「出稼ぎドライバー」とでも言うべき人がどれぐらいいるのかは知らないが、1年で2、3人、そういう人の車に乗り合わせる。農閑期の冬だけ東京にやって来て、タクシーに乗る。秋田県大館市近郊の出身、白髪の目立つ彼もその1人で、“出稼ぎ”歴16年。
農家の長男として生まれた彼の本業は稲作。長男が田を受け継ぐのはごく普通のことだ。農業だけで生計を維持することが難しく、両親、妻子を残して単身上京している。同年齢で未だ嫁が来ない人が少なからずいて、10代後半の長男に農業を継がせないことも考えるようになった。田を売ることも検討するが、70を越す両親や自分たち夫婦の身の上が不安で、1円でも多く貯めようと無駄遣いはしない。
渋谷に差しかかる。人々が飲み、食い、笑う様が走馬灯のように深夜の繁華街を駆けずり回る。
渋谷駅前のハチ公が見えると、彼は郷土自慢を始めた。ハチ公という犬はなんでも大館市の出身だそうだ。米も酒もうまく、名湯中の名湯・玉川温泉は車で30分足らずの所にあり、銭湯気分で立ち寄れる。申し分のない環境だが、実家にいるのは農繁期だけで、豊かな暮らしとは無縁。長いこと実家で年を越したことがない。
「ハチ公見ると田舎に帰りたくなる」
東京での唯一のたのしみは、24時間勤務の仕事が終わり寮に帰って寝る前に飲む一杯だという。