国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
という出だしで始まる紀行文を書くとする。川端康成『雪国』の有名な冒頭文をそのまま用いている。ならば、こうした紀行文を発表したら著作権侵害になるのかと言われれば結論はノーのようである。
著作権に詳しい弁護士が次のように解説する。
・・・この一文は、
「国境のトンネルを出たならば雪国であった」というアイデアさえ頭の中にあれば誰でも思いつく文章の一つであるから創作性を欠く。この程度の長さの文章に著作物性を認めると、今後このアイデアを表現することができなくなることを考慮せねばならない。それ以上に3,4文以上を複製すると、著作物を複製したことになり、著作権と抵触しうることになる。
意外にも思うが、映像で言えば、たとえばゴダール映画のシーンはたえずどこかで真似されていて、真似されることが彼の独創性を高めてすらいる。だとしたら、『雪国』冒頭に創作性を認めない結論も適切なのかもしれない。
にもかかわらず、やりきれなさをおぼえるのは解釈の仕方にあるのだろう。法解釈によれば、文章とは意味するものを一対一対応で表現したものにすぎず、すなわち、
「
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
は
「
ぼくたちを乗せた列車はトンネルを越えた。それは国境のトンネルだった。トンネルを越えた時、あたり一面雪だった」
と同じものでしかないということなのだろう。
実際は同じはずがなく、また、冒頭であることの意味は大きいはずだ。ここらへんに法律で割り切ることの限界をおぼえるが、同時にかかる発想は法曹界だけにまん延するものではなかろう。タイトルだけ見て本を片っ端から無関係なジャンルの棚に入れる書店を見かけるが、これなども同じことではないかと思う。
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うららかな天気の三連休。どこかに出かけたかったがそれも適わず。これから外に出てどこかで読書と手紙を書いたりしながらささやかに春の訪れを感じようかと思う。甜茶が効いているのか今日に限って花粉症の症状はなし。