしれぬが)、その一方で日本人が虐殺を行なった事実が嘘なのだと、しゃかりきになって否定しようとする一部の日本人の発想をぼくは理解できない。たとえば、中国の人も虐殺を行なったとか、ではイギリスの仕打ちはどうなんだ、とか、物事を総体的に眺めようとする立場はわかるのだが、それだから日本だけが悪ではないのだと割り切ろうとする発想はありうるにせよ、虐殺そのものが存在し、それが悪であったことは言うまでもない。ましてや「日本人がそんな残虐なことをするはずがない」などというのは笑止千万だし、そもそもその悪を認めることが日本を貶めることになるのだという発想をする人間についてはそれならば一体どういう日本が望ましいのかがさっぱり見えてこないし、見えてきたとしてもぼくはそうした日本には暮らしたくないはずだ。こうしたことも、おそらくは戦後民主主義のツケとかいうやつで(あるいは戦後民主主義の不徹底さ、基盤の弱さが生み出したツケとも言えるかもしれない)、ぼくからすれば自虐史観を信奉する人間も自虐史観を必死に打ち消す人間もさほど変わりがあるように思えない。いずれにせよ、国民文化国家への神聖なる崇拝が根底にあるに違いない。だから、こういう手合いとはどちらも議論はできないだろう。
話がそれたようだが、虐殺の事実を肯定する自分の根拠は自分の心情にあると言いたいのだ。少なくとも日本人であるぼくは、殺人願望を抱いたことが過去に数多くあり、時と場合によっては実際に殺人をしでかしたのではないかというケースもいくつかあった。それはどういう場合なのかと言えば、まだ未成年の頃、なんらかの悪さをしていて追い詰められていた時で、「もしいま誰かがやって来たら、殺すしかないか・・・」などという発想がちらりと浮かび、武器を携帯したりもした。たまたま人がやって来なかったから殺人をおかさなかっただけなのかもしれぬし、忘れられないのはその刹那にぶるりとスリルが伝わってきて、それが妙に快感だったことだ。
あるいは人や集団からぎりぎりの境地まで追い詰められたことがなく、一方で追い詰められていたケースを想像すると、大量殺人でもしかねなったのではないか。そのように考え、もしぼくが集団の論理と戦時の高揚が何事よりも優先された華東の戦局に引っ張り込まれたらいかに行動するのかを想像する時、ぼくは大岡昇平のごとく引き金を引かなかったと断言することはとてもできないし、ひいては殺人に快楽をおぼえたかもしれない。そしてまた、戦後派の文学をはじめ、戦後の思想はついぞぼくに納得ある回答をくれなかった、もしくは回答をくれた文をぼくが探しきれないでいる。
おそらくは極限の状況に置かれた時に、どういう論理が働いて殺人を犯し、あるいは犯さないのかが解明されるべきで、それはぼく個人の領域ではまだ未解決(追い詰められた経験がないこともその理由の一つ)だし、未解決のまま、殺人願望も含めた犯罪願望がいつしかぼくの体内から消え去ってしまった。付け加えれば、ぼくよりももっと追い詰められていない次元で殺人をおかした人も多数いるはずで、彼らとぼくはどこが同じでどこが違うのかも振り返らねばなるまい。今後はその当時を振り返るイマジネーションの発揮が必要であるし、あるいはもはやすっかり過去の遺物になった感のある戦後派の仕事もまだまだ未完成のままだと指摘することもできよう。