若手記者と会う機会があり、両国のちゃんこ屋、浅草のショットバーで朝三時頃まで過ごし、中国をいかに書くかなどを話す。若い年代の記者が既存の報道のありように疑問を持ち変えていこうともがくのに触れることができたのは愉しいひとときだった。
中国の大手紙にも言えることだが、いま進行している社会の変革はアウトサイダーが主力を形成するものだとは限らず、むしろ既存のメディアや機関のゆるやかな、もしくは急進的な内部改革(そこには解体も含まれるであろう)があってこそ実現する可能性もあり、そういうことを予感させる若い世代が少しずつではあるが台頭していることは勇気付けられる。内部改革というのは口にするのは簡単だが当人もが既存の言語態の影響をもろに受けつつある中での改革なので、むしろ克服という言い方に近く、十年以上も記者を続けている人がそういった気概を抱くことには敬意を抱く。ぼくがこうした変革に関われるとすれば、彼ら彼女らにとってドンキホーテのごとく先走りした参考例となることではないかと思っている。
もう少しこの話をしたかったが、途中で男女の友情、というテーマに話が移ってしまったこともあって、店から追い出されるように解散となったのは残念ではあった。しかし、男女の友情、というものも恋愛を克服して成り立つものであるはずで、言ってみれば克服が昨日のテーマだった。
克服といえば、昨日の昼に北京から東京に来てまもない二十三歳の留学生と会ったが、彼はノー天気なほどに日本が好きなようで、デモの報道にやはり辟易としていたようだった。ぼくの知る限り反日の人の多くは日本滞在の経験がある人で日本を知れば知るほど日本嫌いになる傾向が一部で存在し、彼が今後日本をどう見つめるようになっていくのかはよくわからない。ただし、親日→反日→非親・反日という克服をする人が少しずつではあるが増えていることも事実で、今後はこういった層の日本観に期待したい気持ちがある。
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昨日夕方より頚椎の古傷が痛み出す。解散後痛みがひどくなり、今も取れないのでこれから一之江の整体に行く。