東京に戻って今日が七日目で大家さんや食堂のおじさん、編集者、テレビのADなどいろんな人と話して一つわかったことは今回の中国デモについて報道が大げさであることをほとんどの人が納得づくだった、ということだ。このページや雑誌原稿を読んだ人はむろん、そうでない者も当たり前であるかのようにそのことを認めている(あるいはあらかじめぼくにそう話を振る)。となると、報道のごとく騒いでいたのは実は報道する人たち当人だけに過ぎず、見るものは映像などに触れて多少の憤りをおぼえつつも「とはいえ、まあ報道だから」ぐらいにしか思っていなかったのだとも言える。この感性がどう形になっているかはともかく、この感性にぼくはなんらかの甘美な未来を予期してしてしまうのだがいかがなものか。
夏のような熱さの真昼間、昨日送られた謎のチョコを一粒だけ口にする。差出人不明のチョコを。口の中の上側の皮膚と舌ではさみこむようにして溶かしつつ少しずつ飲み込んでいく。チョコの香りだけがした。