二〇〇四年一月一日から「流動人口の計画生育管理服務工作に関する若干の規定」(国家人口計画生育委員会)が施行される。中国の報道によれば、この法律は流動人口の計画出産を促進することを目的とし、彼らの出産権利の保護を求めるものなのだそうだ。
なんていうことはない法律と思うかもしれないが、ぼくはこのニュースに触れた時、北京のあちこちの周辺に存在する出稼ぎ労働者密集地帯の、闇の産婆や闇の病院や学校、さらにこれらの施設を使う“闇の”住民たちの今後がどうなるのかに思いが行ってしまう。
かつてぼくはこれらの施設や住民を取材し、一部はテレビカメラにも収めたのだが、放送することはできなかった。それは、北京の公式見解としてはこれらの施設や人々が存在しないことになっており、日本のテレビ局も追随しないわけにはいかないからだ。新しい法律ができると真っ先に抹消されるのが闇の存在で、いつしか北京には文盲も、闇の施設も、幼い兄弟姉妹も存在しなかったことになってしまう。マスメディアで覗かれる北京はイデオロギー上の北京であって、北京そのものでは必ずしもない。こうあるべきだという日常であって、日常そのものではない。その隙間と言うべきものが存在しないはずの闇だ。
こういうことを書くと、中国は人権のない国だと囃し立てる人も出てくるが、それは間違いだ。闇の出稼ぎ労働者がいるなどというニュースを海の外の他人事だと思う人は、日本の大都市の各地でボランティアで行われる識字教室などを覗いてみるとよい。一部の教室では、外国人たちに混じって、日本の、それも若い層の“文盲”を見かけ、不登校の横行などで教室に通う日本人の数は確実に増えていると聞く。日本の義務教育が一〇〇%普及などというのも大いなる幻想なのであって、中国だからどうこうなどという性質の話ではけっしてない。(2003年12月)