ミニコミ媒体を読むのが好きだ。大メディアと較べてどうだとかいうことではなしに、おもしろいミニコミ誌に触れると、都市が動いてるんだなあ、という気にさせられてくる。小さなイベントや店の情報、いろんな活動をする人の文に触れる中で、何をするわけでなくても立ち上がろうという気にさせられる。
恋するアジア49号・・・この雑誌は書評がおもしろく、一般の書評の形式で言語化される以前の書き方がなされていて、最近のアジア本の動向をつかむ上でとても参考になる。今回もおもしろかった。
書評以外では
「難破船ブルース」・・・・作者独特の「人間の味わい」の置き所と沖縄生活がうまく組み合わさっている。今まであまり見られない形での沖縄がとてもよくあらわれた名文で大変おもしろく読んだ。
「台北ゲストハウス物語」・・・経営者がどういう人であるかに突っ込んだ特集で、これでもか、これでもか、と言わんばかりに観光情報が出てこない。当然ながら俗人のぼくは違和感をおぼえるが、おもしろい試みだと思った。
「ソウル25区界隈」・・・これだけで判断できないかもしれないが、郊外区を通じて韓国の今を訪ねる試みはおもしろいと思った。ぼくが中国でやっていることもこれに通じるかもしれないし、日本でも東京の郊外というモチーフはますます表面化されそうだし、郊外がおもしろいということの東アジア的意味などを考えたりしてしまう。
「ベトナム考視講座」・・・よく調べられていて、また、わかりやすい文章だが、出発点がわかりづらい。出発点と言うのは、コートジボアールがいかに未発達であるかをいくら説明してみたところで仕方がない、ことと同義で、作者が考えるほどぼくはベトナムを評価してなく、またそれはぼくが殊更変わっているのだとも思えず、「そりゃそうだろう」ということがえんえんと続く気がしたことだ。虚像と実像という場合の実像よりもむしろ虚像を知りたくさせられた。そして、かりに実像として掲げられる問題があったとしてそれをどう克服するかの試みにクローズアップすることを楽しみにしたいし、作者ほどの能力があればなおさらそうだと思った。
「酔いどれ館」・・・連載の一回目で、歌舞伎町に埋没した作者の私小説風ノンフィクション。歌舞伎町の韓国女性とのやりとりからいったん数年前の新潟の貧しい日本人の話に移り、そこからまた歌舞伎町における6年前の記憶に戻る、といういっぷう変わった書かれ方がなされているが、このねじれにとても興味をおぼえたことも確かだ。
「アチェ人と見つめた心の『復興』」・・・作者がアチェを今も追うことに敬意を表したい。アチェ人の中に津波以後の一年をずっとカメラで追っている青年がいる、ということはおもしろかった。その人がワンオブ・アチェ人にとどまらないような、彼の家族やアチェへの思いとかだけではなくジャーナリスト・表現者・カメラマンとしての思いも知りたいとは思う。
「アジア言語学者のポルトガルの壁」・・・勉強になった。長い文章の記事が続く中、コンパクトでとてもよく落ち着いている。
「白団」・・・楊氏を探し当てたフットワークに敬意を表したい。勉強になったしおもしろく読んだ。
全体としてとてもおもしろく読んだ。いまこれだけアジアネタを堪能できる媒体は限りなく少ないのではないかと思う。
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華友4号
・・・在日中国人のためのフリーペーパーで機内誌のようなわりと豪華めの紙にカラー写真がふんだんに使われている。苦学生だけでなく、なんとなく日本に来たような、わりと豊かめの留学生をも読者対象にしているようで、実際にそういう人が増えていることは確かで、在日中国人向けのメディアも今後よりバラエティーに富むのではないかと予感させる媒体として今後も注目していきたい。この手の媒体で必須になる東京の地下鉄地図やビザ取得の指南などがあるkとおはもちろん、世田谷区が子育てにいいと思われているとか、花見の愉しみ方、とか、特集も興味深かった。
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JICA2006/4
・・・ミニコミと言えるのかわからないが、個人の活動に重きが置かれている点では含めてもいいかと思う。青年海外協力隊などJICAの活動をメインにした雑誌で、当然その制約はあるが、昨年以来、隊員のその後の日本における国際協力活動や各団体の国際協力のニュースなど、個に注目する姿勢がうかがわれ充実してきているように思われる。今号は特集が「国内事業」で殊に興味深かった。公的機関が勝手に企画して交流事業をやるのでなく、すでにある交流事業を助けるのが公的機関の役割だと思うが、そういうふうな方向性になっていくのではないかと期待したりもする。結局公的機関も大勢の個人のものなのだから。