ぼくが中国と関わり始めて「アジア」という地域を強く意識するようになったのは80年代後半から90年代初頭にかけての頃だったように思う。その頃、中国やアジアに関する情報は今よりも少なく、アジア文庫や内山書店などに行って一般書店で売られていないような濃厚な一冊を購入したり、あるいは「アジアウェーブ」だとか「亜洲人」のようなミニコミ媒体を読んだりすることはほぼ唯一と言ってよい情報収集手段であったし、また、今となっては記憶すらない文章から数多くの影響を受けたに違いない。
ミニコミ誌のほとんどや専門書店で扱う書籍の多くはノーギャラだが、カネを取れぬ文章を書きたいがために読みたいがために心躍らせる機会を求める人は少なくなく、そういった場には老若男女・有名無名を問わず多数の人が集い、一つの文化状況を作っていた。また、コネも実力もないぼくにとって、90年代半ばにノーギャラ同然ながらほぼ何を書いてもよかったこうした媒介物に出会えたことは、ぼくが世の中と関われる唯一の機会でもあった。
その後、アジアは身近になってきたが、専門書店が盛況になったとは思えないしミニコミ誌は減ってきているのではないかと思う。このことから時代の趨勢を読み取ることは簡単だがけっしてそういうことではないのではないかと思う。アジアが身近になり、マスメディアや一般書店がアジアを扱うことが増えたことは確かに時代の趨勢だと思うが、そのことが専門書店やミニコミ誌の勢いを奪うのだとしたら、それは時代の趨勢ではなく、時代の趨勢における何がしかの傾向がそうさせているのではないかと思う。
作者もしくは読者としての個人がいて、それぞれの人にとってのわりと親しい中間的な集団社会としてのミニコミ誌・専門書店が多数存在し、さらにそういったミニコミ誌・専門書店のそれぞれの思想特徴の延長線上にあるマスメディアが存在する状態は、マスメディアが常々ミニコミ誌・専門書店の影響・刺激・批判にさらされる意味でより個人を反映したメディアであるための必須条件ではないかと思う。ところが現状は個人とマスメディアがいきなり結びついて、それ以外の中間が存在しない社会に向かっている気がしないでもない。となると、かりに大メディアが暴走した場合は個人にはいかんともしがたく、個人個人の多数が暴走した場合も大メディアはそれを吸収しきれないのではないかと思うし、何よりもおそろしく巨大なマスでしか括れない個人が創生されていくことには人間疎外を感じてしまう。
長い目で見た時に、あるいはミニコミ誌・専門書店はインターネットに吸収される運命なのかもしれないが、現時点ではインターネットがまだそこまでの役割を果たせておらず、ミニコミ誌・専門書店ががんばることはまだまだ必要なのではないか。そして、がんばる、と言うのはその担い手ががんばる、と言うよりも、その必要性が社会から理解されることの上に成り立つものであるべきだろう。インターネットにとっても必要なことなのではないか。
浅草で
「恋するアジア」の春田さんとその読者でもあり延辺の旅行記を書いている
せぱたくろうさんと会って、話をした。「恋するアジア」を10年近く前の創刊号から読むと実に多彩な人が関わってきたのだと知らされる。春田さんはぼくとは異なる文化空気を持った人であり、ここで大切なのはぼくと異なるということではなく、それが文化空気であるということだろう。常に1人でいて、社会参加がマスメディアでの発表だけという作者読者では作りえない空気がそこにはあって、もう1人のせぱたくろうさんにも同質なものを感じた。ぼくはその健全さについつい時間を忘れたのであった。以上のことを話そうと思ったが時間がなかったので、長文にはなるが、ここに記しておくこととした。