いつもたのしい会合ばかりではない。たとえば、昨晩幡ヶ谷でのそれはどちらかと言えば行ったことを後悔する類のものだった。親しい人の紹介で彼の親しい人と会ったが、その人は最近大手出版社を辞めて編集プロダクションを興したらしく、中国ものの本を出したいからぼくがその情報提供で行くことになった。二人ともいわゆる「団塊」の世代である。
この飲み会はたのしいものではなかった。ひょっとしたらいずれ仕事で関わる機会があるのかもわからないが、現状ではその人はぼくの文章を読んだこともなく、たんに「中国通」ということでぼくに会いたかったらしい。かりにそうだとしても多少ぼくの文を読むぐらいのことはしておくべきだと思うが、あれこれと尋ねられた上に、「あなたのやっていることは要はサブカルですね」で括られてしまう。この人にとって、国家の大々的でないものはすべてサブカルチャーなのだろう。
そのうえで中国のことをやたらと尋ねられたが、彼を紹介した知人の手前、丁寧にこたえてはおいた。
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この会合は「和民」という居酒屋チェーンで行なわれ(註1)、彼の威勢のよさからは無味乾燥な店と言えるが、「編プロも大変だろうし、過去の肩書きも関係なくなるだろうから(げんに大変苦戦しているらしい)、安い店も仕方がないな」と思っていたら、勘定は割り勘だった。ぼくはその人から特に聞きたいこともなく、もしぼくが彼の立場だったら無一文でもぼくが支払うのに、ずいぶんケチで、そのくせエリート臭が鼻につく、さらに性質が悪いのは彼が自分を学生運動を通じての「革命児」だと自認していることで、大手出版社に対する憤りも常に漏らすが、そんな人に限って、ぼくに対しては「大手出版社」の顔をする。彼の「要望」どおり散々大手マスコミの問題点を語ったが、それに対しては不愉快そうな表情を浮かべるだけでコメントはなかった。
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彼を「団塊」で括ることには無理があるが、一方で、ぼくの「団塊」との関係の法則は彼と出会ったことでまた正しさが証明されることになったとは言える。法則とは、ぼくは「団塊」の人と気が合うか、合わないかのいずれかでしかなく、その中間はないということだ。合わない人とは改革派を自認しつつ実は権力志向者のタイプで、合う人はそうでない人である。前者の場合、ぼくはのっけから強い反発をおぼえるが、これは中学時代に「団塊」の教師を相手に身についたものかもしれない。合う人よりも合わない人の方が圧倒的に多く、そのことが自分の課題だとは思わない。
改革派を自認しつつ実は権力志向者(註2)だというのはぼくの年代にもよくあること(そして、ぼくもそのことと無縁ではない)で、ぼくはそのことが好きなわけではないが、「団塊」のこのような人が性質悪いのはかつての青春談義を自慢めいて話し、話すことはどうでもよいがそれを尺度にぼくやぼくの周辺のやることを強引にカテゴライズすることで、そういう発想は「改革」の実際を生きなかったぼくの年代にはなく、ぼくの年代はもっと紳士ではないかと思っている。
「団塊」の全員がそうだなどとは言ってない(註3)。げんに昨日ぼくに彼を紹介した知人は尊敬できる人だ。けれども全般的に言えば、ぼくは「団塊」に限らず、年寄りを除く年長者とは気が合わない。ただし、これはなぜだかわからないが、女性となると話は別になり、「団塊」の女性にはいつもお世話になっている。
註1・・・実家が飲み屋ということもあり、経営をおびやかす居酒屋チェーンは好きではない。
註2・・・反対に権力志向者であることを自認しつつ実は改革派、というのは素晴らしいと思う。ぼくも権力志向者の面があるはずで、そういう人に習わねばならない。
註3・・・他方で親しくさせてもらっている人も少なからずいることは強調しておきたい。自分の身の置き所をわきまえている人は、ことに「団塊」の人の場合、経験が豊かなだけに見習わなければならないことが多いと常々感服させられる、けれども割合としてはこういう人はあまり多くはない印象がある。