・・・・・昨晩は19時より銀座・薔薇屋で被取材。そのまま孔家酒店で四川火鍋を食べ、小説家でもある酒豪・O女史から小説創作の話を聴いたりする。深夜に帰宅すると、自宅に福岡の山下氏がいて、驚く。妻が翌朝早いので浅草に出かけ、ショットバーとファミレスで朝まで過ごす。
前にも書いたが、山下氏は戦後まもなくの社会人野球の強豪・別府星野組を精力的に取材している人で、ぼくがブログで「うちの祖父は星野組の監督だった」と書いたのを見て(
「2004.11.3」)、「事実と違うのではないか」とメールをくれたのが知り合うきっかけだった。確かに野球史をひもとくと星野組はもとよりどこにも祖父の名前はない。しかし、このことがきっかけで彼がさらに調査する中で別府星野組の歴代監督が以下の通りとわかった(コメントの指摘で一部修正)。
初代・・・大塚文雄(祖父)
二代・・・長澤正二(選手兼任。後に南海)
三代・・・加藤喜作
四代・・・西本幸雄(選手兼任。後に大毎、阪急、近鉄)
(註:詳しい経緯は山下氏が執筆中の本=出版社未定で明らかになると思われる)
その後、祖父はある抗争に巻き込まれて野球史からすべての名前を消され、二十年前に亡くなった。山下氏のおかげでようやく球歴が明らかになろうとしている。また、西本氏が祖母の作るカレーライスが好物だったことや、祖父と木塚忠助氏(南海黄金期の名ショート)のつながりなど、子も孫も知らない祖父母の一面をいろいろと知った。
ところで、今、かつて巨人と戦ったこともある別府星野組を知る者はほとんどいないと思われ、ぼくも祖父から昔話を聞いて知っていたにすぎない。日本のどこかに今さらそんなことを調べ回っている人がいたとは思いも寄らなかったが、ブログがなければ、祖父の経歴は完全に抹殺されたままであった。親の代や祖父母の代のことなど、どんな些細なことでもどこかで誰かが調べているかもしれず、このように書くことはけっして無意味ではないのだとつくづく思う。