食事日記
29日
朝食8時半:画家張偉・九九夫妻提供
・・・あんパン、フルーツ
昼食11時15分:重慶・四川美院そばのカフェ(社会活動家・周鴻陵さん)
・・・水煮肉定食(近くの屋台より)、コーヒー
夕食18時:重慶・黄确坪の坂下の食堂(画家張偉・九九夫妻、楊西女史、器空間の若手職員)
・・・白酒、ひまわり種、田うなぎから揚げ、麻辣豆腐、ほうれんそう炒め、どじょう激辛煮、きゃべつ炒め、血豆腐、じゃがいも煮
成都泊
重慶は一年半ぶりです。この間、東日本大地震があり、重慶に20年近く住む九九さん(臼井久美さん)の実家・大船渡もかなりの被災をしました。ほかにもご家族をなくす不幸があった彼女でしたが、相変わらず元気でした。彼女の語学力はおそらく重慶語>日本語>標準中国語でしょう。これほどまでに現地化した日本の方は高齢者を除き中国ではあまり知りません。ちょうどぼくと同じ80年代終盤に初めて中国に行ったそうですが、ぼくが女性やら刺激やらを求めて上海やハルビンをうろうろしていた頃、彼女は日本語が飛び交う北京よりももっと奥に行きたいと重慶まで行き、そのまま重慶を気に入って四川美術学院に入学したのだそうです。そんな彼女と、気高く悩める画家である張偉氏との夫妻の案内で四川美術学院を散歩します。2人のアトリエにも寄ります。
写真の右手に夫の悩ましい心を反映したような作品、左手には小さな画用紙でおびただしい数の彼女の作品が並んでおります。重慶全般にその傾向がありますが、中国現代アートの売れ線とあえて距離を置くところがあって、現在の活況を呈す中国現代アートとは完全に一線を画し、売れない画家であることを自認し、誇りを持って日々創作に励む2人です。
山城と呼ばれ、至る所が階段や坂だらけの重慶ですが、階段や坂はトンネル同様、そこを超えると景色が一変することがあります。たとえば、四川美術学院そばの通りから長江に向かい、階段を少し降りると、フォークギターを持った若者たちの声が響く場に出くわします。
いったいいつの時代なのか、坂を下りると数十年タイムスリップするのか、そんな気がしてもきます。内陸に位置し、巨大な人口を抱えるこの都市が持つ重層性が階段や坂を見てそんな気分にさせるのかもしれません。
さらに坂を下り、長江がまじかになったあたりで出てきたこの食堂がおいしいのだと張偉が言います。なるほど絶品で、シブイ店を知ってるなと感心をし、酒を酌み交わし、短い重慶滞在を切り上げます。
「明年見(来年逢いましょう)!」。そろそろ師走が駆け上がってきた感じがしてきて、今年の中国の旅もそろそろ終わりなのだな、そんなことを考えたりもしました。
30日
朝食9時半
・・・チャーハン、肉包、ゆで卵、きゃべつ炒め、カリフラワー炒め
昼食12時:成都駅と城北客運中心の間あたりの麺屋
・・・坦坦麺
夕食18時半:綿竹市四川鍋店(王玲女史、葉方舟青年、曹マダム)
・・・四川火鍋、白酒、粥
夜飲20時:茶館(王玲女史、葉方舟青年、曹マダム)
・・・茶
綿竹泊
この日は移動日です。列車で重慶から成都に着いたのが夜中だったので、遅めに起き、出発します。今回の旅は気温の変化が著しく、北京・鄭州が0度前後だったのが、重慶では20度を超えて湿度が90%という東京の6月みたいな暑さに悩まされ、それが成都に出るとまた10度以下です。重慶と成都はつい最近まで同じ四川省だったわけですしそんなに離れたようにも思えないのでこの温度差は予想外で、このへんから風邪をひき始めます。
それだけでなく、成都あたりからパソコン、それに携帯電話もおかしくなりました。そんなこんなで不安、というか不便を抱えながら山の方に向かいます。
元気が出たのは夕飯です。やはり四川や重慶で食べる本場の四川火鍋が好物です。昨日の坂の下の食堂と言い、綿竹の鍋屋と言い、なかなかよそでは味わえない趣きがあるように思います。