食事中心日記
23日(金)朝10時月餅(豊台、家)、昼①12時牛肉丼(軍事博物館前の永和大王、外)、昼②13時水煮魚(軍事博物館前、外)、夕食17時精進料理(密雲県、学校)、夜食24時四川鍋(五道口、外)
24日(土)昼12時福建料理(豊台、家)、夕21時四川鍋(徳勝門内大街、外)、夜1時ポップコーン(ホウ海、外)
25日(日)朝10時福建料理(豊台、家)、昼13時河北料理(通県、家)、夕19時精進料理(清華大学東門、外)、夜1時ピザ(ホウ海、外)
(メモ)
北京で少なくともぼくが接する人たちに限って言えば、今いちばんのキーワードは「自由」にほかならないと思う。このことを少しずつ書いていこうと今回は思う。
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北京大学での台湾人・李ヤオの講演(9月22日)は相当問題になったようであるが、ここで強調されたのも党の作り出す一元的な(言論)空間への疑問であって、対日ということについても右左を問わず複数の媒体が一元的な空間に共闘している(親中も反中もそろって)のに風穴を開けることをもっと考えなくてはならない。
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ホウ海といえば今はバー街で知られるが、かつては文化人がたむろする風雅なエリアだった。ネオンで塗りたくられた俗的な街に成り下がったが、深夜二時にもなるとほとんどの店が閉まり、すくなくとも外見上は霧と柳の似合う静かな湖畔に落ち着くことを知る。
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北京に来る人の思いはさまざまに違いないが、前を向かねばなるまい。そして前を向くというのは後ろを受け止めることほかなるまい。そして後ろを受け止めるというのは自分の自分たるものに忠実であることにほかなるまい。反省して悔い改めることは大切だが、時には悔い改めないことも大切で、嫌われたから、あるいは避けられたからと言って、相手に合わせた自分を演じ直すよりも、嫌われた、あるいは避けられた自分がどうやったら好かれるかを考えるべきだと思う。北京という街が東京とさほど違うとは考えていないのだけど、違いを一つ挙げるとしたら、そのように生きなければ空気になじめない土地、ということだと思う。それをたとえば「自由」と言ってみたりする。